デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク Ⅶ
鏡の迷宮、初級。
その建物の中全体がそう。一つの巨大な迷路であり、立体でありながら、実質的に、二次元の迷路といえる。何故なら、存在する壁は、床から天井まで続き、その間で途切れて横道などが存在していないから。
少年と彼女が並んで、通路の横幅には余裕がある。高さについては言うまでもなく、果て無く高い。どう足掻いたって届かない位遠い。
想定した通り、あくまで、体験といった程度の難易度なのだろう。
鏡の壁面は、ところどころ、鏡としての要素が薄く、透明な壁である部分がまばらに存在しているため、周囲が移り込んで、惑うといったことはまるでない。
不自然過ぎる光景に酔うなんてこともない上に、時折、他のカップルたちの明るく楽しんでいて気まずい感じなんてない様子が目に入るのだから、自分たちもこれは大丈夫だなと、安心できるのである。
その上、迷宮内は、涼しい夏の早朝のような爽やかな空気と温度と湿度を保っている。
自分たちの足音と声は聞こえるが、それ以外は聞こえない辺り、この場所の広さや、魔法によって整えられ、シチュエーションとして敷かれている法則に信頼がおける。
何せ。見える遠く。カップルたちの足元。そこには何も映り込んでいない。
つまり、カップル当人たちにしか見えない、ということ。
それに、
「ねぇ、ライト。アレ」
と、彼女が足を止めて裾を引いてきた。ある方向を指差している。
「んん?」
と、少年も足を止め、その方向を見た。足鏡部分が途切れ、透明な壁部分から、見える先。カップルの片割れが、何だか、もじっとしている。
「トイレ……かな……」
そう言う彼女。
気のせいか、彼女も僅かにもぞっとした気がした。
「だろうな」
少年は不愛想にそう答えた。
「大丈夫……かなぁ……」
彼女は不安そうにそう言った。だから、少年は、
「大丈夫だ。断言してもいい。考えてみれくれ。客がキレ散らかすぞ、そんな問題放置してたら。ここに来てしまったことがカップルたちの不和の種になる。仮にも人気を保っている遊覧施設が、そんな穴を埋めていない筈無いだろう?」
理由をつけて、そうやって大丈夫だと説明したのだが、
「ここの人たちを信じ過ぎじゃない……? わたしはちょっと、無理だわ……」
彼女はお気に召さないらしい。ならば、と少年は、
「少なくとも、このアトラクションに関しては、という話だ。私が地面や壁を砕こうとしたのを、読み取ったのだから。あの係員がか、他の担当がいるのかは分からないが。それに、あの係員は、明らかに非人間系、無性、だった。上手いこと配慮しているものだと感心したよ。つまり、だ。最悪の事態は防がれる。何せ、用があるなら、思い浮かべる。それだけでいいのだから。ほら、見てみるといい。当事者たる片割れだけか、両方ともが消えるぞ、ここから。そして、それは、当人たちの意思を汲み取った結果になる」
これまでからここには配慮があるということと、この先の展開予想を口にしてみた。
そうして、二人は、結果を見届けようと待っていると、視界に映った衝撃的な光景に、凍り付いた。
「……。嘘、だろ……」
「尿……瓶……」
カップルの女の方だろうか? 手に持って、男の方に、押し付ける。男は顔を赤らめて恥ずかしそうにし、女は顔を赤らめながら、意地悪そうに笑う。
男の方が自身のローブをたくし上げ始めたところで、二人は慌てて背を向け、早歩きに先へ進み出した。
少年は心底青褪めて。
(あれでは、あのカップルたちのそういう趣味趣向なのか、用意された対処がそれなのか、判断がつかない……)
彼女はドン引きの波を越えて薄く、興味が残っていた。それを繕うように、少年に合わせて、引き攣った表情を維持している。
(露出+羞恥+変態? こんな趣味の人たちって、本当にいるのね……。あの人たち今、なにかんがえてるんだろう?)
彼女の速度に合わせていた少年の足取りはだいぶ早くなってきて、彼女は流石にきつくなってくる。
「急がねば……。青藍……!……」
気づいた少年。振り返り、はぁはぁ、と息が上がっている上遅れていた彼女の元へと戻ってくる。そして、
「っ?」
彼女は少年がしたことにびっくりする。
「早く、乗れ!」
少年は、背を向けてしゃがみ、彼女の方を向いて、そう、必死の表情で言う。
らしくなく、命令形。
それだけ、慌てている、ということ。
少年が何を心配しているのか。それは心を読むまでもなく、明らかだった。心底嬉しく思った。二つの意味で。少年があのカップルの女の方みたいな変態ではないこと。そして、自分のことをそれだけ必死に心配してくれていること。
嬉しいけれど、そこで照れるのも違う、と思った。
そこで、彼女は、少年に倣ったかのように、真剣な面持ちになって、
「お願い」
と、言った。
そんな反応をすれば、少年がどうなるか。残念ながら、今の浮かれている彼女は考えが至らなかったらしい。
少年が彼女をおんぶする。彼女は少年の背に、自身の身体を預ける。
「もっとしっかり、つかまってくれ。決して揺らしはしないが、速度は出す。首の前に手を通して、がっちりと」
「わかったわ」
彼女は遠慮なく、と、密着させるように体を預けた。
「……。曲がり角では合図してくれ。そうしてくれないと、恐らく、ぶつかる。それと一応、言っておく。どうしようもなくなりそうなら、その一歩、いや、二歩、いや、三歩、とにかく、猶予を以て合図が欲しい。最後の足掻きに出る。無論その前にゴールに辿り着いてみせるつもりだがな! もちろん、何か良い手段が思いついたとかなら、足を止めるから、聞かせてくれ。では、行くぞ」




