犬も食わない Ⅴ
折角だから、と剣は仕舞った。
相手はそれを待ってくれていた。そして、目配せするかのように、
いいかい?
いつでも。
いきなり最初から――打ち合った。
拳を擦り合い、腕を交差し、強く接触し合い、無数に自分も相手も放った拳打。足も攻撃に存分に使える距離だったが、それをしないのは、互いに小手調べのつもりだから。
ドタタタタタタ――
(妙に、響――く――)
魔法の鎧は一部分すら展開していない。とはいえ、これは明らかに異常だ。常軌を逸している。
打痕が、波打って、腕を昇ってきて、肩へ差し掛かった辺りで、打ちあがるような衝撃に半分程度。そして、残りは、首へと向かってくるのを、首の筋肉に緩急つけた動きを付けることで、できる限りその猛威を少年はいなしていた。
ガシギシシシシシ――
(掠ってるだけ? それだけで、何つう……)
少年の拳と腕が強く擦れた腕の数多の箇所が、槍の腹で薙がれたような痛打に感じて、驚嘆する。
((魔法も無しで、))
(この練度。ただそれだけで、極まっていて、恐ろしく、身が震える。この寒心地よさ。あぁ、懐かしい)
(こりゃあ、堪らないねぇ!)
距離をあける。
互いに数歩の距離。そこから、相手は動かず、少年は更に数歩、低く跳ねるように距離をあける。
そして、気分よく、大きく息をし、ギアを上げようと――
(っ!)
数歩の距離は、一瞬で埋まっていた。上から打ち下ろすようにねじり入れるような右拳が、迫――
ガシッ。ボキィィッ!
つい、やってしまった。滾って、昔のような調子で。加減をしようと意図する間も無かったが故に、やってしまったのだった。
一瞬、相手は固まる。相手の右手、拳が開き、小指が、びろん、と手の側面下方向へ90度傾いて、動かない。ぎぃぃ、と歯を軋らせるように笑い、少年に凄んだかと思うと、もう、元の位置へ。
「すまない。昔、こういう組み手をよくやっていて。その時の調子でやってしまった。どこまでやるかも決めていなかったのに、つい」
少年はほんの少しの申し訳なさと、それでも抑えきれない血沸く歓喜に、口元を歪ませながら、そんななのに口調だけは落ち着いた風にそう言った。
「いいんだよ。ほぉら。泣き叫んでいないだろう? ここの他の軟弱者たちみたいにねぇ。それに、折ったときの感覚で分かってるたぁ思うが、こちとら慣れてんのよぉ! あんたも、そうだろぉ? 折れて、分かったよ。ここは学園だよ。死にゃしないよ。だから、やろうじゃあないか。参ったって言うか、気絶するまで」
と、相手は、右手小指を、左手で握り、曲げて、ぐぐぐ、と、元に戻して、右手拳を固めてみせる。
そうして、二人、愉悦を隠しもせず、獣のように嗤った顔で、構え、同時に、消える勢いで、互いに、真っすぐ突っ込んでいった。
ドダダダダダダ――
右手。小さく付く動きを繰り返すように、右回りに旋回しながら、相手の左側面に拳をぶつけてゆく。
(妙だ……。どんどん、固く、なっているような……。魔法の気配は、無い、が……?)
少年はそんな疑問を浮かべながら、相手が持ち札をいつ切ってくるのか考えていた。
(仮にも数人、いや、数十人抜き、下手すればもっと。そんな数の1対1を繰り返して、碌に消耗していないとするなら、もしかしたら…―)
グゥイインンン――ドビキィイイイイイ!
(ぐぅ……!? がぁ……! 莫迦な! 前腕の骨。二本の、両方……。折れてはいない。だが、もう、折れたも同然……。だというのに、あちらの拳は、恐らく、無事……! っ!)
相手の右拳が、躊躇なく飛んできた。
少年はその目で、確かに捉えた。小指の骨折箇所の腫れ膨れが消えていることに。
(だが――甘い! 罅入れきる前に、二撃目を放つべきだった。忘れたのか? その拳の先ほどの無様を!)
ゴバガキィィイイイイイ!
少年の飛び上がった左膝と振り下ろされた左肘が、相手の右手首を、かみ砕いていた。
しかも、下方向に巻き込むように、相手の体制を崩しながら。
間髪入れず、そのまま地面に打ち付けるように力をかけながら、その反動で体を倒立させるように浮かせ、叩き下ろすように、反対の足での蹴りを放った。狙いは、胴の裏。肺をその覆いごと、打ち付けてやること。
ゴォォキイイインンンンンンンンン!
おかしな――音が鳴った。鉄の塊でも、蹴り抜いたような。いいや、そんなものではない。その程度なら、蹴り負けるわけがない。だというのに、
(一度ならず……。間違い、ない。これがこの、クェイ・ク・ァンタの魔法。硬化の類。自身の内で完結する類の。だからこそ、その起こりは感知できん、訳、か……。加えて先ほどの、瞬間ではないが、恐らく、高速再生の類の魔法。これも同様に内で完結。確かに……闘士だ! それに、)
自身の右足を衝突面である足首辺りから、指側粉々、膝までばっきりと砕かれた少年は、態勢を崩しそうになるのを、無理やり前転して、立て直しながら、その目の端で、捉えていた。相手の砕けた右手首。その先。拳の先。限りなく見えにくい、魔力の、膜。
(あれは、手甲だ。魔法ではない。魔法の品ではあるだろうが、彼女の魔法、ではない。できれば事前申告―…ふはは。いいや。申告ならなされていたではないか。彼女は闘士で。そして、魔法使いだ、と。そして私も、あんな形ではあるが、自己申告はした。魔法使い、と。よぉし。解禁するとしよう)
地面に転がるその胴には魔法の全身鎧、その胴が纏われていて、間髪入れずにあっさり立ち上がったその頃には、もう、魔法の全身鎧にその身は覆われていた。
躊躇なく虚空から召喚した魔法の、何の変哲も無いかの剣で、闘いの段階が変わった合図とでもいうかのように、少年は一切の加減無く、その暴威を放った。




