初めての魔法の授業 Ⅵ
駆ける足を止めることなく、振り向きながら、少年は、すぐ後方を追いかけてくる少女に言う。
「確定だ。敵は、あの顔色の悪い方だけだ。あの目つきの悪い少女の説得、頼んだ」
そして、少年は速度を上げる。少女はめきめき離され、もう、少年に追いつけないと悟る。
「ああっ! もうっ!」
少年の言う通りにするしかなさそうだった。
ヒュィイイイイイイイイ――
(確かに、そう。あっちの子は、力に呑まれてるだけ。わたしも経験があるから、よく、分かる)
地面すれすれを滑空するように、浮かび、真っすぐ突っ込んでゆく。
魔法使いたちは、青藍を見ない。ヤジを飛ばし続ける、目つきの悪い、楽しそうな猫っ毛な小さな赤毛の目つきの悪い少女の方か、敵である、迫ってくる言葉通りな死兵たちの方ばかり。
だから、容易く、
「っ!」
赤毛の少女の目が更に細まって、こちらを捕捉したそのときから、唇を動かし、わざと、聞かせる。
「闇撫での掌。その狂騒の瞼を閉じる」
通り過ぎざまに、青藍の、青白い靄で覆われた右手の掌が、赤毛の少女の両の目の、左目から右目へと、なぞらせ、通り過ぎ、魔法にかけつつ、そのまま、赤毛の少女の右手を掴んで、引っ張って、Uターンするように、元来た方に離脱していく。
そうしながら、少女は、目にした。
(凄い、規模……。巨岩の槍の針山。生き埋めになっていなければいいけれど……)
少年の方は見なかった。
見なくたって、もう、結果は見えているから。
斬り刻まれた骸の山。どれくらいかというと、人、百数十人分くらい。細切れになって、遺体というより、その残骸。
「もう、終わりだ。あんたが誰かは知らないが、新入生では無いのは確かだろう」
と、その魔法を斬る剣の切っ先を、空っぽの騎士の手のロープの先にぐるぐる巻きにされて、死体の山から離れて下の地面に立ち、こちらを薄気味悪く薄笑いを浮かべて見上がる、簾にしても短い程度の前髪しか無いそのひょろ長い少年に向かって言う。
圧を、掛けている。
並であれば、立っていられない位の、絶体絶命を感じるだろう程度の圧を。
だというのに、そのひょろ長い簾前髪だけしか髪の無い男は、動じていない。青紫色の、血色の悪い唇は、何も発しようとしない。
「学園長のお使いか? 駄賃は何だ? これから同胞となる新入りたちに嫌な思いをさせるに釣り合うのか? っと。無駄だ」
ガタッ!
足元から、数多の指や手の甲の断面がくっついた、手のようなものが、何本か。
少年はそれを、剣の切っ先で幾重にも細かく素早くなぞることで、細切れにしてみせた。
「攻め手がもう無いのだろう? この私を斃せる可能性のある手札がお前には無いのだ。だから、こんな格下狩りにすら失敗するのだ」
少年がそう卑下するように煽ると、そのひょろ長い簾前髪だけしか髪の無い男は、その死んだ魚のような目を少しばかり血走らせた。
「邪魔だな、これは。使いこなせないようであるし、もう、必要無いだろう」
と、少年は、死体の断片の山から軽く飛び降り、そして、後ろ手に、
「死者への餞は、光と決まっている。ほぅら。ライト・ボウ」
わざとらしく、声にして、唱え、後ろ手に放ったそれは、遺体の山に触れたかと思うと、
ブゥオゥウウウウ、プゥァアアアアアア――
触れた面から、広がっていくように、遺体の細切れ断片たちを、光に変えて、眩い光の柱に変わる。そうして、変え尽くして、やがて、
――。
消えた。
「よかったのか? 唯一の逃げ時だったというのに」
そう言いながら、少年は、ふらついた。それでも少年は不敵に笑う。これくらいでちょうどいいハンデだと言わんばかりに。
「あぁあああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"! どいつもこいつも、嘗めやがってぇええええええええ!」
少年はひるんだ。あっけにとられたからだ。
言葉や迫力とか、ではない。見掛けからは想像できないような、綺麗なソプラノの、澄んだ声で、そのひょろ長い簾前髪だけしか髪の無い男は叫んだからだ。
「……。まぁ、な……」
掛ける言葉が少年には無かった。何か言おうとしたのに、あまりにも何も思いつかなくて、そう、かえって、酷い。
「決闘だ! ライトとやらぁあああ!」
「今更か? さっきからやってるだろう? 一騎打ち」
そう呆れ、溜息ながらに少年が言うと、綺麗なソプラノの、澄んだ声で、そのひょろ長い簾前髪だけしか髪の無い男は、ポカンと口を開けていた。
「? どうした?」
「……。驚いただけさ。卑怯者とか、冒涜者とか言わないんだな」
「? 突然どうした? あんたは別に私に絡め手を使った訳でもない」
「だけど、さっきの君の仲間に俺がしたのは……」
「分からんな。騙し討ちするにしても、あんた、多分もっと上手くできただろう? 意識薄弱な状態ならかなり細かく操作できるとみた。だけど、あんたはそうしなかった。だた、シンプルに動かしただけだ。死体や衰弱した者を操るのはあんたの魔法だろう? 感情を盾にしなかったんだ。あれくらい十分アリな正攻法だろう。ネクロマンシーが忌み嫌われる本質を、あんたは踏んでいない。やろうと思えばできてしまうのに、やっていない。なら、あの糞学園長や、私の今の師匠とかと比べるにも値しないくらい、あんたはまともだよ。さて。お喋りはそろそろいいだろう。私もあんたも、全力を出せるくらいには息も整った筈だ」
と、少年は、構える。
今度は、鎧も喚んで。
「繋ぎ目の無い鎧……。それに、魔法をたやすく切るくせに何の変哲もないその剣。あの学園長が、君を、討伐報酬の前渡しだと提示したのも頷ける。まさか、本物の騎士様が、魔法使いの卵、とは、ね。まさか、本当だとは思わなかった」
「学園長め、悪趣味な……。私の十字架はお遊びの道具なんかじゃあないぞ……」
「ふふ。ライト君。本当に、決闘をしよう。俺は、レイス。レイス・ド・レイス。心配いらない。勝っても負けても、君にも俺にも何も無い。ただ、負けたら、悔しく思うだけだ!」
綺麗なソプラノの、澄んだ声で、そのひょろ長い簾前髪だけしか髪の無い男はロープを伝うように、空の鎧の中に、吸い込まれるように溶けていった。