デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク ~宙のコロッセウス エキシビジョン 公開痴話~ Ⅰ
ブゥオウウウウウウウウウウウウウウ、ウウァァン!
「青藍!」
少年は声をあげた。
それは、制止。
意識を失う寸前。頭に浮かんだ悪い展開のうちの一つ。それの亜種といえる光景。
想像の中に無かったのは、自分が撃墜した筈の女が、息絶え絶えでありながらも、この高度で、この戦域で滞空しているから。
想像通りなのは、彼らが手足どころか指先一つ動かせない状態で、指輪を外した彼女に拘束されて、拷問されている最中である、ということ。
彼女を挟んで、敵二人は並んで拘束されていて、こちらを見て、震えて、助けを求めようとしている。だが、声は出ない、といった様子だった。その顔は、涙と鼻水と唾液でどろどろで、ところどころ、剥けたり、裂けたり、滲んだり、腫れたりしている。
他に露出しているのは、手先と足先。裸手に裸足。その理由は明らかだった。
(未だ、両手の爪だけか。これで止まるとは思えない。だからこそ、間に合って良かった。私の言葉は抑止には足りなかったか……。頭に血が上った彼女には。全て私のせいだが……)
「ライト……。大丈夫だったみたいね」
彼女は背を向けたまま、こちらを向こうとしない。闇と、魔物のような圧がたちのぼっている。声はノイズ交じりに震えている。
「私が墜落する寸前に君に向けた言葉は届いていなかったのかな?」
少年はそう切り出した。
「ライトっていつもそうだよね。一方的で、押し付けがましくて」
(様子が……おかしい……?)
彼女は、相手の顔を見て、言葉を発する。いつもならそうだ。向かい合わないなんてことは、記憶を辿っても、思い至らない。
指輪をつける前の彼女を自分は視認している。
指輪をつける前の彼女の災厄の具合を知っている。
自分にはそれは効かないことを知っている。
だが、明らかに禍々《まがまが》しい気配は見えていて、それは確かに自分に向けられていて。
そのくせ、どうしてかこちらを向かず。
(まるで、分からない……)
残念ながら、少年には、経験が足りない。レベルが足りない。故に、まるで分からない、と帰結する。それでも、
「それは認める。だが、それは、彼らを無意味に痛めつける理由にはなりえない。なってはならない。関係が無いからだ」
自身の持つ知見と言葉で、彼女を説得しようとする。
「八つ当たり、って言えばいいよね? どうしてそんな回りくどい言い回しをするの? 無駄だよねそれ?」
漸く気づく。それは敵意でも害意でもない。
参照した過去。思い当たる節に辿り着く。
(これは……。やらかしたか……。また、やらかしてしまったのか、私は……。あの気まずい日々がまた始まるというのか……?)
彼女が怒っているということが分かる。他ならない自分に対して。だが、その先が分からない。まるで分からない。
だが、これは非常に不味い、ということだけは分かった。
前だって、何かよくわからないうちに解決したのだ。つまり、今回に活かせる教訓は無いという訳で。敢えて言うならば、こうならないように気をつけよう、という位。まるで役に立たない。
こちらを向く二つの顔が、醜く歪んだ。彼女が闇で大部分を覆っているが、この表情は、苦痛の閾値を振り切るスレスレ。意識を失う寸前である。
彼らの両足の爪が、生々しく、音を立てて、ゆっくりと剝がされてゆく。落ちることなく、闇に溶けるようにそれらは消えた。流れ出る血も、滴っては、落ちきることなく、溶けるように消える。
カチカチカチ、と、彼らの口元は震えた。
それは悪手だ。抜かれるぞ、全部! と思うも、それこそ口にしたら、今の彼女なら一気にやってしまいそうな気がする。
つまり――止める術はない。こうする以外に。
【雷鳴】
「何の、つもりかなぁ? ライト」
瞳の色と周囲の色が反転して、妖々しく淀んでいる。闇が、両肩から吹き上がり、マフラーのように、首元を覆って、流れてゆく。その上を、落とした雷が、流れ、散ってゆく。
ノイズだらけの声に乗って――時空が、歪むかの如く、圧が、降り注ぐ。
(君が私に苛立つのは分かる。分かるとも。その辺り私はてんで駄目なのは自覚しているとも。だがもう、私も君に苛立ってしまった)
「止めろと言っているんだ。これは殺し合いではない。陵辱の類でもない。景品は掛かっている。命は掛けていない。そういう縛りの、遊び、だろう? それに、彼らは、ルールを破った訳でもない。破った者がいるとすれば、君だけだ」
怯えもしない。狼狽もしない。微塵も。常人どころか、魔法使いですら、この状態の彼女の前には、まともに立っていることすらできないのに。
少年に効かないのは、彼女の特異なる魔としての圧だけ。魔女としてのそれは、効く。
魔女に対する、畏怖や忌避は、本能に依るもの。同様に成り果てた存在でも無ければ、それの影響を受けないでいること何ぞ、決して。
例外は一握り。そして、そんな例外たちの共通点は、ひとえに、意思の強さ。それだけである。そして、それは、討滅のためといった、振り切った理由である。
無論少年のそれは、討滅の為という行きついた理由では決してない。
だが、ちゃんと、振り切ってはいるのだ。
何せ、少年自身も、魔王の資格ある者。
つまり――言うのも野暮ではあるが、ただただ、重い。自覚はしていない。自覚する時が来るかも今は未だ定かではない。
(畏れられることを恐れる彼女を、畏れの具現のような化け物になんてさせてなるものか。そう見られ、恐れられる行為を最後までやらせてしまうなんてあってはならない)
詠唱無く、それどころか、無言詠唱ですら無く。
二筋の紫電が、遥か上空より、対峙する彼女の背後に、落ちた。
衝突音すら無く、発火すらせず、闇に反応すら許さず、それを割き、束縛されていた対象をそれぞれ吞み込んだ二筋の紫雷は、対象ごと、地へと、斜めに落ちて、見えなくなる。
「ゲームはこれで終いだ。指輪を嵌めろ」
冷たく、少年はそう言い放つ。
命令。
これまで彼女にそんな言い方一度たりともしてこなかった少年が。
「何様のつもりだい?」
「私は私だ。これまでも。これからも」
「断ると言ったら?」
「喧嘩の時間だ」
「なにそれ? 頭沸いた?」
彼女がこれまで少年に向けたことのないような言葉と共に、何の前触れも無く、闇が、少年の頬を裂き、滴る、血。
「それは君だろう! 青藍!」
剣と鎧を展開し、少年は構えた。色濃く煌めいた魔力。陽光と雷が混ざり、迸る。
実体化し、少年の足を拘束しようとした影は掻き消えた。




