犬も食わない Ⅷ
「いつまでもちんたらとちんたらと! 護るべき人が後ろにいる訳じゃない純粋な闘いの最中に、目の前の相手以外のこと考えてじゃあないよ!」
はっ、とした。千切れた肩の断面を抑えながら。
残っているのは右手。そして、魔法の剣は握られたまま。
鎧ごともがれた訳で。そんなこと、あの、元・師匠でもできる訳がない、と分かる。
あぁ。確かに、嘗めていたのかも、しれない。
「苦悩してばかりなのだ。ここに来る前からずっと、苦悩していた。紛い物にはならなくて済みそうだが、本物になれるかは、まぁ、こんなでは駄目だな」
距離は1メートルをゆうに切り、彼女の拳が、振り下ろされる寸前。少年の左頬へと、数センチ。だが、それは到達しない。
少年の左手。正確には、中身のない、左手部分の鎧。左肩辺りをひねるような駆動で放たれていた、ガワだけのようなものであるそれが、相手の十全たる右拳の、上の、右肘内側に、つっぱり棒のように。
「急くなよ。失血での気絶なんて情けない幕引きにするつもりなんて無い」
相手は、目を見開いて、驚愕していた。
少年の左手部分、空の鎧の中。熱が、伝っていた。金属が、赤熱するような灼熱が。
「ほう、そうか。そういう種か」
それは、相手が得ずして放ってしまったもの。それは、少年が予想が答えに迫ってはいたが、掴みきれてはいなかった、相手の魔法の、正体。
ボブゥオオオオオンンンンンンン!
灼きつきが、左肩、断面を焼く。
常人では、いや、超人や化け物の類でも、そんな澄ました顔ではいられないだろうに、生憎、少年は、慣れていた。
相手には少年のその姿、どう見えていたことだろう。
語るに落ちる。
「応急手当、ご苦労。詫び【フラッシュバインド】だ」
意趣返しのような、内を起点とする、魔法。
相手は、体を震わせながらぴくつかせ、抑えようと耐えるが、抵抗虚しく、少年のあの魔法が炸裂し、串刺し針の山と噴き出す血の水溜まり、崩れ落ちた相手、という結果が横たわった。
はぁ、と胸を撫で下ろす。
熱が、冷めてゆく。
魔法の鎧も魔法の剣もすっと、消えている。
そして流れ始めた冷や汗に塗れてゆきながら、思う。
(自身の魔法の正体を、自身が掴み切れている保証なんて無い訳か。もし、把握していて、隠し玉として伏せていただけだったなら、この程度では済まなかっただろう。消し炭になって、私は転がっていた筈だ。何せ、この相手。魔法を弾く外側を持つ、私の鎧を、引き千切ってみせたのだから。……しかし、熱、か。熱。……。どうも、切羽詰まり過ぎているのかもしれない。煮詰まっている。こんなでは、彼女の納得のいく答えなど、出せはしない。……。待てよ? ちょうどいい。目が覚めたなら、相談でも乗って貰うか。少なくとも、私よりも、ああいったことに対して、まともそうではあるし)
横たわった相手を起点に、血溜まりが広がってゆく。
私の足元を通って、後ろへ。
殺して、しまったようだ。
尤も。ここが学園内であるのは、左肩断面がむず痒いことから明らかだ。鎧を解除しているのに、再生が、始まっている。つまり、学園内、ということだ。
「まだ、条件は満たされていません。観客の為に、継戦してください」
不意に、どこからともなく、響いてくる声。
「っ!」
ぎろっ、ぎろり。
見渡すが、姿は無い。
遠く、遠く、からだということだけは間違いなさそうだった。そして、
(あの人形の声、だと思う、が――)
少年は、一つ。自身の頭から抜けていたことに気づいた。
それは油断だとかは関係ない話だ。
こんな闘いをしていたのだ。無理もない。
魔法使いらしからぬ、近接戦。手の届く範囲。手から剣先までの範囲。そんな短い短い距離での応報。
そう。だが、前提として。
これは、魔法使い同士の、決闘で、相手は唯の闘士ではなく、魔法使いである。本質的に、闘士ではなく、魔法使いなのである。闘士っぽいという皮を纏っているだけ。
グォオンンンンン!
ただの血としては、あまりに多すぎたそれ。少年の足元だけでなく、それは、広く広く広がって、地面と草を染めるのではなく、地面と溶けて、混ざり合って、こびりついてあまりある。生成され続けている。
領域が、陣が、広がっているのである。見渡す限り。いつの間にか。
魔法の起こりの気配も、展開による魔力の発露も、見当たらず。ただ、現実にしてはありえないような量と性質を持った、もう血とはいえない何かが、広がって、あれだけ青かった空すら、くすむように、霞んで、どこか、茶錆鉄、いや、琥珀色。
それを見て、心に、浮かんだ。
多分それが、相手が無意識になって、放ってしまった、初めてであるかもしれない、この魔法の本質を示した、名なのだと、思う。
【アンバー・デュエル】
魔法は、怖い。感情の産物であるが故に。何が起こるかなんてわからない。いきついても仮染めに終わるとはいえ、特にこういった、死の水際には。




