儚く虚ろな闇色の瞳 Ⅳ
あの人たちに世話になり始めてから、一度たりとも、私に顔すら合わせなかった父に、私は呼びつけられた。
独りで来るようにとのことだったが、私はあの人にお願いして、ついてきてもらった。
父の顔……。はは、どうしてだろう……。思い出せない、じゃあなくて、知らない。今になって気づいた……。間抜けなものだ……。
そんな、私の父という者が、呼びつけた私に告げた。
「お前は騎士叙勲を受けることとなった」
耳を、疑った。
だが、嘘や冗談で私に何ぞ、時間を割く訳が無い。だから、本当だと断じる他は無い。だが、云いたくもなる。だから言った。
「御冗談を。私は未成年ですよ? 前例が無いでしょう?」
「第二王子に手づから、証を賜ることとなった。日程は、こちらに第二王子が到着次第直ぐ、とのこと。恐らくあと数日。とはいえ、一日二日ではない」
「そう……ですか……」
本当だと確定したが、不思議と喜びは無かった。
「どうした? 不安か?」
そう、あの人が言う。私の父という者が、結局追い払うことはなかったから。
「ええ。まあ……」
ごほん、ごほん。
咳払いの音に、悲しさを覚えた。
「無様を晒さぬことだ。これ以上、我が家紋に泥を塗ることは許さぬ」
私は終ぞ、認められることは無かったのだな、と自覚させられたよ。それが分かる位には、私は早熟だった、ということらしい。
「領主、それはあまりにも……」
「貴様は黙っとれ! この、盗っ人が!」
「何も言いますか? 要らない、のでしょう? だというのに――赦しませぬ、よ。気の長さに定評がある俺ではありますが、一線は確かに、ある」
もう、嫌だった。
あの人の裾を引く。
いいのか、と言いたそうな顔。
いいんです、と私はとうに諦めていた。
そのまま、その場を後にして、その日を迎えることになった。私は――あの人たちの夢を踏みにじって、魔法使いになると言った。
一度たりとも、魔法の発動に成功したことがないにも関わらず。
あの人の、慈悲のような攻撃に、身を委ねることもせず、抗ってしまっていた。
そうして――自分ですら諦めていた筈なのに、私は、足掻いていた。
唱え、失敗し、力尽きて、を繰り返しながら、私の人生が終わる筈の日を迎えた。とうに、諦めていたのかもしれない。最後の日は、予期していたよりもはるかにはやく、訪れた。
私の父という者に対しても、私は酷いことをしたのだから、その仕返しをされてもおかしくはない。その可能性に気づけなかった自身がただただ不甲斐なかった。
自分の好きな終わり方すら成し遂げさせてくれるつもりは無かったということだろうか? だがそれなら、どうして、終わってしまった後まで、それを保たなかった? 確かに時間的にほぼ、どうやったって会場まで間に合わないとしか思えない程度の時間しか残されていなかった。
……。
嫌がらせとその満足感。確かにそれを重視するなら、そうだろう。だが、らしくないというべきか。完璧でないし、徹底的でもない。半端だやはり。らしくない。
あの冷たい人間なら、泥を掛けられたら、あの程度で済ませはしない。
なら、あの人の助力、か? 確かにそれはありそうではある。あの人はあのとき、私を結局殺さなかったのだから。あの人は業を振るわなかったのだから。
あのときでも、あの人の干渉の可能性はあると感じていた。だから私はせめて、ちゃんと、やってみたけれども、駄目だった、でお仕舞いにしようと思った。
そのために全力だった。
三人組の聖騎士を破って、会場である街になんとか辿り着いて、今の師匠に遭って、私は終わりを迎えようとした。
酷い天気だった。雷が近くに堕ちるくらい。
揶揄じゃあない。大荒れの天気だったんだ、その日は。
私は、唱えたよ。
こう、だと心に浮かび、毎日試し続け、不発だった詠唱を。
一発唱えて、もう限界。そして、不発で何も起こらないのが常だった。
後先考えない。その日だけは。だって――最後の日なのだから。泣いても笑っても。
そう不思議そうな顔をするようなことか? 結果は見えていた。それに、餓鬼だからって泣き喚いて欲しいものが手に入るくらい、世界は甘いものか? 少なくとも、私にとっては、甘くはなかった。
何度も、詠唱をした。
不発、だったよ。魔法には、基本的に、発動に至るまでに三つの段階がある。
一つ目は、結果の想像だ。その魔法によって起こるべき現象の想定、想起。
二つ目は、それをより具体的な形として重ね、重ね想起するための、増幅が為の、詠唱。
三つ目は、二つ目までの出来次第。至っていれば、世界の抵抗力を突き破り、現象が巻き起こる。世界の壁を越えれるか否か。それが、魔法使いに至るかどうかの境目だと言われている。二つ目までは、言葉さえ発せられれば、誰だってできるのだ。
発動に至れるものの多くは、恐らく、憶えてすらもいない最初の詠唱でそこに至っているだろうというのが、多くの魔法使いたちの見解であるという。
できて当然。息をするように。そういうものであるらしい。だから多少不器用であったなら、何度かの失敗はあるらしい。鼻での息の呼吸の仕方を、人は生まれながらには知らないことと同じ。しかし、ひとたびできるようになったら、考えるまでもなく、それは容易く行える。
どうして、できないのか。どうして、できなかったのか。
今でも分からない。
ただ、よく、憶えている。まだわずか数日前だ。両手の指の数を満たすことすらできない。
御終いだと思って覚悟はとうに終えていた。それでも唱えるのを、不発だと分かっていても、詠唱にすら届かない声が声にならなくとも、終わりを決めるのは私ではない。
それは試験であり、儀式である。
裁きを下すのは、私を試す、目の前の人物でなくてはならない。あの人のお節介のお蔭で、私は、そうやって綺麗に終われるのだと、申し訳なく思いつつも、満足していた。
酔っていたのだと思う。自分自身に。
身勝手も極まる。
そうして――終わる筈だった、数秒前。
試験官たるその人は、透き通って、発光を失ってゆく、その薄紫色の水と紙片の入ったカプセルのような首飾りを眺めている。
「ふぅん。あーあ。仕舞い、か―…」
とても、ゆっくり、時間が流れ始めたんだ。
ガ――ラ――ラ――ラ――ラ――ラ――ラ――ラ、
はっきりと、長く、間延びするように、聞こえたんだ。下る、雷の、音、が。




