初めての魔法の授業 Ⅰ
気づけばここにいた。
確かに、私は疲れていた。しかし、自身の限界を見誤る程疲れてなんて決して。
床に横たわっていた私は、身体を起こす。
変な疲れはない。しかし、床に接していた面が痛い。単に、床が、元いた場所のそれよりも固いからだ。苔むした風な点在する汚れの、くすんだ灰色の、石材の類による床。
私が眠りについた、師匠の家の床の上とは、明らかに別の場所だ。
牢、というのとは違う。
なら、拉致、監禁の類、か?
一体、何があった……?
確か昨日は――
彼女に、師匠の家の入口まで案内されて、別れて、……確かに鍵を掛けた。眠ろうと、床で横になったところまでは憶えている。眠るのに掛かった時間は平時とそう変わらなかっただろう。限界だったなら、一分保たなかっただろうし、はっきり、数分の瞼の蓋の闇が記憶にある。
……。
師匠、だろうな。
いつ帰ってきたのだろう?
物音や気配には鋭いと自負はある。
……。成程。
小さな部屋だ。一辺3メートル程度の立方体な部屋。苔むした風な点在する汚れの、くすんだ灰色の壁。窓は無く、ドブ臭い。
薄暗い。点滅する、丸い、吊り灯。
それ以外に何も無い部屋だ。
出入り口は――何処、だ……?
ガチャリ。
「随分遅ぼうさんなもんだ」
壁に偽装された、扉、か。取っ手はこちら側には無く、外には、ある。
「疲れてたんですよ。主に貴方のせいで。師匠」
この程度、他愛ない。そもそも、私を拘束したり、手足を削いたり、腱を切っている訳でもない。魔法が封じられているような感じもない。そもそも私にはあの剣がある。
だから、毅然としていればいい。
「お嬢ちゃんはピンピンしてるのに情け無ぇ」
と、いつの通りの調子の扉越しの師匠の顔はげっそりしていた。
「……大丈夫、ですか……?」
「……。大丈夫な、訳、無ぇ……」
「自分の女の面倒くらいちゃんと見ましょうね……」
「ま、頑張るわ……」
「私の元・師匠にでも相談したら如何ですか……?」
「……。やめとくわ……」
「ですよね……」
と、気まずい沈黙が暫く続いたのだった。
チカチカと点滅を続ける天井の電灯。
師匠は自身の家の椅子を喚んで座っている。私の分も喚んでもらえたので、私も座っている。
ここは、あの家ではない。
扉の向こうから流れてきていた空気の臭いが、街のそれとは明らかに違っていたから。
どういった臭いかといえば、熱と湿気。そして、雑多に数多の人の臭いが混ざった、密室の臭いだ。つまり、この先に多くの人が集まる、大部屋がある。
扉の隠蔽は解除されており、螺子のような扉への差し口のついた丸い金色の取っ手を、捻り込むように差し込んで、
「そう嫌な目で見るな。そういう伝統なんだよこれは」
「悪趣味な伝統もあるものですね」
「魔法使いなんてそういうもんだよ。お前が夢持ち過ぎてるだけだ」
「……。いいでしょう、別に。命を賭けたのですから、夢くらい見ていても」
「構わねぇよ。だがなぁ。言われて嫌なら、いい加減、そうやって人に甘えるのはやめろ」
「……」
「お前はその辺の餓鬼とは違う。だから、分かるもんだと思って言ってる」
「……。すみま……せんでした……」
そう少年は、頭を下げた。
「じゃあ、本題に戻すぞ。お前が今から受けるのは、この学園での最初の授業だ。放任主義なこの学園で、唯一、この授業だけは誰もが受けることになる。もし拒否したって、縛ってでも連れてくる。魔法でも使って強固に閉じ篭ってたなら、部屋ごと連れてくる」
「で、無理やり、この先の場所と接続する、ですね」
「そういうこった。で、お前さ、どうして俺が、小刻みに情報開示してるか分かるか?」
「凡そは」
「ふぅん。じゃ、一つ。お前にとんでもないことを教えてやる。お前はこの先で、お前の父親と遭う可能性がある。それも、お前が知るよりも遥かに若い頃の、お前が生まれる因果を刻む前のお前の父親と、だ」
タガッ!
少年は、青褪めた顔をして、嫌な汗をかきながら、思わず立ち上がってしまっていた。
「お前にも怖いものがあるのな……。まあ、落ち着け。それに魔法使いなら、反応すべきはそこじゃあねぇだろう?」
そう促されて、座り、今度は手が震えはじめていた。
「お前の事情はある程度聞いている。話が進まねぇ。耐えろ」
「……」
何とか、力無く頷いた。
「時間が無ぇ。再度説明する時間なんて絶対に無ぇ。続ける。この場所、【始まりの園】は、異なる時間と異なる時空が折り重なるように繋がっている場所だ。だから、場合によっちゃあ、自身の親の子供時代にひょっこり出くわすなんてことがあってもおかしくは無い。敢えて例に出したのは、俺が知ってるお前の知らないお前の事情の中で、取り敢えずそれが、起こったときにお前が一番動揺しそうだからだ」
「……。感謝……します……。予め覚悟さえしておければ……耐えられない……こともない……」
「お前の母親の在籍記録は無い。お前の父親だけだ。お前の近しい親族でも、在籍していたのは、お前の父親を除くとお前だけだ。後のは離れ過ぎてて実質他人だ」
「よく……あるん……ですか……」
「稀によくある、ってくらいだと思うぜ?」
「一応、覚悟だけは……しておきます」
「そうしとけ。で、だ。あのお嬢ちゃんも参加するらしい。よかったな」
「まぁ」
と、軽く流しつつも、内心無茶苦茶ほっとした。
「あの学園長のことだから、わざと何かイベントを用意しているだろう。その対象がお前にされないとは言い切れない。こうやって控室が用意されているのは、最悪逃げ込む為でもあるし、せめて最低限の説明と心構えをさせるため、っていうのもあるらしい」
「魔法使いって、大概は…―」
「ま、そういうことだ。だから本当に最低限。何が起こるか分からないっていうのと、その実例のうち、最悪の一つを説明することになっている」
「……?」
「さっきの話。お前の父親、じゃあなくて、お前の母親、に入れ替えてみろ。そんでもって、考え得る最悪を想像してみろ。もう、お前なら分かっただろう」
よくて、まだ生きて存在できてるだけれども最悪。悪くて、いや、ある意味救いなのかもしれないが、消滅。
「……。学園長、もしかしなくとも、邪悪、そのものなのでは……?」
「だから、気をつけろよ」
と、師匠が魔法で扉を開け、私の肩を叩き、立ち上がり、消えた。
どすんっ!
「痛っ……」
私の椅子まで消して……。