犬も食わない Ⅲ
上の空。
ぽかんとした様子の少年は頬杖をつく。
「魔法とは創造物の産物であり、だからこそ、魔法から身を護る術というのも想像力に大きく依存する」
初老の老人の穏やかな声が、空間に響く。
座学である。
学内でよくある、一回こっきりの、小講義。
他の講義とは違って幼げな顔ぶれで構成されているのは、そこが新入り向け、加えて、弱者向けのものであったから。
本来、少年のような、弱者では決してないような者が聴講する講義ではない。
だから、少年がそこに足を踏み入れた際、どよめきが起こったし、少年の周りの席は空いている。少年の周りだけドーナツ状の空洞のような空席が目立つ。
50人程度が余裕をもって座れるよう、長椅子が数列連なっているその講義部屋は、小さな教会のような部屋であった。
長椅子自体が障害物であり、暴れるような類の者に好き勝手させないような構造。
少年は、この講義に、自身の身になる新しい情報は無いと分かって踏み入れた。考え事をするには実に都合が良かったから。
「この場所は護りの為の想像力を取り入れた実例でもある。『なめずり燃やせ、焔ノ舌先』」
ざわめきや絶叫、逃げ出そうとするも、それを容易にさせてくれない狭さに、阿鼻叫喚。しかし、少年は気にも留めていない。ただ、考えている。
「燃えやしない。実感できただろうか? ここでいうところの想像力というのは、前準備や心構えのことだ。長椅子。木。燃える? 燃やされるなら、予め、燃えないようにしておけばいい。木に見えるし、目につくから燃やすという選択肢がそもそも出る。手に出す範囲を限定させられる。長椅子と長椅子の間隔が既に不自由。君たちが並び座ることで、実質逃げも凌ぎもできない状況はたやすく作れる」
困惑や文句。ぎゃんぎゃんと泣き出す生徒も年齢的に一人二人ではない。
「こういった考え方が大事なものだと思えるようになった頃に、思い出して欲しい。きっとそれは君たちが挫かれた、叩き潰された、蹂躙された後のことに多くの場合なるだろう。逆の立場に最初から立てるなら、この講義を選ぶなんて時間の無駄だ。君たちはそこまで莫迦ではない。未熟なれど君たちは本物だ。本物の魔法使い。だからこそ、未来、やがて立ち上がろうとする際、このときの想い出を、杖に。『必要なるその時まで、小さく凍り、端に留まれ』」
目から光を失った幼げな生徒たちが、立ち上がり、その場所を後にしていった。
講師たる初老の穏やかな物腰の白髪の老人と、少年だけが残る。
「なかなかどうして。わたしにできる助言は無さそうだ。聞こえていない、か。それは素敵な悩み。贅沢品だ。満足いくまで悩むといい。今回は、赦すよ。次やったら追い出させてもらうけれども」
と、胸を張って、愉快愉快と、笑みを浮かべながら、少年を置いて、講師たる初老の老人はそこを後にしていった。
少年はというと――
さて、どうしようか。
ブラウン少年に相談しよう、と思ったまではいい。だが……。
この講義に入るより少し前。
背を向けたブラウン少年を見かけ、相談しようと近づこうとして、私は足を止めた。壁の影から出てきた人物に、ブラウン少年は、私に見せたことのない顔をしていた。
あんな風に楽しそうに笑う奴だったのかと思った。なんというか、ブラウン少年が陽気に見えるなんて日が来るとは。どこか気弱で暗いところがあったから。
隣に居るのは――昨日、私と闘った女武闘者では?
私は引き返すことにした。師匠とあの研究者の遣り取りに近しいものを微かに感じたから。
周囲の喧噪が邪魔だ。深く考えなければならないというのに。
ブラウン少年に関わることだ。面倒な人間関係を持たせて苦労なんてさせたくない。だから、静寂を確保できそうな場所へと入り、深く、思い返している。
昨日。
彼女に、その日も、駄目、やり直し! と採決を下されて、肩を落として充てなく学園構内を歩いていたとき。
偶々、それが目に入った。
立て札が立っている。
【求む、近距離系闘者!】
【トーナメント形式、1対1。】
【参加費無料。優勝賞品、一式お仕立て券!】
何の、お仕立て券だ? 近距離の定義は? そもそも、トーナメント形式といっても何回戦くらいある ? 日を跨ぐか跨がないか?
一件、今のこの気分を紛らわすには良さげではある。だがなぁ……。
と、足を止めていると。
「そこのお方。参加なさいますか?」
不意に話しかけられた。背後から。
さっ、と、距離を開けるように跳びながら振り返ると――
人では無い。妖精の一種である人形小人であるようだ。
「見ての通り検討中だ。一つ尋ねたいのだが、これを書いたのは誰なのだろうか」
「その言葉は、登録されていません」
「はぁ……。なら、これならどうだ? 問う」
「何なりと」
「主催者はいるか?」
「ィィィィィ――です。びびび、あ、あなた、さまは、登録されました」
しまった、と思ったが、もう遅い、か。
実質何も聞けず仕舞い。
「あぁ……、これはまた、面倒な……」
わたしは諦めて、その人形が発生させた歪みに呑まれ、虚空に消えた。




