魔法がとける刻 Ⅱ
ガララ、ゴロロロオオ、ゴォオオンンン!
ザァアアアアアアアアアアアアアア――
雷雨だ。
森を抜けて、疾走する。騎士鎧を纏って。
重く、鈍くなってゆく体。軋み悲鳴をあげる、脚。
結果は、見えている。それでも、行かねば、ならない……。
今日、死んでもいい。というか、今日死ぬことになるのだ。
なら、後先を考える必要はない。これ以上後を濁さないようにさえすれば。
雷が、鳴り響く。
震える程に、寒さを強く、感じるようになってきて、手足の先の感覚が、失われてゆく。水からの遮蔽はできていても、熱は、鎧越しに奪われてゆく。
明ららさまな邪魔は、契約により、できない。
けれども、それは、例えば、試験会場での、私の魔法の発動、を消す、などといった、ごく一部に限られている。
会場に辿り着くことを、物理的にではなく阻害することはどうやら、契約の穴を通っているようだ。
倒す、か……? 騎士鎧だけではない。騎士剣も未だ我が元に。
だが、そんな時間さえ、惜しい……。
そんな躊躇。足を止めたときを狙われたらしい。
「森、が……生えた、だと……」
街へと続く街道。だとえ辛くとも、走り抜けれさえすれば間に合うかもしれない望みがあった。だというのに、順路は、捻じ曲げられた。
「ぁあああああああああ!」
剣を喚び、切り倒す。
その先も、生い茂る木々の、遮蔽。
「こんな……ところでぇぇ……! 終わりすら! まともに迎えることを、許されぬのかぁあああああああああああああああ! 父上ぇええええええええええ!」
そう。私を終わりにして確実に得するのは、三方のうち、一方だけ。私を確実に終わりにしたいのは、その一方だけ。
確かに私は泥を塗った。
だが、子供に、生まれる家は選べない。持って生まれる才も選べない。努力で何とかなることなら、まだいい。だが、魔法の発動は、最低限の才能が無いと、絶対にどうにもならない。
それこそ、奇蹟でも起こらない限り……。
「ここで、終わってなるものか。私が終わる場所は、此処では無い。街に居る、魔力試験隊の前。そこで、終わりを言い渡される。終わるなら、それ以外を、私は許容なんて、しない……」
この騎士鎧。身体を補助する力がある。師匠とのあの日の鍔迫り合い。それができた理由が、それなのだと思う。
栄養と睡眠が足りなくなって、この騎士鎧のその力のより深いところを知った。補助に回される力の源は――、命の、灯……。
真っ白だったのに、くすんだ自身の肌がその答え。老いるかのように、痛み、劣化している。だが、限界ではないのだ。つまるところ。
この力は、魔法の発動には寄与してはくれない。とうに試した。だが、今、会場までなんとか辿り着くための一助にはなる筈だ。
ヒントはあった。あの日。意識を失う寸前、師匠の激高の際の言葉に含まれていた。口から発した言葉とは何か違う、あの、言葉のような、音。
(『その資格はない』)
私の場合、その言葉では駄目らしい。一日一度の魔法の発動の試行の後の、疲れ果てた後の横たわる間に、試し、掠ったらしいのは、これ。
「『汝、救うが為。捧ぐ。唯だ、それが、今の全て』」
私の願いが、成就しなくたっていい。私は、魔法使いではないし、救われる資格もない。だが、それでも、師匠にこれ以上、泥を塗らない為に、今を、捧ぐ。
白い、闘気。
湯気のように体から溢れているそれ。
この煙、とけたとき。私は死の水際なのだろう。だが、これは魔力ではなくて、闘気。ならばこそ、いつものように、一日一回の、これで最後の、魔法の発動の試行の権利が手元に、残る。
もう、思考も止まるくらい、疲れ燃え尽きている筈の今、こんなにも澄んでいるのは、やるべきことも、終わりも、これで見えたからだろう。
そして、幸運にも私は、絶対と思っていた最悪の一つを、避けられるだろうことが分かったからだ。
師匠に、私を、殺させなくて、済み、そうだ、から。
立ち塞がる木々を、細切れにして、街道の痕跡を辿るように、突き進む。
川が、あった。
止まらず、渡河しようとしたら、凍り付いた。
剣を出し、叫んだ。
「約隷を踏みにじるか。その資格は、あの人以外に、無い。私が、決して、赦さない」
闘気。その効果。
師匠と鍔迫り合ったあの日、使い方は見た。だから、できる。これは魔法では無いのだから。
指向性を付与させ、波のように。
遥か遠く。繁みから、気配が消えた。
足の感覚が、完全に、無い。
水なんて外から入りようのない鎧の足元から、ねっとりと、しっとりとした、水音がした。鎧の中を反芻して聞こえ、臭いが言っている。千切れ、裂け、潰れ、ぐしゃぐしゃだぞ、と。
構わなかった。
森を、抜けて、また森で。
やっと抜けて――
今度は――騎士、か。
知らない騎士たちだ。誰も彼もが黒い装備。
ただ、分かる。正騎士だ。私とは違う、本物たちだ。三人、いる。
「猪突の幼体が出たかもしれないとのことだったが、これは……」
「知らない騎士鎧ですね……」
「よりによって、正騎士の鎧だ。この闘気……」
私よりは小さい。並の騎士といった感じだ。
恐らく、そう強くはない。師匠よりは数段下。師匠の仲間たちよりは一回りは上の強さ。この弱った体でも、この闘気ありきで考えたら、勝てない相手ではないだろう。
だが――無傷で、とはいかない。見えているとはいえ、街はまだ、遠い。走れなくなったら、間に合わないような気がする。
狼煙の柱たちが止まった。虹色の狼煙の周りの、黄光の柱が、一本だけに、なった。
「頼む……。退いて、くれ……。行かねば、ならない……から……」
舌が、上手く、動かない……。声が、自分のものではないみたいに、しわがれていた。
「なら、その装備と武器を、返し、お縄に付くことが。そうすれば、望み通り、あの街に入れるぞ」
三人のうちの一人が、落ち着いた様子でそう言った。それで分かった。この者たちは、闘い一辺倒では無さそうな経験を積んでいそうだ、と。
つまり、容易くはない。
素直に言うしか、思いつかない。
だが、この装備をして、それを言うのは、どう考えたって愚策だ。それでも――
「あと一日も……無い……。最後の機会……。師匠が……与えてくれた……。行か、ねば……。届かぬと分かっていても、魔法を、才を、計らねば、終われ……ない……」
心がぐしゃぐしゃだ。まともに言葉にならない。
「気狂いか? どう思うよ?」
「意識、朦朧としてるのでは? 相応しくない者が、正騎士の鎧を着ることを、意思ある鎧たちが、俺たちの想像のつくようなやり方で終わらす訳が無いだろう」
「鎧の適性は精神魔法の類だろうな。じゃ、やっぱ、斃して、持って帰るのがよさそうだ。そらっ、合わせろよ」
槍。黒い槍だ。放たれたそれを、潜るように避けながら、私は躊躇なく、剣を左下から右上へと、振り上げるように振った。
「なっ、早…―」
通り過ぎた先から後ろを見た。黒い血が、吹き出したのが、見えた。
放たれてきた、鎖の一撃を弾き、矢の一撃を切り落とした。
「鎧は、維持させろ……。そうすれば、直ぐには……死には、しまい……。運んで、やると……いい……。助かる猶予は……ある。私とは……違って……」
鎖を構えた黒騎士と、矢の二射目を準備し終えた黒騎士へ、言った。
後は、逃げるだけでいい。残る二人の動きが、血を見た瞬間鈍ったのを私はちゃんと見ていたのだから。
彼らに悪意はない。だからこそ――飛んできた二射目は、避けなかった。左大腿を後ろから貫いて、砕けたのが分かった。
鎧は限界を迎えたらしい。
なら、闘気も……。
何か、後ろから、声が聞こえる。彼らの声だ。何か、言っている。そんな暇があれば、その倒れた仲間を、運んで、やれ、よ……。
剣をついて、左足を引き摺りながら、ただ、歩き続けた。
いつ終わるかなんて、分からない。間に合わない可能性は高いと思う。けれども。それならそれで、構わない。終わりを決めるのは、私ではなく、刻。
そうして――