魔法がとける刻 Ⅰ
猶予は、刻限迄。
私は――生かされた。
様々な思惑が絡まった結果であって、決め手があった訳ではない。
(まるで――あの日のような、灰色の空)
無力に地に横たわっていた私は、痛みに抗って、立ち上がる。
「何で、お前が生きて居る」
ドスッ!
師匠、ではない。……。師匠。そう呼ぶのは、もう禁じられたのだった。私の腹に、また一発、蹴りを入れたこの人は、師匠の仲間の一人。
あの日までなら、十分、耐えていられた。だが、今は違う。栄養も休息も足りないこの弱った体では。それでも、折れたり潰れたりしないのは、そういう魔法を、掛けられているから。
だが、それだけだ。気絶はする。そうすれば、手間を掛けさせることになる。迷惑に、なる……。振り翳される、拳。避け、なければ。避け……なけれ……ば。あぁ、この程度……で……
「何で、お前なんかを、団長は構った! そのせいで団長も、俺たちも、今日も―…」
「やめろ、この辺で。これ以上は、制約に引っ掛かりそうな気がする」
制止が入る。
ここは、騎士団のキャンプ地。私の生家と森を挟んで、その向こう側に変わらず存在している。
固くなったパンと、僅かな澄んだ水の入った蓋の無い器。自らいたぶられ、嘗ての恩人たちに過失を与えるリスクを与える代わりに、糧を得られるという、約束。師匠がもぎ取ってくれた、約束。
(師……匠……)
私は、ふらつきながらも立ち上がり、頭を下げ、また、森へと戻っていく。師匠とは、あの日以降、一度たりとも顔を合わせることはできていない。
あの日。
あの王子の腹案だ。未だ姿すら知らぬあの王子の。大人になるまで、人生に大きく関わる選択を、後戻りできない形で、意思を持たぬ子供のうちに、自由を扱えぬ子供のうちに、実質的に強要されることを防ぐ為と。
案を通すに、私という存在は都合が良かったらしい。目を付けられていた、ということだ。
それと、私の生家。師匠。その三竦みで、私は、望み通り、猶予を与えられた。
実質的な死罪に等しいから。
そして、王子が導入を求めていた齢による罪の制限をクリア。私の生家の、汚名の切り捨てが為の私という存在の排除という絶対に外せない要望をクリア。そして師匠の、さんざん嬲って利用までして棄てようとしているのだからせめて最後の望みくらい叶えさせてやれという情けをクリア。
尤も、師匠は、私が為にやらかし過ぎた。だから、要望を通す為の代償も最も大きく、師匠は、自身の仲間たちもろとも騎士団を強制的に結成させられ、そのときまで逃れてきていた本人の血の義務と重責を背負わされ、雁字搦めにされ、そして、時がきたら、師匠が私を断罪することになっている。
あと何日だ……。
国中の村々を廻る、今年の、魔力試験隊が、この領域を訪れるまで。
未だ、報せは届いていない。だが、そう猶予は、無い。未だ、一度たりとも、発動に成功したことは、無い。
ふらつく体。
切株に座り込んで、立て、ない……。力が、入らない……。
騎士鎧を、展開する。腰から下だけ。奪われなかった。どうしてか。どうしてなのか。……。分かっている。逃げはしない。絶対に。
師匠は、騎士としての上澄みの中でも上澄みだ。通常では有り得ない、魔法使いを上回ってしまうくらいに。だからこそ、敵は多く。私は師匠の、枷と成り果てている……。
折れる……訳には……いかない……。全てが終わる、その瞬間、まで……。
「啼け! 居貫く雷!」
力が、抜ける……。何も、起こらない……。
……。
…………。
………………。
眩……しい……。陽の光、とは……違う……。この灯りは、魔力の……灯……だ……。
想起、させる。
目も覚めていないのに、我ながら器用なものだと思う。その器用さを、どうして魔法の才に、割り振っていないのだ……。
『城壁に囲まれた街の中。その街外れ』
『薄汚れた一つの家がありました』
『擦り切れた布団の上で、目を開けない、微塵も動かなくなった、痩せこけた子供がいました。傍で崩れ落ちて動かない母親がいました』
幼い頃、語り聞かせてくれた物語。
今思えば、そんな亡き母の語りは、奇妙だった風に思う。
『母親にとって、ただ一人の家族は、失われてしまったのです。かけがえのない宝物が、失われてしまったのです。ただ一つの、生きる希望が、失われてしまったのです』
『よくあることです。何も特別なことではありません。私たちは当事者じゃないから。けれど、当事者たちにとって、それは、特別で絶対な、不幸。そう。絶望、です』
『絶望したら、心が、壊れます。もう、笑えません。立てません。息もできないかもしれません。生きていられなくなるかもしれません。死んだら死んだで。死ななかっても、死んだに等しいです。それは、絶対です』
『救うにはどうしたらいいですか? そうです。絶望が、無くなるしかありません』
『でも、どうやって? そうです。子供が、生き返ればいい。たったそれだけです』
『ですが、そうです。それは、絶対に反しています』
『そうです。そうです。死んだ人は、生き返りません。生まれて、死ぬのは、一方通行なのです。絶対に逆行はできません。絶対の法則です』
『そう。絶対なのです。人を救うことに長けているお医者様でも、何でも買えるような大金持ちでも、何でも望むが儘のような王様でも、その絶対には逆らえないのです。』
『その母親は、そのどれかですらありません。だから、より不自由で、より、どうしようもない。足掻くことすらできず、無為に祈りを捧げ、絶望するだけです』
そうだ。これが、多分、最初の想い。
私は縛られて、いるのだろうか。間違い、なのだろうか……。
『嫌、ですよね。そんなの』
ん……?
『泣いても、どうしようもありませんよ。ほらほら。ほらほらほら。覆せる者たちが。神様でもないというのに』
『【魔法使い】だけが、絶対を覆して、奇蹟を起こせるのですから』
確かに……。私の言葉では、無かった、のか……。
『ほぉら。助けを求めてみなさいな。声なき声でも構わないのです。悲しみを、抱くのです。見つけてくれます。神様なんかじゃあなくても、見つけて、くれます』
『ふふ。魔法使いになりたい、ですって。ライト。随分と嬉しいことを言ってくれるようになりましたね。そう、なれたらいいですね』
『誰よりも早く、誰も気づけない、泣いている人を見つけるの? 雷のように、かしら? それとも、照らす光のように? なれる、でしょうね。いつか、きっと――』
きっと、この時なのだろう。最初に唱える魔法の文言を、紡いだのは。
ぱちり。
虹色に輝く狼煙と、それに随伴するようにたちのぼる黄光の柱が、2つ。いいや、1つ。
(早……過ぎる……。認識を、ごまかさ、れ……て……いた……)
真夜中なのに、遠くに見えるそれ。
森を越えて、その向こう。ここから最も近い街。そこへ向かい始めた、ということ。
もう、一日たりとも、時間は、無い……。