儚く虚ろな闇色の瞳 Ⅷ
それから、どれほと時が流れただろう? 多分、それほど経ってはいない。
私の身体は重い。
年に不相応に大柄であるし、筋肉は脂肪よりもずっと重い。
木にもたれかからされるように、彼女に、置かれた。
歪んだ視界で、彼女を見た。
彼女も、泣いている、ように、見えた。だって、頬が、赤かった、から。一緒に泣いてくれたのだ。ただ、憐れまれるだけよりも、ずっと、いい……。
「無様を見せた……。それに……きつくあたって……すまない……」
少しばかり立て直したのか、矛盾にも気づいた。
匂いが、無い。人間に匂いが無いだなんてことは在り得ない。消している、訳ではない。だからこそ、矛盾として感じているのだ。
それに、熱も、触れた感じも、無い。それなのに、確かに、彼女は先ほどまで、私を支えていた。
消すとしたら、一つだ。複数。それも同時に。それができるのだとしたら、彼女は――魔…―
「いいのよ」
進んで、碌でなしになる必要何ぞ、あるまい。
彼女はくるっ、と回ってステップを踏みつつ、私から離れ、
「また、会えたらいいわね。こうやって二人きりで。今度はもう少し詳しく聞かせて欲しいわ。今はいいの。私が浅はかだったから。消化に時間が掛かりそうだもの。じゃあ、またね」
口元に手を当てて上品に笑い、私に背を向けた。私から、離れて、ゆく……。
「待ってくれ!」
立ち上がり、手をのばしながら、叫んでいた。どうしてだろう。そんなこと、するつもり微塵も無かったのに。
何だか、怖かったのだ。
喩えるなら、そう。夜が未だ怖かった頃。あの、無力な数日間。森での独り。迎える夜。
そこで終わりにはならなかった。
一歩、二歩、三歩、
駆けたその足で、立ち止まったまま、こちらに背を向けたままの彼女の、手を、とっていた。
「置いて、いかないで、くれ……」
何を、言っているのだろう……。
「君も、あの学園の生徒、なの……だろう……? あそこはああいう場だ。部外者の接続何て、赦す筈が無い。名前すら知らない。だが、私のことは、話しただろう? なら、一方的ではあるが、知り合いだ。知っている、か? 知り合いとは連れ立つものだ。どうか、一緒に、戻っては、くれない、か……。独りじゃあ、ここに、引きこもって、しまい、そうなんだ……」
何を……、言って、いるのだろう……。
そのまま、彼女の手を後ろから握ったまま、背を押して、前に出て、手を引いて、森を掛けている。
スタタタタタタタ――
ビシャッビシャッ――
小川を、つっきっている。
彼女の手を引いたまま。私も彼女も、その足はずぶ濡れだ。
何を、して、いるのだろう……。
森を――抜けた。
喧噪。
人垣がふいっ、と離れ開いて、私は出たときと同じ場所に。彼女の手を握ったまま。
師匠は転がってはいない。血痕は――かなりのものがある。
血溜まりでも作っていたかのような。
おかしいな……。私はここまではしていないぞ。と、なると……?
周囲を眺めた。ローブ姿の顔の隠れた、数多。
遠巻きになった、彼ら。その視線は――私に、ではない。彼女を、向いていた。
その空気を知っている。
これは、恐怖、だ。
私の隣、俯く彼女は、今にも泣き出しそうに、なっていて、それを抑え込むように、堪えているかのようだった。
「まさか、こわく、なにの、っていうのは…―あっ、待って、くれ……」
起こりからはっきり捉えていた。
しかし、彼女は、私の握る手をすり抜けて、透けてゆくかのように、歪み、浮かんだ、森の光景の先へと、消えていった。
景色は消え、元の人垣が見える。
彼女の痕跡は、もう、どこにもない。
これで、どうやって、再度会えというのだ? 街の規模からしてこれだけ広く、これだけ多くの学生のいるこの街で。姿形何ぞ、偽ろうと思えば、幾らでも偽れる。魔法使いなのだから。だから。だからこそ、絶望的、だ。徹底的に避けられたなら、見つけること何ぞ、叶わまい……。
わたしは、ただ、立ち尽くす他、無かっ…―
ガシッ!
「っ! 誰だ!」
それは、知らない大人の姿。
明緑色の、長さの異なるぼろきれを幾重にも重ねたようなローブを来た、ちゃんと顔を出した、私と同じくらいの背格好の、獣のように赤混じりのオレンジ色の毛で獣のように毛むくじゃらな、茶黒い肌色の、くすんだ緑の目をした、猛禽のように獰猛そうな眼付きの、年配らしき圧ある男。
「ウィル・オ・ライト。今まで貴様、何処にいた?」
この、憤怒を色濃く含んだ気配。唯事、では無さそうだ……。
知らない男だが、私の名を知っているその男。つまり、事態は、私を放っておいては、くれないらしい……。
儚く虚ろな闇色の瞳 FIN
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