デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク 睦言日和 Ⅲ
「私は自身の母のことを知らず、君は父のことを知らない、か」
「ライトの場合、御父様のこともあまり分かっていないような気がするけれど……」
「まぁ……自覚はしているよ……。そもそも、知ろうともしてこなかったし、知りたいと思わなかった。今も変わらない」
「けれど、御母様のことは、知りたいと思ってるわよね」
「……」
「そのためには、御父様に協力してもらうしかないわよきっと。本当に、そんなに、御父様は頭が固い?」
「……認めたくないんだ……。状況が物語っている。分かってはいるさ。だが、なら、学園に至るまでの私への仕打ちは何だ……?」
「きっと、答えて貰えないでしょうね。今は。きっと、大人として、一人の人間として、対等な存在として前に立たないといけないでしょうね。そのときは、わたしもついていくわ」
「結婚報告がてらとでも言うつもりか?」
「それくらいの理由がないと、ライト、踏み切れないでしょ?」
「……。それもそうだな」
いつの間にか――眠っていた。
彼女は――未だ眠っている。
自分は――安堵した。どうやら、本能からくる欲は、まだ十分に腹がすくまで余裕があるようである。
多分彼女の方も大丈夫だろうと、穏やかにリラックスして眠っている彼女の全身を見渡して、すん、と匂いをかいで、結論付けた。
毎晩あんな風に欲が押し寄せてくると、毎日の生活に支障が出る。
四日に一度でも、発散にあれだけ時間が掛かり、後日に体力消耗が尾を引くなら結局駄目。
下手すれば、薬の類にでも頼って、抑える術を得る必要があっただろう。
「コンシェルジュ」
そう少年が呼ぶと、
「如何様に致しましょうか」
すぐに、専属応対人が現れた。
「私たちの衣服と朝食の用意を頼めるだろうか」
「衣類はここに」
既に予想して、持ってきてくれていたそれを受け取る。自身のだけではなく、彼女のそれもあって、彼女の下着も含まれているが、もう、それに触れることに恥ずかしがったり興奮したりする段階は既に過ぎているので少年は特に気にしなかった。
「朝食ですが、胃腸に優しい温かな飲料で如何でしょうか。お二人共、普段の食事でしたら胸やけ確実かと思いますので」
「では、頼む」
「おはよう。はい、着替えだ」
と、目を擦りながらお眠な彼女にそれを手渡す。
「んん……、着せて~」
「えっ……?」
「ん……教えるからぁ……」
という彼女のお寝ぼけなお甘えを少年は生真面目に受け止めた。
何も纏っていない彼女に下着含め衣類を着せるなんて、実に変態的な行為を、興奮ではなく、戸惑い交じりにも真剣に行って。
まだお寝ぼけな彼女に、薄緑な液体の入った、細長く透明なグラスを手渡した。
彼女はそれをごくり、と呑み、穏やかな表情をしたかと思うと、目も意識も冴えたようで、頬を赤らめてしまった。うすぼけた直前までの痴態を直視するかのように思い返してしまって。
「これからも肌を重ねるんだ。それに。これで君がもし寝込んだとしても着替えさせてあげることができるようになった訳だ。勿論、行為の際のそういう遊びも吝かではないが」
「もぉぉぉっっっっ!」
胸板をぽんぽんぽん、と叩かれた。
「はっはっは!」
叩かれながら満足そうに胸を張った。
扉を出ると。
もうそこは外だった。公園エリア。
空いたベンチ。
自然と、彼女と共に腰かける。
もう十分に明るかったが、まだ早朝であるのだろうか。
人はまばら、どころか、自分たち以外には、遠く、通り過ぎるのが数組程度。
昨日の時点から内にいた客だけしかいない、と考えたら腑に落ちた。
「ライト。まずはココとかどうかしら?」
パンフレットを開き、彼女が指差す。
「ツリールートダウンフォールン!」
「一応訊いておくが、疲れた身体で泳いだ経験はあるか?」
「えぇぇ~? ……。そういえば、無いわ……」
「そんな顔をするな。エリクサーの残りでも口に含ませれば懸念は解消される」
「カラ元気だってバレてた?」
「ふふ。そりゃあな(寝起きのときは本能が静まっている確証が持てなかったから言い出せなかっただけだがな)」
「っ!」
灰色のローブのフードをを深く被った男が足を止めた。隣に立っていた、茶色くくすんだコートの女が離れるよう、跳ねた。
立ち昇るように吹き荒れた魔力の奔流。一瞬、絶望染みた表情を浮かべ、すぐさま。元のような、無表情で無気力な様子に戻る。
その男は、外れたローブを自身の頭に再度被せようとはしなかった。
曲がっていた背が、高くのびて、聳えていた。が、病人のように見える。肌は黄ばんでいて、白地に、シミに、痣に。爆ぜるような頬の傷痕。柘榴のように裂け散らかした青紫色の唇。そして、虹色を退色させたような、薄汚れた瞳。大きく、長く、しかし鋭い、深い目の隈。眉どころか、髪すら無い。両耳は、無い。痛々しい断面。穴は残っている。
それでいて、妖しく、美しい男だ。容易く手折れそうな位。
「絶無。どうしたの? 貴方らしくない」
女はそう言って、男のローブを戻す。
「……。昔の女がいた……。よもやこんなところで遭遇するとは……。幸福そうな顔をしていた。使いこなして貰える主人に出逢えたのだ」
「買われたとはいえ、今はわたしとのデートでしょ。絶無。今この場はわたしを見なさい」
唯の通行人でしかない彼らはそうして立ち去った。