柩封域自閉城 Ⅱ
「起こりすら感知できなかったよね? 避ける余地なんて無いし。最初から君の中にあったんだから」
「設置型の魔法か……。引きずり込まれた時点で既に……」
カチッ、ギチッ、ギギギ――
結晶の成長と共に、重さを増す左手。自慢の筋力ですら、既に、支え、立っているのも危うい。
「違うよ? 最初からだって。闘う者としてその姿勢は間違っていないけれど。僕は敵じゃないよ? 悪い奴でもないよ? 今ので分かったよね? 僕は、今の君ならどうとでもできる。そろそろ、僕の名前を教えたいなって思ってたんだけど、どうやら駄目っぽくてさ。欠けてるんだ。ここにある僕の中には名前は無い。ん……? 切ってくれたね。嘘じゃあないでしょ? どう説明すればいいか分からないし、部分部分信じて貰えない箇所もあるだろうし。ごめんね、こんな騙し討ちみたいな手打っちゃって」
ゴォオ、バリィイイインンンンン!
「剣を使えずとも、抗えないと思ったか!」
「今の出力で君を制するのは骨が折れるけれど、仕方ないよね。君が負けたなら納得してね。再起不能にはしないから」
少年は、左手指先の硝子の数多の断面から、光の線を、撃ち出すように解き放った。
あっけない程容易く避けられているように見える。
それも、妙に気持ち悪い不自然な動きで。
明らかに、肉体の直接的な駆動による回避ではない。
棒立ちの姿勢のまま、横、斜め、上方向への、直線的な移動の組み合わせ。まるで、手で掴んだものを、手首から先を固定したまま、動かすみたいな動き。
そんな動きは少年の長い戦闘経験の中でも、完全な初見であった。
(魔力による駆動に違いない……。だが、起こりが見えん……)
踏み込み、消える。
「疾いね!」
ブゥオゥウウウ、バリリリィイインンンンン!
左手の硝子の残骸が悉く砕け散った。
「起こりを殺しても無駄か」
(ちっ……何を以って防いだ? 障壁か結界か、斥力か、ただ何かぶつけて相殺しただけか?)
「君が腕を引いた動きも、それをこちらへ向ける動きも、腕がのびていく動きも、僕の目にはとまらない速ささ。だけど、狙いが分かりやす過ぎるね。君さ。格上相手の戦績悪いでしょ? 下手だもん。不意打ちも虚を突くのも。だいたいさ、一発一発考え過ぎ」
ぐにゃん、と視界が歪む。
スタッ、と後ろに跳ぶが…―ドンッ!
「一拍子遅いね」
(知らぬ間に壁に追い詰められていた……? 違う。壁が移動したのだ。見渡す限り、部屋の広さは変わっていない。つまり、この空間そのものがやはり……こいつの腹の中……)
「揺らいだね。不測の事態に弱すぎないかい?」
「経験が宛てにならないのでね……」
「おっ? 今のは巧いね」
近寄ってきた相手の足元に散らばっている、砕けた硝子から飛び出した、光の針の噴射。
相手に触れる、あと数センチの距離でどれもこれも、止まっている。粉々に砕けるように光は粒子へと、ほどけ、散ってゆく。
「硝子の被膜。圧縮密集させた光の魔力。最初よりも本質に近い。タイミングも実に。これは及第点だね」
「試験官気取りか?」
「そういうこともやっていた時期はあるけれど、その記憶は今の僕のところには薄くしか存在していないんだ。うぅん。折角だし、僕も攻めてみようかな? 試験官ならそうするよね? 詠唱はしてあげるよ。程々に考えてね。『うしろの正面だぁれ?』」
ぞくり。
抗いきれず、振り……向いた。
闇。
闇。
闇。
真夜中よりも黒々しい。
(青……藍……?)
その気配は紛い物では決して無いと、本能が訴えてくる。ただの彼女の影絵にしか見えないのに。
「君を殺す者さ。現状の君を殺せる可能性の最も高い者を、最も適した形で喚んできた。本人じゃあないよ?それは本人であって本人じゃない。何ぁんだっ? だから、安心して抗うといいよ? 君が無様を晒しても、ちゃんと寸止めで終わらせてあげるから」
背後頭上からそうやって声が降ってきた。
目の前の影は、嗤った。
(来る……!)
ひねり出すように魔力を絞り出すと、左手指先からまた、析出する硝子。人差し指に集中させた。放出を。
込めた。魔力を。強烈に想起した。ひとりでに削れ、扁平に、尖りゆく、光を内包した、か細き刃。
闇の手首が一つ。浮かび上がり、掴みかかってくる動きを、避けながら、少年は集中する。
右手指先で、突くように作り出した刃を、根元から折る。
左手、掌に、焼けつくような魔力を流す。析出する硝子。覆うように。
砕け、血を吹き出しながら、折りたたむ左手。刃を握り、強く、強く、魔力を込めた。
「うわぁ。躊躇|無いね。痛みも後遺症もまるで考えていない」
「そんなもの、砕き、捏ね、作り直せば問題ない! 既に何度も通った道だ」
「魔法使いのメンタルじゃないよ。黙って騎士やっとけばよかっただろうに」
「知ったような口を……!」
「余所見を許してくれる程、その彼女は君に優しくないよ?」
浮かぶ、闇の手首の数は、数十に及び、それらは、刃を掴み、虚無へと飲み込む。つぎ込んでいた魔力も、巻き添えに流れてゆく。できた完全なる虚空に、未だ自身の中にある魔力すらも、呑まれてゆく。
握り潰すことで刃を手放すのと同じ結果を齎す。
それらも悉く、吸われてゆく。
合体し、大きくなる。
時計回りに渦巻いている。
新たに現れた闇の手首が、もう、少年の身体よりも大きく成り果てたそれを、少年に向けて圧し出す。
少年は、それに向かって突っ込んだ。
「なっ……?」
渦は消える。
俯き、膝を曲げる少年の口元はつり上がっていた。
剣を、喚…―んだ。
軋み、錆びつき、腐食しながら、現れ、罅割れる音と共に、握られる。
鎧が喚ばれる。何の抵抗も無く。
【†昇振† †斬る†】
「やっと見せたね。強さの断片」
刃は片手で握り止められている。掌の薄皮一枚、裂くことすら叶わない。踏ん張ることもできない空中で。
【雷鳴…―】
「しくじったね。それは外より引き寄せる力だ。此処には無いよ。それより、ほら。下、下」
【わたしを、みて】
影絵が、見上げている。
届かぬ手をのばす。数多の、射程をもった闇の手首ではなくて。自身についたその手を。
黒い滴。
それは、涙…なのだろう。




