始まりの園 辺境 逆巻く彼方の陽影の城 Ⅳ
ベチャッ。
スタッ。
着地音が二つ。そして、その音はそれぞれ明らかに別の音。
「……」
「お前のことだから、何も言わなくても避けると思って……」
少年がハズレを引いた方。
男のそのあまりの雑さと、嫌な信用の仕方に、少年は、鼻を指でつまみ、抑えながら、じとぉぉ~、と責める。
「くさい……」
「ヘドロだからな」
「どこです……ここ……」
「下水道だ」
「予め言っておいて貰えたら鎧展開できたのに……」
「ありがたいありがたい魔法の鎧をそんなことに使おうとするなよ……」
「暗くてほぼ何も見えないんで身動き取れないんですけど……」
「照らせばいいだろ?」
「……」
「?」
「やり方……分からないです……。それに、何があるか分からないとこで試すのは色々怖いです……」
「荷車の中ではどうやってた?」
「右手で覆いつくって、左手の指先から放出、って感じです」
「やってみてくれ」
「リンゴの袋が……」
「あっ……。しゃあねぇな。『爪先蝋燭』」
男の左手。その五本の指先。爪の白い部分が、焔色になって光りながら、ほんの僅かに火の粉のような塵を散らす。
「まっ、この通り燃費が悪いし、使い勝手もクソだ。後ろをついてくるお前が、ぬかるみに嵌らない保証はできねぇな。おっ? やってれるのか?」
闇に隠れ、少年の、リンゴの袋を握った手だけが、男の方に差し出されているのが見える。男はそれを受け取って、少年の方へ微かな灯の燭台になっている左手を向け、ニヤリと少年の試行を待つ。
「放出しなくたっていい。纏うだけでいい。収束しなくてもいい。集めるだけ。集めるだけ。『フラッシュ』」
ゥオゥンンンンン、ボゴゴォオオオオオオオオオオブウウウウウウウウウウウウウウウウ、ジュワァアアアアアアアアアアアアアアアアア!
光を、自身を中心とした球のように内から外に実体を持った壁のような密度で形成したそれは、雷のような性質を微かに帯びていたらしく、少年の足元の水気たっぷりなヘドロ溜まりを、吹き飛ばしたのだ、風呂の湯より少し暖かい、スープ程度の温度に温めて。
「っ! 馬鹿っ! あぁもう……、くせぇ……」
酷い有様だった。男のローブは、男が、自身の元に戻した、微かな灯の燭台になっている左手で照らされる顔から胸までの辺りだけでも、がっつり飛んだ泥を浴びたかのような酷い汚れようだった。
「っ……。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
少年は激しく息を切らす。
消費したのは、体力ではなく、自身の魔力。
「まだやるか……?」
「当然」
「そうか……」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。強すぎる、か。もっと、弱く。いや、はぁ、はぁ……、小さく……。自信無い……。指先じゃあ、足りない……。五本……、無理だ……。一本だけなら、いけるかもしれないが……。だめだ……針は、飛ばすものだ……」
魔法というだけあって、イメージに引っ張られる。そして、察しの通り、この少年のそれは、かなり強い。思い込みというか、意思というか。かの魔法『ライト・ニードル』がここにきて足を引っ張っている。少年の発動させた、『ライトニング・ボルト』と『ライト・ニードル』。そのどちらもが明らかに攻撃的な物であり、どちらも、貫く魔法である。
少年が今試行しようとしているそれは、全く方向性が違う。
「何で、魔法初心者のくせに、そんなやり方知ってんだよ……。あっ……! ……。あ、気にしないで続けてくれ」
男は何か気づいて、口を紡いだ。
「飛んでいってしまう……。駄目だ。戻さないと。それか、閉じ込める、か? 止める、は無理だ。できるならこんな回り道する必要はない……」
「はぁ……。はぁ、はぁ……」
ぐらっ、ピチャッ!
「おいおい、大丈夫か?」
「情けない……。堂々巡りじゃないか……。……。…………。………………」
スッ、グチャッ!
「おいおい……、何してんだ……」
少年が掴んだのは、浅い水溜り程度に残っていた、足元のヘドロ。さっきの少年の魔法によって水分の多くを飛ばされたからか、それは、糸引くほどではないが、先ほどまでもだいぶ、ねっちょりしている。
少年はそれを握り、固め、そして、ふわっ、と浮かせるように投げ、
「『フラッシュバインド』」
そう唱えた。
すると、それは動きを止めた。前方へと飛んでゆく動きも、後ろ回りな回転も、下方への落下も、何もない。完全に制止している。
少年は、宙で静止しているそれを、目頭に皺を集めるほど強く、凝視している。
「っ?」
(おいおい……。どうなってやがるこれは……。【時】の系統、じゃあない。【無】の系統でも無ぇな。はぁ……。よかったぜ……。いや、だが、ならこれは一体、とうなってやが…―)
キィ、キィキィキィン、
「……っ?」
謎の音。複数ずれて、重なるように。そして――ビビビビビビビビィンンンンンン!
レイピアの刃程度の太さ大きさ、少年の指先から肘程度までの長さの、数本の光の刃が、その球の中心を通るように、交わって貫いていた。
まるで、内側から、刃が咲き乱れたかのように。
「……」
「はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……」
「…………」
「き……つい……が、でき……た……」
「………………」
「どう……です……? つかめ……ますし……、多分……、消え……ません……。けっこう……長く……」
男はぽかん、と口を開けて少年を見た。何を言ってるんだこいつは? とまるで顔に書いてあるかのように。
左手の指先に明かりをともしているというのに、それを使うことも忘れ、白く蛍光する、少年の魔法であるそれへと、足を進め、
コトッ、コトッ、ベチョッ、ベチョッ、ベチョッ、
スッ、と、上側から、慎重に光の刃の先端を掴み、それが、まるで机の上に置いてあったものを手に持ったかのような重さが、つまんだ指先に掛かった。だが、
「見掛け通り、じゃあ、無ぇな……」
恐ろしく軽かった。魔法部分除いたヘドロ部分の重さしかないかのような。
「なにこれ……怖ぇよ……」
男は、刺さる心配が無いことを指先で確かめた後だったので、先をがっつり握って、ぶんぶんっ、と振り回してみせた。
「……それは……、はぁ、はぁ、はぁ、あぁ……」
中心にあった少年が握り、圧を加えた、ヘドロの塊が、罅割れるように崩れ、光の鋭くない刃は、それと共にすうっと消えた。
「すまん……」
「はぁ……はぁ……。もう、……むり……」
指先から『ライト・ニードル』放つ動きして、それは形にならず、かき消えたのを男に見せながら、少年は、何故か満足そうに微笑んでいた。