デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク 起こり 吸魔吸精域 Ⅴ
嘘みたいに静かな場所。
小川のせせらぎ。夜の森。
そう。そこは――彼女の領域。
「わたしのかけた、ちょっかい。気づいたのは二組だけ。うち一組とはコンタクトがとれそう、かしら、ねぇ……。でも、どうやってここに引き入れようかしら。引き入れるべきかどうかは、やっぱり入れる前に判断してしまわないと、ダメよねぇ」
と、爪を噛む青藍。
穏やかな夜の草原。森。流れる小川。そこは、青藍自身の領域。
「いよいよ……、お動きに……なられるのですか……」
連れていたのは、このパークにおいての自分たちの専属となった、白磁の係員、こと、コンシェルジュである。
「お蔭様で、色々と楽になったし。それに、いつまでも何もせずに引きこもっている訳にはいかないもの」
その足元がふらつく。
「っ! 無理はしないで。わたしの肚の残留物を吸ったとはいえ、万全には程遠いでしょう?」
「申し訳……ございません……」
「いいのよ。実った果実は喰らわず、預かってくれた訳だし。隠そうともせず、明かしてくれたじゃない。黙って喰らうこともできたでしょうに。今の浮かれた、わたしなら、容易く騙すこともできたでしょうに。わたしのこの力の通らない貴方であるならば」
「……。それでも、未だ未だ浸れる筈だった余韻を奪う結果になりました……」
「お蔭で猶予ができたわ。ライトも言えば覚悟は決めてくれるだろうけど、しこりが残る。無理で性急な決断なんて、不安定な土台を重ねるようなもの。冷静になって、わかった。未だ、わたしには早い。覚悟……できていなかった、なんてことはないけれど……。この気持ちに気付けたことはとても大きいと思うの。この後直ぐに、肚に戻して貰うことになっても、大きな間違いはすぐさまは犯さないでいられると思うから。それに、わたしくしは第二世代。本来あり得ないはずの第二世代。魔女は血による係累を紡がない。わたくしはその例外。だから、何が起こるか分からない……。機能に欠けが無いのかも分からない……。元より、お願いの候補として考えてたわ……。戻ってから、じっくり、密かに、気づかれないように……。だから、ほんの少しだけ安心してるの。打ち明けるつもりではあっても、独りで抱えるには重いわ」
「そう言って頂けるのは幸いですが……」
「貴方に頼る以外では採れない手段なのだし。長いお付き合いになるのは決まったようなものなのだし。それに、貴方に今手伝って貰う為に、わたしはこうしたけれど、ライトだったらもっと無茶な方法で、あなたを回復させようとしたかもしれない。残滓なんかじゃあなくて、もっと確実と思える手段で」
「それこそ……わたくしの目の前で……?」
「やるでしょうね。説明も無しに。わたしなら分かってくれるって全力の信頼の感情を向けた上で。貴方には事後説明事後承諾。その方が成功率が高いと踏んで。そうして、なされるがままのわたし。きっと抗えないの。だって、身体だけじゃなくて、心まで愛されてるって分からせられた上での行為ですもの――って、惚けている場合じゃあないわよね」
「……。…………。御やめください。……。抗え……ません……。餓えております……。根本から満たされたこと何て、一度もない……。自らの幸福でも、最も愛する者の幸福でも駄目。わたくしは、そういう生き物なのです……。ですから、後生ですから、御やめください……。唯の喩えのおつもりでも、御やめ、ください……」
「わたしが悪かったわ……。どうか……してるわね……。あはは……、わたし、もう、崩れ落ちそうだわ……」
「……。では、青藍様。打って出ましょう。その方が説得力もありましょう。申し訳ありませんが、保留になっている権利の枠を使い、最低でも、一時的な、ドレイン耐性を獲得すべきだと進言させていただきます」
「わたしより、先にライトにじゃあ、ない?」
「ライト様は大丈夫でしょう。貴方様と交わった結果、得た力の一つとして、数多の事象への耐性を獲得なされているようです。それこそ、概念系以外でしたら、状態異常、状態ダメージの類とは無縁でしょう。硝子としての力、ですね。唯一の例外は火というか、熱でしょうか。高熱。それにだけは以前よりも弱くなっておりますね。光の魔力を前面に出している間はその限りではないようですので、さほど問題では無いでしょう。青藍様の受け取った分は、その……、過半が……」
「じゃあ、返…―」
「無理ですって! とんでもないこと言いますね、貴方! 原型残って無いですから! それに御子から徴収なんてもっとありえないですから」
「貴方の種族の中での、タブー、みたいね……。わたしたちでいうところの、腸や膀胱の中身をこしとってよこせ、っていうみたいなものね。下手すれば、それ以上……? ……。ごめんなさい」
「鬼畜の所業とされる類ですので、つい……。…………。感情の制御が効きにくくなっておりますね。お互いに。貴方様の世界に籠っていてもこれです。外はどれほど悪化しているか、あまり考えたくありませんね……。…………。話を戻しますが、青藍様に関しては、無属性、純粋たる魔力の行使が限定的ですが行えるようになっていますね。発展すれば、特定の種類の概念の乗った魔力へと至ることでしょう。具体的にそれがどういった実を結ぶのか全体像は、未だ、見えてはきませんが。……。この辺にしておきましょう。どう動くか決めてしまわねばなりません。青藍様の力による連絡を取れなくなった場合も考えて。打って出る、とはそういうことでありましょう。貴方様の世界の維持だけであれば、わたくしだけでも暫しの間であれば叶いましょう。出入口の作り方だけ、最低限指南して頂ければ、貴方様がライト様から託された役割、代わりに果たしましょう。ですから、どうか。事態を収め、大事な最初の夫婦の話を、無事、ライト様に!」
「……。ありがたいけれど、どうして、気が変わったの……? 貴方のスタンスは後方で身を守ることに重きを置いていた。それは決して、貴方が逃げているという訳ではなくて、貴方の力、外のアレとの相性の悪さも踏まえた上での最適解といえるわ」
「嫌だって気づいたのですよ。隠れているだけ。逃げているだけ。後方といえば聞こえは良いけれど、結局はそういうこと。夫もまた、矢面に立っております。その性質故に、誰かと組むことはできないとはいえ。……。護られているだけ、なのが嫌だった。わたくしも前に出たい。足手纏いにならない限りの際限まで、できることをやりたかった。わたくしも。今回の事が終わったら、一度じっくり、話してみようと思います。その為にも、わたしも立ち向かわなければ。アレに。貴方様にあてられた、バカな女とお笑いになられますか?」
「笑う訳が無いじゃない!」
そう、青藍は、念じるように世界を割いて、出口を創り出した。
そして。
左目を拭うように爪先で。その指先にいつの間にか、それは、具現化して存在していた。それをそのまま、青藍は、コンシェルジュへと手渡した。
透き通るように薄い。
「これを渡しておくわ。この世界の鍵よ。持っているだけでいいの。たったそれだけで自在。どれ位自在かというと、意識が落ちた後に閉じることを望んでいたら、ひとりでにそういう風になってくれるくらいに。だけど注意して。それ、二つ迄しか存在できないから。もう一つはライトに渡すものだから。指輪の形にして、渡そうと思ってるの。そう。まだ渡せてないの。絶対に失くさないでね。失くしたらそれこそ、お願いしてでも探し出して貰うから」
光沢とグラデーション、切りっぱなしな四編を持つ、掌に軽く収まる程度の小ささの、正方形の藍色の布切れ。
「それと。わたしの座標で構わないから、説得に成功した人たち、片っ端から送ってくれたらいいから。遠見はできなくても、それ持ってたら、わたしの座標だけはズレなく分かるから。やられはしないわ。いざとなればコレを外す。そうすれば、わたしは掛け値なしの魔女だもの。負けることだけは無いと言えるわ」
「待ってください! それなら、貴方様は単独ユニットとしてお動きください。それか、ライト様と合流! その瘴気、無理です! 本能に訴えかけてくる嫌悪感。そんなものを抱えて、即席のチームなんて悪い冗談ですよ! 耐えられる、もしくは効かない類は、逆に、外のアレとの相性がすこぶる悪いでしょう。わたくしのように。だからこうしましょう! 集めて率いるのはわたくしがやります。貴方様は緊急回避または回復、ここでなくてはいけない者たちを放り込むくらいにしておいて、存分に蛮勇をお振るいになってください!」
「ふふ、貴方そういう質だったのね。繕わず。縮こまらず。その方がいいわ。わたしにも彼にもその方がずっと、合っているもの」
「では、早速そうさせて貰いましょう」
門は閉じられた。
青藍ではなく、コンシェルジュの意思によって。
「わたくしたちも二手に分かれることとなった以上、しっかりと方針を決めておきましょう。わたくしも貴方様も。このままだと行き当たりばったりになりかねません」
「二手に分かれる、っていうのは決定事項でいいのよね?」
「はい。それを決め事の土台と致します。何せ、相手は巨大。例としては適切ではないかもしれませんが、ある種の巨大怪獣のようなものです。正真正銘の化け物です。化け物には化け物をぶつけるか、とにかくたくさん集まって立ち向かうか、逃げれるなら逃げる、のどれかでしょう。青藍様なら、選ぶのは一番目でしょう? そしてわたくしは二番目。三番目はそもそも、封じられておりますし。そして。外からの助けという可能性も無いでしょう。あるならば、何かしらの大きな変化が生じている筈です。それこそ、ある種の巨大怪獣の顕現、な訳ですから」
ざっ、すぅぅ、と丸っこい線で地面に引かれた、線画。
なんともかわいらしい、あばれる人面樹。ほっぺらしく、細長い円が、スクラッチしたみたいに二つ引かれた。
幼木ということ。
巨大であるということ。
パークを檻のように、包んでいるというか、背負っているというか、抱えているというか。
でも、どうしてこんな急に。まるで、視野が突然広くなったかのよう。渡した鍵にそういう効果があるかの検証はしたことがない。渡す相手がこれまでいなかったし、渡すべき相手に二の足を踏んで渡せていなかったら。だってそんなもの、重すぎるでしょう? ただでさえ自分は重いと自覚があるのに。
「ライトも言ってたけど、目的が見えてこないのよね。大怪獣だとしてもそう。何がしたい、のかが見えてこないの。命を吸う。記憶を吸う。経験を吸う。積み重ねてきた時間を吸い上げる。そのどれだとしても、半端。真にその手の存在だとするのならば、そこには躊躇なんてありはしない」
「目的。そんなもの、最初から存在しないのかもしれません。わたくしからすれば。わたくしたちよりも、貴方方にずっと近いような。そんな気がするのです。精霊の類とも違います。それこそ、世界樹の幼木…―幼芽! あぁぁ……何ということですか……。何ということなのですか……。自分が何を考えているかも分からないけれど、自意識はある、一応ある、そんな位の、赤子と幼な子の間!」
話が跳躍する。コンシェルジュのそれに慌て、引っ張られてゆく青藍。
「落ち着いて。ここは世界樹を戴くパーク、よね? そんなバカみたいなこと、ある? 管理体制の一つや二つ…―あっ……! あぁぁ……。 あ、ありそう……。わたしの師匠が何か仕込んだかも。ドツボに嵌まりそうだわ……。思い当たる節、まとめて置いとくから、優先順位高いと思ったら探って。それ、外見の水晶としても使えるから……。わたしはライトと合流するわ。仕込みの対象として、ライトとわたしというのも存分にありそうだから。何かわかったら、さっきの鍵を手にして念じてくれるといいから」
そうして、彼女自身も飛躍した。
どうしてそんな当たり前というか、いかにもありそうなことに、目が向いていなかったのか。いつの間にか靄の中にいたということに気付かされたかのよう。その癖、気づいたら、迷いは変に晴れるし。
しかし。それが用意された誘導だというのならば、乗るしかない。それは如何にも、あの人が好みそうな導線の引き方だと、弟子である彼女は確信した。
「それと、現状わたしに割り当てられた分の願い事、全部貴方に渡すから、うまく使って。じゃあ、急ぐから。任せたわよ」
自分ひとり分に縦に空間を小さく割き、スッ、と、青藍は
「青藍様、待っ…―」
その空間から消えた。