始まりの園 内地 学園外街 Ⅰ
「はぁ……。毎度のことですが……前もって説明の一つくらい、してくれてもいいではないですか」
少年は溜め息を吐き、肩をすくめた。だがその割にはその表情に影は無い。
「言ったら台無しだろうが?」
そう男は少年の傍で腕組みし、満足そうな表情を浮かべている。
そこは、環形の城壁を遠く背にした、草茂った平野。
舗装はされていない。草が剥がされて、黄土色の土の道が、先へ続いている。道幅は、人が2~3人ほど、幅を空けて並んで歩ける程度。荷車の類は通れる幅も固さも均一さも無い。
そして、少年の目ですら霞むような先には――街が、広がっている。家々が集合して建っている。
のどかな、ところだった。
風は爽やかで、とても静か。青空の下。穏やかな陽光。
何より、空気が――とても澄んでいる。
「いつもこうだったなら、頷けるのですがね」
一見、棘々《とげとげ》しい少年の言葉に、実のところ棘が無かったのはその満面の笑みから明らかだった。
「……っ……。まて……早ぇ……」
と、情けない男の声。
だいぶ先を歩く少年がその度に振り向き、
「なら、転移すればいいのでは? 私は歩いていきますので」
少年の声はどこか浮わついていた。
「そういう訳には……いかねぇんだよ……」
と、男は無理にでも、足を前に進めようとしながら、
「使えねぇんだよ、この区間は……」
そう舌足らずに言う。
「これを機に、慣れておくのがよいのでは? 師匠の場合、体力というよりは、身体の使い方の問題のような気がしますが」
「くぅぅ……。余裕ぶりやがって……」
「そういうつもりはないのですが……。師匠、どうしてそんなにしんどく感じているのです?」
「そんなん決まってるじゃあねぇか! ぜぇ、ぜぇ、ここは実質、山の上……。…………」
「標高が違う、ですよね? 加えてここは平地ではなくて、傾斜のある山岳」
「……。分かってるなら、早く言えよぉぉっ! はぁ、はぁ、はぁ、――」
「そういう洗礼、なのでしょう? 手際が良すぎました。洗練されているとも。新入生たちに教導として、恐らく、何度も何度も。その度に、改善や微修正を繰り返して、そして目的は恐らく、不自然や不思議に慣れさせること、でしょうか?」
「もう知らん! がはぁ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、」
と男は懐から、満月を象ったような、月の色をした岩のような優しく輝く、掌くらいの大きさのメダルを出し、握り、砕いて、
ガコンッ!
「『虚ろなる渦よ、怠惰を赦せ』」
男の足元に、紫の渦が発生し、男は、沈むように埋もれていって、渦と共に消えた。
「難しい……。元師匠が、私に抱いた懸念の意味が、今ならほんの少し、分かったような気がする……」
少年はそう、ぼそり、呟いて、
(まあしかし、この雰囲気を存分にひとりで味わえるというのなら、そう悪いことでもないのかもしれない)
浮かれた表情をして歩き出した。
きっとそれなりに長く歩いた。
碌に疲れない自身の身体は歩いた距離の概算には不向きだ。だがそれでも、一時間やそこらではない。もっともっと長い時間歩いている。
まあ、その答えは、街の始まりであろう、扉の無い木の門の前に立つ、師匠に聞けばいい、と、少年は駆け出した。
「随分早かったな……」
「そう申し訳そうにするくらいなら、置き土産にいじわるなんてしなければよかったのでは?」
「そういうつもりなんて無ぇ! ちょい、忘れてただけだ。あんなもん、へとへとな俺だってどうにでもできるもんだ。ましてお前なら何の問題にもならねぇ。だから、そもそも、危険とも障害とも思って無ぇ!」
「私が悪かったですから、どうか」
と少年は頭を下げる。
「で、どうだった?」
「ええと、これですね」
血糊で薄汚れた紙片を少年が男へ手渡すと、男は魔法でその汚れを除去し、内容に目を通し、成程、と少年にそれを返した。
【ようこそ、新たなる魔法使いの卵。生きる道を真反対に進んでいる貴方ですが、その先に貴方の望む未来はあるのでしょうか。そもそもその道に本来相応しくないはずの貴方がその道を踏破することは叶うのでしょうか。 -園の長老より、未だ何でもない卵の貴方へ-】
「あと、これですね」
「ん? 他に何か、だと? そんなのは聞いていないが。……っ!」
少年が見えたのは、何の変哲の無い剣。ただ、あの下水の先で、少年が手にし、振るった、何の変哲も無い剣。
「あとこれも」
【少年にはそれが必要だろう。壊したり失ったなら、ボクのところまで来れば、代わりは幾らでも渡す準備がある。だって君は、黒亜の初めての弟子だもの。それに、実のところ、ボクは君を気に入った。だからついでに教えておくよ。騎士の装備は、ここでは恐らく、ボクのところでしか用意できないよ。だから末永く、よろしくお願いしたいものだよ】
「おいおいおい……。はは……」
少年にはまだ、男のその複雑そうな面持ちの意味はでは分からなかった。
「早く中を案内してくださいよ。昼がたとえいつまでも続くとはいえ、私たちが眠気に誘われるまでの猶予は多分そう長くは無いでしょう?」
そうやって、男を引っ張っていくくらいには。