初めての魔法の授業 Ⅲ
正面。
魔法使い側ではない、両手の指の数を越える、動揺や焦燥を残しつつも、壊走していない兵の一団。
まさか、と思って周囲を見渡したが、それだけだった。囲まれる危険は今のところないし、魔法使い側の誰かが潜伏しているような気配も、魔法の起こりの予兆も無い。
いける、だろう。
騎士では、無い。
明らかな指揮官らしき者がいる訳でもない、ただ、まとまっているだけの雑兵の集まり何ぞ、私の敵ではない。
少年は、彼女を片手のわきに、頭を後ろに向けさせ抱えながら、駆け抜けながら、剣を振るっていた。
向こうからは、何の変哲も無いロングソードを持っただけの、ローブを着ているだけの魔法使いらしい不意に現れた何者かに、斬り斃されてゆくという理不尽。
剣で受ける速度が間に合わない。構えた盾は、その上から切断され、役に立たない。鎧はただの衣服と同じように切り裂かれ、身を守らない。
少年と彼女の前に現れて、まだ何もしていなかった彼らは、魔法使い相手のときですらあがらなかった、恐怖による叫びから始まり、壊走に終わる。
「終わった。しかし、覚悟をしてくれ。さっきのよりもきつい」
と、彼女を降ろした。案の定彼女は目を閉じていた。
降ろした彼女は目を開けた。
「……」
言葉なく、少年の方を見て、微かに恐怖。そして、大部分は批難のそれ。
「人はたやすく死ぬ。それは、私も君も変わらない。そしてここが学園の外、だというのなら、私たちに護りは無い。交渉何ぞすべきではない。第一声から言葉が通じなかった、どうするつもりだった?」
だから、そう言った。
「でもっ……」
「もっと上手いやり方があったのではないか、と? そんなものない。もしもなんて現実には存在しない。そんなものが存在できるのは現実も知らない頃の甘ったるい夢の中だけだ」
少年がそう言い放ち。少女はその変わりように戸惑う。まるで別人のようで、何か、怖い、と目が訴えている。
「他の奴らを回収する。少なくとも魔法使いであり、あの場にいたということは、俺たちを見て、認識している筈。元からこの戦場にいた者たちよりは、話ができる筈だ。リスクも、許容できる程度に、リターンも見込める」
少年はそう答えた。半分、嘘で。
スタタタタタタ――
彼女を、また後ろを向けさせて片手のわきで抱えるようにして。再び動き出していた。今度は目を閉じないように言い含めて。
スタタタタタタタ――
数キロ先。常人であれば、豆粒程度の大きさにしか見えず、何をしているかなんて分かり様のない距離。しかし、少年ははっきり、捉えた。
彼女に言う。
「いたぞ! 気弱そうな奴だ。よりによって現地側の魔法使いと交渉しようとして、言葉通じず、といった感じだと思う」
そして。
脇の彼女から手を放し、彼女は地面に降り立つ。
右手を翳し、親指と人差し指で円をつくり、右目にあて、遠くを見るように瞳孔を縮めた。
彼女が、左手をこちらへ向けてきたので、差し出されたその手を掴んだ。
その柔らかくも小さく、弱々しかった手に震えもなく、怯えの汗も無い。彼女の覚悟は完了しているようだ。
「ライト、跳ぶよ!」
「頼む!」
幼い。苦労を知らない顔だ。
そして、だからといって、裕福でもなく、毛並みが良い訳でもない。生ごみ臭さもない。街にいそうな、親がちゃんといる子供のそれだ。
「ひ……ひぃ……」
新鮮な対応だ。
幼げで、力無い。男というより、見た目通り男の子、といったところか。
魔法使いらしさも微塵も見せていないが、ローブは被っているし。
薄茶色のぼさっとした、しかし痛みのないくせっ毛。青に緑が混じったような色合いの目を潤ませる、傷のない白い肌の、男の子。
爆発系の魔法を放てないように、斬り刻んだ魔法使いの遺骸が地面に転がる。念を入れ、頭は、丁寧に潰した。
加えて、先ほど雑兵を斬ったときに抱いた違和感は間違いなく確かなものだと確認できた。
少年は言った。
「それはあんまりだろう。お前、私と彼女が助けなければ、死んでいたぞ」
そう冷たく言い放った。
こちらが向けた厚意を無為にする奴なんて嫌いだ。まるでそんな、自身の醜さを不意に突きつけて思い返させるような奴は。
「……。ごめん、なさい……」
そう男の子は言った。
少年は彼女の方を見る。
「みんな貴方みたいに強い訳じゃない。わたしだって……そう……」
少年は、流石に、凹んだ。そして、自身の考えが、騎士のそれ基準のままであることを突き付けられる。
彼女に、心配するな、と微笑む。
そして、そう言った。
「ここは戦場だ。言葉通り。だから、私たちは安全を確保する。君は、どうする? 安全そうな場所に隠れているか、それとも、私たちと共に来るか」
少年は思う。返ってくる答えは聞くまでもない。前者だ。
彼女もそう思ってなのか、何か唱え始めている。長い詠唱を始めた様子。
「行くよ。君たちと。足手纏いにならないように」
少年は目を丸くした。彼女はびっくりのあまり、詠唱を止めてしまった。
「僕はブラウン。君たちは?」
二つの意味で。
先ほどまで怯えていた者がついてくることを選んだから。先ほどまで怯えていた対象についてくるとまるでお前たちを信じるという風に言ってきたのだから。