新たなる師、新たなる世界への旅路 Ⅷ
雨。
晴れたまま、雨が降っている。
雲が無いのだ。
夜ではなく、昼間だから、見間違えることなどありはしない。起きたら、もう、こうなっていた。
そして、この雨――音が、無い。
両手を、広げるようにのばした。
確かに触れている。熱は、奪われ続けている。確かに足元はぬかるんでいる。
風は、無い。
ならだかな丘の上に立っている。道のない、草原で埋め尽くされた丘だ。遠くを見渡しても、ひたすら、草原と、途切れぬ雨の青い空。
「魔法、ですか?」
そう、振り返しながら、頭の上に、水色の渦巻きを展開し、雨を凌いで腕を組んで立っている師匠に尋ねた。
「多分、な」
「では、止まないのでは?」
「どうしてだ? 俺らの旅路を足止めしたい奴がいる、とでもいうのか?」
「それは……そうですが……」
嘘である。師匠の旅路を止めようとしている者がいるかどうかは関係ない。単に、私の旅路を足止めしようとする者なら、幾らでもいそうだから。
「罪悪感を捨てろ、とは言わねぇよ。だがなぁ、そんなブレブレじゃあ、お前を信じて送り出した、あいつが報われねぇ」
「それ、ですよ……」
「はぁ……。そうか。多分、それ何とか整理しないと、この雨も、草原も、終わらねぇぞ」
そう言われ、少年は前を向いた。
ただ、ひたすら広がる草原と雨に、自罰的に打たれ続け、想いを馳せる。
男は、少年のそんな力無い背を眺めながら、手元にある、紫の水と証の紙片が入っていたカプセルの残りの断片と、そこに微かに溜まった紫色の水を、翳し、眺めていた。
ザァアアアアアアアアアアア――
「あれ、見えます……?」
「どこ、だよ……」
並んで立つ二人。少年は遥か遠くを指差し、男はそれに従ってその方角を凝視するが、見えない。
「【鉄馬】。恐らく、主です」
「あぁぁ……。原因、それ、じゃね?」
「そもそも【鉄馬】ばっかり、おかしなくらい出てきてたじゃないですか。そっから仕込み、なのでは?」
「あぁ……、ここにきて口に出すのね……。ま、そうだろうなぁ。……。そんな顔するなよ。そういう伝統なんだって。集まる人間が尖り過ぎてたり、地雷抱えてたりするのが常なもんだから、特にやばそうな類は、こうやって、じっくりねっとり、観察されるんだよ。……俺がやるって決めたんじゃねぇから! 学園長だから!」
「じゃ、こうしましょうか」
と、少年はやけに大きく息を吸って、
「アレ、私とこの人とで生け捕りにしちゃいますよぉおおお! いいんですかぁあああああ! 手なづけた上位の魔獣なんて、どれだけ少なく見積もっても魔法使い何山分になるんでしょうねぇぇ! もう、知りませんよぉおおおおおお! っ、と。大丈夫ですか?」
「いててて……。ホント勘弁してくれ……」
ザァァァァァァァァァァァ――
「荒れて、ますね」
「だな」
よりによって、二人は、【鉄馬】の主の眼前に立っていた。
当然、雑魚とは一線を画する。
見掛けからしてまず、違う。馬の形をしているだけで、目も鼻も口もない。要するに、のっぺらぼうなのだ。それに普通の【鉄馬】とは違って、その全長は、大の大人の背の倍以上。
だから、手足の太さは、大の大人の並の胴体くらいはある。
そんな、金属色の化け物が、二人を見下ろながら、後ろ足で地面を抉り、辺りは部分的に剥げちらかした人の頭みたいになっている。
「で、どうやって捕まえるんだ?」
「別に捕まえるのって、お縄にかけることでも、落とし穴に落とすことでも、痺れさせることでもな…―」
ゴォン、と鳴りながら、跳んできた左前足の地面抉りによる、人間大の土塊を、少年は後ろに跳んで、避けた。
主たる【鉄馬】は、ガコン、ゴコン、と両前足を浮かせ、少年に向けて、疾走の一歩を踏み出そうとしたところで、
ススッ、スタッ、ゥオウンン、ガシッ!
地面に落ちた土塊を足場に、跳ね、勢いを増しながら、馬の頭を越え、背を通り過ぎて、尻尾、をがしっ、と掴んでぶら下がった。
泣き声どころか、声なんて出す機構のない、主たる【鉄馬】は少年を振り落とそうとしつつ、尻尾を鞭の一振りのように、地面に叩きつけようとしながら、走り出すのだが、
バシィインン!
少年は、尻尾から手を放し、その少し上を浮いている。
ガシッ。
尻尾を再び掴む。
主たる【鉄馬】は、怒り狂ったかのように、首をぐるんとさせ、両前足を浮かせ、身体を捻り、跳び、今度は、両後足を浮かせ、跳び、尻尾を、今度は、地面に向けて突くように叩きつけるが、
ゥオゥンンン、ドッ。
少年は、その背に。
強く両足で挟み、背をコツン、と叩く。
尻尾が逆立って、背の少年をしばこうと鞭打ったが、届かず、ゴォオン、と鈍い音が響き、主たる【鉄馬】が身をよじるだけの結果に終わった。
今度は少年は、前へと進み、首を――撫でた。
びっくりしたのか、カクカクなって、それから、乱雑に、主たる【鉄馬】は駆け出して、ぐるぐる回って、跳ねて、跳ねて、走って、走る!
置いてけぼりの男はその様子を遠くからポカンと見ているだけ。
そうしてやがて、主たる【鉄馬】が疲れたのか足を止めたところで、少年は浮かび上がるように跳ね上がり、宙返りしながら、馬の頭を――撫でた。
そして、また、背へと跨るように着地して、今度はリズムよく、背を軽く、叩く、叩く、叩く。
すると今度は、主たる【鉄馬】は、軽やかに、前足を後ろ足を、波打つように跳ねさせて、明らかにさっきの地団駄を踏むような動きとは違う。
「よし! こっち」
と、少年は、指示を出した。人の言葉で。振り返るように主たる【鉄馬】は少年の方を向いて、その手が指差す先を見て、前を向いて、軽やかに、ココン、カコンっ、と鳴らしながら、旋回し、少年の指示した方向、置いてけぼりの男のいる場所まで駆け、止まった。
馬上から、少年は笑顔を浮かべながら言う。
「こいつ、明らかに野生じゃありませんでしたから。他の奴らと毛並み違うじゃないですか」
「え? 毛並み……? えっ……?」
「よぉく見てください。光当たると、一定の向きの線、見えるでしょう。これがこいつらにとっての毛並み、なんですよ。ぉぉぉ、きれいきれい」
と、少年は主たる【鉄馬】を褒める。
「まじかよ……」
「ふふ。昔とった杵柄ですよ。騎士といえば、やっぱり馬でしょ!」
「はは……。能天気な奴め」
いつの間にか雨は止んで、ぽかぽか陽気が漂っているのだった。
新たなる師、新たなる世界への旅路 FINISH
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