デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク 賭場の握手 Ⅳ
「分霊の類に近い、か……?」
少年は剣を抜き、切り掛かり終えていた。平常より、さらに一手先どころか、二手先の早さ。そんな駆動ができたこと自体に少年自身が内心驚いている程。だが、その魔法の剣ではない普通の剣の刃は、歪み、対象を避けている。握りの内に痛みを覚えた。
少年の刀を握る手から、溢れ、滴り、肘にまで到達し、落ちる、血。激しく。小さな流れのように、続く。
少年は目の端で後方を捉え、目で問いかける。貴様の仕業か? と。答えは返らない。そしてすぐに、また、目の前の存在を睨む。
「血の気の多いこった。輩根性丸出しだな。騎士なんてもんはそういうもんだが。死にたかぁ無ぇが、死ぬなら、賭けの末に負けて死にてぇんだ。強い強い望みだ。唯の刃くらい捻じ曲げちまうよ。勝負の末。納得できる敗北の末になら、滅びても構わねぇ。分かってすらくれん。乗ってくれぬのだよ。誰も」
死臭が漂い始める。痛み始めた死体の臭い。腐敗の始まりのような。そんな吐息が漂うかのように。
「嘘、ね」
否定の言葉を口にしたのは少年ではない。彼女である。これまで少年の一歩後ろに控えていた彼女が、少年を今更ながら制止するように、否、少し違う。矢面に立ったのだ。何せ、
「貴方の欲しいものは、命じゃあ無い。貴方の為の命じゃあ無い。魔法使いの、固有の、力。純然たる抽出物。それは純然たる命の薪。生きとして生ける者全てに共通して使える万能の燃料。結果的に命を奪うことになる。たったそれだけ。でも、どうやるつもり? 命より大事な魔法を、魔法使いが掛けるとお思い? 本人の意図に関わらないところで縛られていることだって珍しくないというのに」
彼女は明らかに前のめりだった。食指が動いている。望むものがそこにはあった、ということ。
「読心か。鋭いがやはり、人外には効果が落ちると見える。 ん? 知っているとも。自身の状態くらい。人間なんてどう考えたって卒業しちまってるだろう。碌でなし相手に心遣いなんて不要だぜ? だが悪く無ぇ。だから教えてやる。俺が望むのは、この場を生かし続ける為の火さ。知ってるか? 生きている空間なんてもんが世界にはこうやって現に存在するのさ。あぁ。俺は俺だ。端末なんかじゃあ無ぇ」
彼女と胴元との会話の間も、少年の悪あがきは止まっていなかった。
ずっと、諦めず刃を届かせようとしているが、少年の普通の剣はねじれにねじれ、うねるように、翻る。少年の手首を曲がりくねりながら斬りそうになる。鎧の手首部分が現れて、防いだ。
少年は驚きを覚えている。その喚び出しは少年の意思によるものではなかったということである。
死人のような男は、目前の少年を無視するかのように、
「武器の青年よ。君も賭けの席に座りたいのかな? 防具の少女は、ふふ、乗らないか」
繕った言葉と声色で、彼女の傍の二人へ言った。
少年は物理で解決することをやめた。剣を握る手の手首の手甲も少年がやめたことを察知し、消えた。
素早く下がる。彼女の後ろに。
最後っ屁に飛ばした無詠唱のライト・ニードルは発動後の露光すら発露させることなく霧散霧消した。
「ウィル・オ・ライト。お前の懸念は正しい。垣間見たのだろう? 何を賭けることになるのか。だが、彼女はお前の懸念するような弱い女では無いだろうな。お前以上に見通す力を持つのがお前の女だ」
死人のような男は荒い声でそう言った。
「ライト。任せて」
小さい筈の彼女の背はとても大きく見えた。
だが、任せる気になんてなれない。
この嫌な予感は尾を引く類。
この場で終わる話にならないという嫌な予感。
「ライト様。わたくしが居る以上、彼が取れる手段は限られます。それに。青藍様は乗り気ですよ」
専属応対人(仮)が見かねて間に入ってくれるが、
「分かっている……」
その言葉は解決手段にならない。
(どうしてこうなってしまった……! 勝負を受けるかどうかを決められるというのが客としての最大の武器だというのに。もう選択肢は無い……。彼女が受けると言った以上……。この場が修飾されたもので、演出がところどころに見られるのが、なお不味い。このパークにおけるセーフティーの位置が、この場に来てしまったことで揺らいだというのもある……。無理に連れ帰るには根拠が足りない。それに、この嫌な予感は破滅の予感では決してないというのも……)
「ご自身の武具のお二人様には何も聞かないおつもりですか?」
そう言われてやっと、少年は二人を直視した。
剣はこいつだ。間違いなく。
痩せて筋肉質な男だ。褐色の肌。生傷の絶えない肌。鏃のように尖った爪。ギザギザの歯。自分並みのガタイ。自分とは異なる、幼なげで美形寄りな顔つき。長い白い睫毛。乱れて、半ば逆立った、毛髪量の多い短髪。気が荒そうだ。誰かに従う素直な目なんてしていない。その赤い瞳の奥に炎が見えた気がした。
これが自分への反抗の意思とするなら、それでも自分に振るわれるこいつは何なのだ? と思わざるを得ない。
向こうもこちらも不満がある。なら、反りが合わないのは間違いない。文句があるなら、言ってくれなければ分からない。人の姿をとれるなら、せめて夢枕に立って文句を言う位できただろう、と言ってやりたい。
鎧はこの子だ。間違いなく。
剣の方とは逆に、髪は真っ黒く、肌は透き通るように白く、傷の類がまるでない。彼女並みではなかろうか。その肌の綺麗さは。彼女並みではなかろうか。その髪の毛の色の濃さもしなかやかも。
長い髪をうしろで一本に下ろすように括って、それを捻って、束ねて、鞭のようにずっしりしていそうに見える。
道着のような上着から、はだけた胸元。否、違う。収まりきらぬのだ。長い袴は、足首まで。長い脚であろう。露出するつもりなら、おそらく、この袴は微妙だ。……。いいや、どっちだ……?
くりっとした大きな黒茶色の目。高くはないが、丸くはない鼻。ナチュラルな薄い唇。美しいというよりは可愛らしさと幼なさのある顔つき。
先ほどの防護の礼を言いたいが、そうなると、剣に何も言わない訳にもいかない……。
「私から声を掛ける資格は無…―」
「ライト。お願い。私に任せて。欲しいモノがあるの」
彼女が火照った笑顔で、そう、おねだりしてきた。
もう、受けるしか、ない……。未だ何も決まっていない勝負を……。
根本の目的である彼女の機嫌取りを捨てられない少年は、屈服した。




