デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク ~宙のコロッセウス 顛末 膨れ上がった権利~ Ⅲ
「……。分かりました……。長い話になります……」
「構わない」
「聞かせてください」
「……。見てのとおり、わたくしはヒトではありません。わたくしにとって、ヒトにおける食物にあたるのが精気です……」
そう言って、沈黙した。
言いたくないことを、どうしようもなくなって、言葉にした、といった風だった。その顔に、表情があれば、目があれば、絶望を浮かべていたに違いないと思う。
「貴方以外もそうなのだろうか? 恐らく、各々少しずつ異なっていると思うが。そうでないとここは、ホテルや、私たちの言うところの夜の店、効率を最も重視するなら、その手の宿として成立している筈だ」
「はい……。係員として属する者たちは、例外無く、ヒトの係累の精神、魔力、を食物として必要としています。その多くは、分かりやすくいえば、『感情』を要求するのです」
(言葉選びがぶれ始めたな……。名前の件から予想はできていたが)
「貴方には、モノ……が必要なんでしょうか……」
彼女がそう、白磁の係員に尋ねる。
彼女が言う、モノ。それが指すものは現物。自分が尋ねるよりも、確かに彼女が尋ねる方が幾分、相手にとってもマシではある。あるのだが……、それは尋ねる事自体が危うい。
しかし、尋ねない訳にはいかないとも分かっている。
「……。…………。モノ自体、ではありません……。けれども、結果は、必要になります……」
(想定の中の最悪、ではない。だが、それにかなり近い……)
少年は隣の彼女を見た。
彼女は苦悩を浮かべている。申し訳なさと、どうしようもないことを言わせてしまったという自責の念が色濃く漂っている。
(口は暫く開けまい……。だが、ここで沈黙してしまうということは……。どちらを気遣うか……。当然、青藍……と言いたい……。だが、思っていた以上に背景が重い……。恐らく、生きる糧……。言葉通り……。説明する時間は無い。読んでくれたとて、そう、受け入れられるものではない。そもそも、私が藪をつついてしまったから、だろうが……! 無事に帰れない、なんてことだけは絶対に避けねばならない……。浮かれていたのか……。今更か……)
「言わせてしまったのだ……。受ける受けないの答えをそれで決めるのは流石に無理だが、それでも、こちらも答えなくては話にならないだろうな。しかし、彼女に言わせる訳にもいかない。だからこれはあくまで、私個人としては、ということで聞いて欲しい」
机の下の彼女の手を、そっと握った。
激しく脈打つ、それでも冷たい、引き攣ったその手触りに、心底自分が情けなくなった。
「私としては構わない。モノ自体が必要となっても、答えは変わりない。機能を殺す程度の処理はさせて貰うことになるだろうが。だが、モノは必要でなくて、結果が必要と言ったな?」
「はい……」
「そもそもだが、私たちは、ヒトの世界でいうところの、深いキス程度までしかやったことしか無…―」
彼女が手を強く握り返し、伝わせてくる。少年の口を制止しようと。
少年は隣の彼女の方を向いた。顔だけでなくて、身体も向けて。真っすぐ、悲しそうに微かに潤むその目を見て、少年は言う。
「……私たちは言わせてしまったのだ。こちらも明かさねば釣り合わない。前提が違えば結果は違う。契約もそうだ。前提が異なれば、時に契約そのものが台無しになる。大概は、見誤ったのが悪いと強制執行であるが、執行するにしても、材料が無ければそれすら形にはならない。私たちは交渉のテーブルに乗った後だ。投げ出すのか? よりによって、相手に言いたくない秘密を言わせた後で。禍根が残るぞ? 権利をここで使うかもしれないと言ったのは、保険だ。安全に帰るための。致命的に失敗しても、それでも、代償を払わずに君と共に帰る為の。あの報酬のリスト。並んだ文言。あれは、あの大人たちからの私たちへのささやかなヒントさ。相手に見られても困らない、私たちに伝わるか伝わらないか際どくも、伝わると信じて残してくれた。すぐ分かれとは言わない。ゆっくり読み解いてくれたらいい。納得しなくてもいい。ただ、判を捺すことと、破談にするとき以外、止めてくれるな。命では済まない。私たちの存在が、掛かっている」
そう優しく締めくくって、彼女の頭を撫でて。片手を預けて、好きに握らせて。前を向いた。待ってくれていた相手は、
「わたくしたちが、わたしが、信じられ、ませんか……」
そう言った。悲しく、弱々しく。
「契約書に感情で判を捺すべきではない。それは、相手への隷属に等しい。意思すら残らないこともある。失うのは自分だけに留まらないことも珍しくはない。最悪は果てしない。無限責任を負う、ということなのだから。私は元いた世界で騎士だった。騎士でありながら騎士を率いたこともある。そこまで言えばもう伝わるだろう。私は契約に精通してはいない、しかし、ある程度、甘いも苦いも噛みしめた上で、私は契約に真摯である。だから、貴方に一つ助言しよう。夫をここに呼ぶといい。私たちに聞き取れぬ言語や手法で秘密の意思疎通してくれても構わない。それで気を悪くなんてことはしないのだから。貴方もそうしてくれていたのだから。だから、変に綺麗に、上手く事を運ぼうだなんてするな。ふっ、三つ、だったな」
「随分早い再会になりましたね」
淡い水色の、微かに陽光色に輝く、水色のローブ。丈は長く、鏡な地面に布地が垂れているが、擦り切れている様子は無い。やけに細く、長い。
まるですべての枝を枝打ちされた一本の木の幹のような。その頂付近に、顔の代わりであろう、仮面が付いている。白塗りの仮面ではあるが、木目の線が透け出ている。細長い二つの目。つり上がった笑いの口。それらは黒い空洞としてくりぬかれている。仮面の向こう側は見通せない。闇である。そもそも、ローブは、仮面部分を除いて、中心頂から掛けられて、地面に届いて余りある一枚の布のようである。
氷の迷宮で会った時と違うのは、まがりくねって、まるで蛇みたいに幹をぐにゃんとさせて、ろくろを巻いて、向こう側に存在しているところ。
「トイレの件では本当に世話になった。改めて、感謝する」
と、少年は頭を下げる。
すっかり落ち着いた隣の彼女も促すまでもなく同じく。
「しかし、出禁にするような問題児を自身の妻に進めるというは一体全体どういうことなのだろうか」
と、少年は話を勧める。
「御客様。理由は単純です。わたくしたち人外にとっての食事というのは、質が見合っていなければ、一切の養分にならない場合があるのですが、妻の場合、格も相まって、特にそれが顕著でして。一定以上の質でなければ、一切、養分にならないのです」
「貴方方に餓死という概念があるのか?」
「妻の場合は残念ながら」
「貴方自体はそうではない、という訳か」
「わたくしにとっての食物は、『羞恥』、で御座います」
「……」
「ここでは幾らでも転がっているものです。わたくしの場合、質より量ですので、誰かの専属になるという面倒を背負う必要は無いのですよ。あっ、でも、貴方方の羞恥は、美味しゅう御座いました」
「はは……。冗談かどうか判断に困るな」
「好きに受け取ってくださいまし。ではそろそろわたくしは黙りましょう。これは妻と貴方方の契約の場。わたくしは脇役でしかありません」
「貴方が糸を引いていたと思っていたが、全くそんなことは無さそうだな……」
「わたくしに任せて、それで駄目だったとして、それだと、満足に後悔できないではありませんか。いけないのですよ。それだと尾を引くので。長命種にはそれはあまりに抱えるに重い毒。しかし、生きてゆくなら、機会を避ける訳にもいかないのですよ。妻はわたくし何ぞより未だ未だ若い、とはいえ。ほぉら。頑張ってくださいな。骨は拾いますよ?」