デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク ~輪転白馬に跨って~ Ⅵ
「おねえさん、おにいさん……、たすけて……ください……」
狐というよりは弱々しい猫撫で声な、狐目の幼な子の、少年が耳にした第一声は、予想だにしていないものだった。……訂正すると、青藍にとっても、とつけ加えるべきか。
少年は彼女に、どういうこと? と言外に尋ねてみるが、彼女は、わたしも知らないわ……と、え、何で? と困惑した様子。
「落ち着くといい。私たちは知らん振りしてないだろう?」
少年はがんばって言葉を選んだ。慎重に慎重に。嘗て彼女と接する際気を付けていたのよりも更に丁寧に。これでも通じるかは怪しい。それでも、態度くらいは伝わる筈だと。
「うん……」
「たすけて、っていうことは困ってるんでしょう? 何か一人じゃできない大変なことがあるのよね?」
彼女も言葉を選んでいる、いる、のだが、それは無理に導線を引き過ぎではないか……?
不安を覚えた少年だったが、幸いにも、この幼な子は、そこまでヤワでは無かったらしい。
「おかあさんにね、こうやるんだよって教えてもらったの。しかけ。来た人たちがアトラクションすすむとね、かみがひかるの。そうしたらね。したらね。しかけをうごかすんだけど、おかあさんみたいにすぅってうごかせないの……。できる、って、おもってたのに。おかあさんも、うんうん、っていって、ねてくれたのに」
成程成程。事情が少し見えてきたぞ。
人外ばかりでありながら、人っぽい振る舞いの係員たち。夫婦でいる者もきっと少なくはない。そうなれば、子供がいたっておかしくない。糧となるものの種類からして、子供ごと、このパーク世界に居ついてるのは、理に適っているといえる。
しかしまあ。それはそれで問題もあるのではないかと思わざるを得ないが。そもそも、一生の間、必要に応じて、教育機関へ通うというのは、このパークの住人たちにとっては常識の外なのかもしれない。
「きみの御母上は体調を崩しているのかい?」
「?」
「おかあさん、びょうきなの、ってことよ。心配してるの。この人は」
「うん……。でも、おとうさんがね。『おかあさんはしょうしょくだから、ぼくとアッカでちょっとがんばれば、すぐにげんきになってくれるよ』って。でもしってるの……。わたしはおかあさんとちがってうまくないもの……。おかあさんげんきになるどころか、わたしがしっぱいしちゃったせいで……おなか……もっとこわしちゃって……」
少年は踏み込み過ぎたことに気付いた。今更である。もう遅い。思っていたよりもだいぶ重い。何で、借金まみれの家庭が、更に失敗で借金を重ね、益々状況が悪くなっていく、かのような状況に聞こえる。
「あっ……! つぎのひとたちがくる……! わたしが、さっきよりも手際悪かったばっかりに……」
嫌な想像が視界を過ぎる。
振り払い、現実を見ようと、目の端で、遠望した。次の馬車、のような遠影。ぼやけ、はっきりしなかったが、更に凝視し、動く馬の脚の影から、確信した。
やるしか、ない……。
(青藍……すまん……)
そう、心の中で自身の彼女に謝罪しつつ、少年は動き出す。
「私たちごと、隠せ! 舞台裏へ、だ! 早くぅぅぅ!」
「ひっ……!」
幼な子は一瞬すくむも、覚悟を決めるように、こくん、と頷き、半泣きになりながら、少年と青藍を巻き込み、その場から消えた。
城の中。出入り口の無い、閉じた一室。天井にぶら下がる、ランタンの明かり。一つの小さな安楽椅子。そして、絨毯。
それだけの殺風景な部屋だ。
本当にただの、外から邪魔の入ることのない待機部屋に過ぎない、といった様子である。
三人とも、絨毯の上、膝をついて、向かい合っている。
「乗り切るぞ! 手順は分かってるのだろう! アッカとやら! その紙とやらを出すんだ」
え、どうしてなまえ知ってるの? と言わんばかりの動揺を浮かべつつも、そんなことにびっくりしてる暇なんてない、と、すっ、と差し出されたそれは、一枚のペラ紙だった。
茶ばみがかった紙片に、白の文字と、黒の文字と、赤の文字。
説明されずとも、少年はそれを理解した。
「……」
「大丈夫よ。このおにいさん。とっても頼りになるもの。落ち着くまでは首を縦に振るか横に振るかだけで大丈夫よ。それに、アッカちゃん。自分で名前言ってたじゃない? 『ぼくとアッカでちょっとがんばれば』って」
彼女も割と落ち着いていた。というか、全然動揺していなかった。まるで初めからこうするつもりだったかのように。
「あ……! おねえちゃん……おにいちゃん……ごめんなさい……」
「泣きたいのは分かるが、もう少しがまんしてくれよ。予想はつくが、合ってるかは君にしかわからないからな」
と、少年は答え合わせを始めた。
まず、白文字の文言について。
これこそが手順。
そして、黒文字が、今相手にしている客。
更に、問題の赤文字。
「――で、赤は分かり切っている。次相手にしている客だ。そして、本来、赤では無いのだろう。不味いことになっているから赤い。私たちをそろそろ捌き終えていないといけないから、だろう?」
「その紙の通りだったらおねえちゃんたちがここ回り終わって、もう外出とかないといけないのよね」
幸いにも、物分かりもいいし、言葉遣いも、恐ろしく繊細に気を使わないといけない程でもない。現に彼女も、この子への言葉選びが、同世代よりほんの一、二本程度下の出来の良さそうな子供想定くらいに変わった。偶に伝わらないこともあるが、誤魔化そうともせず、分からないと意思表示もしてくれる。
彼女も私よりもだいぶ優しく嚙み砕いて説明してくれるし。
「何て書いてあるかは読めない。知らない文字だからな。青藍、どうだ?」
「わたしはこの子経由で一応」
「成程。で、手順はどうだ?」
そう。彼女のその力はそう都合よくはない。
「ふんわりし過ぎてて時が来ないとはっきりしないかなって」
だろう、と思っていた。甘く見積もらなくてよかった、ということだ。
「それじゃあ遅いな……。恐らくワンテンポ早く動いて仕掛けを動かしておく必要があるとみた。アッカちゃん」
さて。結局のところ、タイミングはこの子にしか分からない。私たちは失敗例しか体感していないというのもある。全部説明してもらう時間も、説明できるだけの能力も、あると甘く見積もるべきではないだろう。
ぶっつけ本番になる。ある程度は読めるかもしれないが、要はこの子。心の奥底から、私たちを信じて貰う必要がある。
「やれます! てつたって……ください!」
「当然!」
「盛り上げていくわよ!」
「盛り上げる、のか?」
少年がそう首を傾げる。
幼な子は、少し困った顔で、苦笑いしている。
「あ、はは……。決意表明、ってヤツよ! 気合い入れたってことよ」
何だか締まらないが、変に緊張しきった感じになるよりはずっといい。




