デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク 夜祭の遠望 Ⅱ
中に一歩踏み入っても、人の入りは少ない。
(落ち着かない……。汚くはない。むしろ綺麗だ。白い壁に、白い光。キャストも、白い服。俗にいう、病衣。病院だとでもいうのか? しかし、消毒液の臭いはしない)
広くて白くて、殺風景。宿として見るにはあまりにも―…
「ダブルしかないってさ」
と、青藍の声と共に、自身の手元にそれは飛んできた。
鍵だ。
長い棒に、多数の枝が生えたような鍵。
このパークの骨格である巨大樹をモチーフにしているという訳ではなさそうだった。それは実に無機質な金属光沢を鈍く放っていたし、葉なんてついていなかったし、分枝は短く、おとされている。
(内装ともマッチしない。物理鍵としての信頼性、を重視したということか?)
「ねえ。聞いてる? ダブルしかないんだってさ」
と、頬をぷにゅっと指で押された。
現実に引き戻された心地だ。
「あ……、あぁ」
きっと自分の顔は今、引き攣っている。シングルがないのはまだわかる。だが、ツインも無いのか? 同衾せざるを得ないでは無いか? と。それに気づいて、また、沈む。
「さっさと行きましょ」
思考の迷路に迷い込んだ少年は、青藍に手を引かれ、連れていかれる。手を引かれる方向に歩いていく。少年の目は、碌に前を見ていない。
ただひたすら、考えているばかり。
(私が床で寝ると言っても、彼女が納得するはずがない)
(それに、もしもが怖い)
(始まりはいつも突然だ。大人になる準備を体が勝手に終えるなんていうのは当たり前のことで、知識はあるからこそ、恐ろしくて堪らない)
(この年でこのガタイ。元師匠たちからよく揶揄われたものだ)
『お前は絶対に性欲強い。だから、その日を迎えたなら隠すなよ。指南を受ける機会を逃すと、未来のお相手に負担が行くぞ』
(まさに肉体言語。故に見ただけで上手くやれるものではない。元師匠たちに、流石に、就く予定の地位と立場からして、このままじゃあ余りに不味いと、荒療治を受けさせられたが、あまりの無反応っ振りに呆れられた。『これほど未熟だとやりようがない』と。そうして迎えてしまった今日。何の前準備もできてなんていない……)
「……。怖い……?」
「怖い……。…っ! ……。…………。………………」
無防備に、答えてしまった。言葉足らずであるかどうかなんて、彼女には関係ない。常に、ゼロか百。自分の今の心の内が、彼女に……。
「いいよ、ライト」
そう、俯き気味に、顔を赤らめ、弱々しい声で、そう彼女は言う。こちらの手を、絡めるようにとって。恋人繋ぎ。
そう。恋人だ。
いつまでもこんな姿勢では駄目だ。本格的にいよいよどうするか。決断の時がとうとう来た、ということなのだ。
雰囲気に呑まれそうに、つまり、流されそうになった気がして、咄嗟に目線を逸らした。
扉は開いていない。鍵は挿されている。うっすらと、うっすらと、うっすらと。透明に、なってゆく。取っ手の無い、押しても引いても開けられそうにない、壁がひっこんだだけのそれが扉と分かるのは、鍵の挿し口に、彼女から渡された鍵がひとりでに手から離れて、気付けば刺さっていて、このような結果を齎しているからだ。
大きく深呼吸した。もう、中への侵入を遮るものは何もない。ダブルベッド一つが安置された暗室が、大きく口をあけていた。
彼女の方を再び直視した。
自分も彼女も、いつの間にか、ロビーで見たような上下真っ白な服装にいつの間にか変わっていた。
「逃げるつもりはない」
意思表示した。これだけは、今の時点でも確定していることだ。この覚悟だけは既に済んでいる。向き合う、と。
「うん」
彼女の瞳の奥に、恐怖が見えた。彼女が何に恐怖するか。分かり切っている。拒絶されること。だが、事が事だ。嘘はつけない。誤魔化しは効かない。これは、心ではなく、機能の問題。
何も、大人以上にガタイが良いからといって、大人として完成している訳ではないのだ。年相応、と言ってもいいかもしれない。
「だが、今ではない」
「えっ……?」
「まだわたしの体は大人の準備を終えていない。ませた子供どころか、ただの子供、それ未満……。赤子と大差ない……。すまん……、部屋に着いたら、じっくり見てくれ……。口に出して説明するのは、なかなか堪える話なのだ……」
彼女の、脱力して、抜け落ちる手を、握って、留めた。
「見て、欲しい……。ここ直近でのわたしの最大の悩みである。二重以上の底があるのだろうな、きっと。まだ、一つ目すら抜けていない」
(もやっとした説明にしかならない。彼女が補完できていればいいのだが……。意思表示はした。後は、なるようにしか、ならない……)
(怖い……。こんなふうに曝け出すのは。情けないことこの上ない。彼女の中で、私の価値が無くなることが、恐ろしくて仕方ないのだ。横たわっているのは、千年の恋も醒めるようなどうしようもなさなのだから。ガキとは恋愛なんて、できはしない。大人になれるかなんて分からない。その機能が永久に不全である可能性だってあるのだから。その時が来なければ、分からない……)
無言で、彼女の手を引いて、部屋の中へと消えていった。