儚く虚ろな闇色の瞳 Ⅵ
じっ。
じぃぃっ。
(おいおい……。この期に及んで、また、黙りこくるのか……? 眠らないとまずいのだ。明日に何が待ち構えているかも分からない。ここの生活に慣れる慣れない以前な、まだ初日だぞ……)
じぃぃぃぃぃぃぃ。
未だ、潤んだ目。
黒い、闇色の、光のない瞳孔。涙の痕は無く、赤みも引いて、益々、青白さが際立つ。
「こわく、ないの?」
目の前から聞こえた。彼女が、目の前に、あった。息の掛かる距離に、あった。黒い目は、数センチの至近に、あった。
動揺は、無かった。脅威も、圧も、そこには無い。
それに、目の前の相手はある種の不思議の体現であり、まあ、これくらいは起こってもおかしくないと、脳裏で何処か、予想できていたのだと、思う。
でも、それは話をする距離ではない。私は、数歩、引いて、立ち止まり、言葉を返す。
「全く。が、また、だんまりに入られてしまったら、それはそれである意味怖くなってくるかもしれない」
どうなのだろう? 何を考えているのだろう? 何がしたいのだろう? その大きな瞳の奥を見透かすことができれば、分かるのだろうか?
そんな彼女の目を見る。凝視する。より深く、深くへ。何か書いてないか? 何か写っていないか? ただ、興味があった。
こうやって、結局相手してるのだから、当然のことかもしれないが。
それに、一応こうやって、まともな反応を見せてくれたことだし、言葉の通じる相手であることは間違いないと分かった。
ただじっと、凝視する。周囲がもう少し明るければ、見えるのだろうか。そう思って降ろしていた、灯しっ放しの右手を翳そうとしたが、思いとどまる。
そういう問題ではないだろう。流石に、眩しい、だろうし。それに、見ようとしているのは形ないものだ。なら、そもそも、こうやって物理的に観測しようとしていること自体、どうかしてないか? それでも、こうやっていれば、切っ掛けくらいはそのうち掴めそうな、そんな気がどこかしらする。
じいいっ。
それに、こちらが何も掴めなくとも、何か向こうが拾い上げるかもしれない。
だが、どうしよう。このままじっと見ているだけというのも、変に疲れる。
それにもう、話すことがない。自分の話はもう散々した。なら、彼女の話でも聞けばいい、か? いやだが、また黙されたら、どうしようもないぞ……。
仕方無い。茶を濁そう。
「どうして、私が君を怖いと思わないといけない?」
要するに、じっと見つめ続ける以外で、今を、続けたらいい。話すことは、今、考えたらいいのだ。今のことを話せばいい。
数歩で手が届く距離の至近にいる彼女の目を覗き込もうと凝視する。濁りが見えた、ような気がする。言い回しが紛らわしかったかもしれない。しかし、言い直す必要は多分ない。そもそも、どういい直す、これ? これ以外に言いようがないのだから。
「こわく、ないの?」
距離を詰めてくることなく、目線は動かず。私を益々深く深く、覗き込もうとしているらしく、黒い瞳がより強く、私の瞳に焦点を合わせたように思えた。
「全く」
今度は分かりやすく言った。言えた、よな? 多分……。
「どうして?」
「私にとっての恐怖は、そんなものではない。もうとっくに味わった。絶望。それこそが、私にとって、恐怖なのだ」
「ぜつ、ぼう?」
「ああ、そうだ。私にとってそれは、魔法使いになれないこと。その一点だと思っていたが、どうやら少し違うらしい。何もできないのが、多分ただ、嫌だったんだ……」
「?」
口元に手を当てて首を傾げた彼女の瞳は、もう潤んではいない。年相応に幼げな彼女を見て、私は我に返ったのかもしれない。
自分は何故こんなべらべらと、初対面の相手に、相手の理解力をそっちのけに、浮かんだ言葉を剥き出しにしていっているのだろう? 喋らされている訳ではない。この空間のせいでもない。感知の精度だけは、高い自分が、それを間違う筈がない。それでも、口は動いた。暴かれた訳ではない。暴露したのだ。
「わからないのなら、それでもいい。だが、聞いて欲しい」
自覚した。それでも、止まらない、らしい。
こくん、と彼女はうなづいた。
「最年少での騎士叙勲と、最年少での騎士隊の長への就任。そうなる筈だった前日、私は声を殺し、隠れて、泣いた。誰にも見つからないように」
どくん。
どくん。
どくん……。
私が泣いて、どうする……。
それでも、止まらない辺り、もうとにかく、抱えていたものを誰でもいいから話す機会が欲しかったのだと、月並みな答えを仮置きした。
強がっていただけだったのだと思い知る。そう思うと、目を逸らしていたものを受け入れられた。私は誰かに泣き付きたかったのだ。救って欲しかったのではない。支えて欲しかったのだ。その道をゆくには独りでは辛すぎるから。
どうして、騎士なのだ。どうして、魔法使いではないのだ。わたしはわたし自身が惨めで惨めでたまらなかった。騎士としての才と高位への到達を讃えられるたび、私の内心は軋み、歪んでいたのだと思う。進めば進むほど、わからされる。やがて、絶望に辿り着く。欲しいものがどうやったって手に入らないことから逃れられなくなるから。挑戦すら許されなくなる。
叙勲まで――至れば。




