デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク Ⅴ
そのエリアの領域に入ると、風景は突如変わった。
手をつないだまま突っ立った二人は、それぞれに周囲を見渡す。
雲一つない青い空。
太陽に類するものは無く、光源は魔法による再現であり、現実では付き物な影は存在しない。満遍なく明るい。それでいて眩しくない。
見渡す限り、鏡の地面。その下は白銀色。建物らしきものは存在するが、立方体な一つだけな上、遠近が非常に分かりにくい光景。距離感も分からない。
尺度を示すものが何も無いのだから。
そして、後ろを振り返ると何も無い。故に、順路は明らかで、しかし、退路は不明である。
「まさかもまさかだな……。後ろを歩いてくれないか?」
少年はバツが悪そうに自身の両の目を右手の掌で多い、若干斜め上を剥きながら、彼女に握られた左手をすっと抜いて、そう言った。
脳裏に焼き付くのは、鏡である地面に映った光景。彼女が穿いているのは、ズボンではない。十分な丈の長さ故に完全に油断していた上、想定外に…―
「ふふっ、わかったわ。足元を影で覆うくらいできるけれど」
彼女は頬を少しばかり紅潮させながら、落ち着いた調子でそう答えた。
「必要だと思ったら、その時だけ、影を足下に張って前に出てきてくれ。……、いや、一旦、この領域から離れよう」
少年は退却を提案した。遊覧のそれとはとても言い難い言い回しではあるが、無理に自身を落ち着かせようとしてそうなった。
「やめるの?」
自身の足元に影を展開し維持し、彼女はきょとんと首を傾げる。
「いいや。ちょっと前もっていくつか相談しておきたい事柄が出てきた」
「ここで話せばいいじゃない?」
「集中、できない」
と、少年は、彼女の足元の影を見た。言外に言っているのだ。目に焼き付いてしまった、と。
「ふぅん」
彼女は何だか少しばかり嬉しそうに、けれどそっけない感じであった。頬の紅潮は消え、少年よりも先にすっかり落ち着いたという様子。
「すまない……」
少年は心底申し訳なさそうに頭を下げた。未だ慣れない、この種の感情に振り回されること。嘗て何処か、鼻で笑っていたような種類の痴態を自身が晒しているということ。
「下着くらい別に…―」
「駄目だ。今日のはちょっと、私には早過ぎた……」
少年のその情けない言葉に、ある意味そっち方面の情緒が幼いまま止まったままなのが漸く成長を始めたのだから仕方のないことだけど、と理解がありつつも、それでも不満であることには変わりが無い訳で。
キスだってねっとりやったし、恋人であるのに、だなんて。
それと同時に、可愛らしくもあると、思っているのだろう。そうでもないと、この少年とこういう関わり方をするのは負荷が大き過ぎる。
尤も、今の部分だけを切り出して見れば、という話である。彼と彼女のこれまでを見返してみると、破れ鍋に綴蓋でお似合いである。大概なのは両方ともなのだから。
公園エリアのベンチに並んで座っている。使い捨てと言われた、異様に軽く、薄い白い容器に並々と注がれた飲み物はただの水である。
容器の側面には、手を繋ぎ歩くカップルの影絵が。
別にタイミングを測っているわけでも無いのに、口に水を含む動きはシンクロしていた。
そして、同時に
「「あっ」」
そして、
「先に聞かせてくれ」
と、少年に言われ彼女は頷いた。
「あっさり出れたわね」
「ああ。にしても、符牒も無く、瞬く間もなく、だとは。しかし、どうして?」
「仮にも迷宮だから、とかじゃないの?」
「はは、まさか」
「迷路の中で出れなくなったら?」
「腑には落ちたが、何とも豪快な魔法と魔力の使い方もあったものだ」
「メインの客層は魔法使い、っていうか、魔法使いしか来てないっぽいし」
「言われてみればそうだな。誰も彼もが魔力持ちだった。魔力無しがいたなら異様に目立つだろうからな、否応なく。……。この手の施設は、ここ以外にも存在していたりするのか?」
「あるにはあるそうだけど」
「どこもここみたいに凝っているんだろうか?」
「行ける距離には存在していないわよ。わたしたちが来れるのはここだけ。昔はそんなことなかったらしいんだけど……」
「?」
少年が興味深そうに首を傾げるのを見て、しまった、と彼女は思った。そして、
「……。ここでだから言うけど。師匠……。私の……。学園長……。旦那さんが司ってたんだって……」
歯切れ悪くそう言った。そして少年は、
「学園長は魔女だろう? なら、死別以外での離別は無い筈だ。あの人は、空間を司る魔法使い。離れることなんてできないだろう」
隠すようなことではないだろう? とその理由と共に疑問を呈す。
「行方不明。でも、師匠が言うには、【封印されている】……、らしいの……」
「封印? もしや、魔王?」
「そう。けれども、決して狂うことがないと確定しているの。魔王でありながら、狂っていないのだから。魔女とは違って、魔王というのは暴走状態であることが定義だから」
「謎掛けか? ふむ。なら、元が狂っていたから、裏返って、正気に、というオチじゃあないのか?」
「植物人間」
「成程。そういうことか。でも、なら、何故封印された? そもそも、今は何処に封印されている?」
「分からないの。わたしも駆り出されて、手を尽くした。けれど、何の手掛かりも無かった。痕跡が途切れているの。ある場所で……」
「要領を得ないな、青藍。君らしくない」
「だって、きっと、師匠はライトをその為に……」
「……。私に教えたくないことをどうして……?」
「だって、そこは、死地だから。けれど、貴方以外はそこに足を踏み入ることすらできない。師匠はもう、限界に近いの。もし、タガが外れてしまえば、きっと、もう、待たない。待てない。話題に出すことさえ危ない。けれどここは外だから。この機会しか、無かった……。記憶に魔法で蓋をして、厳重に鍵を掛けた。幾重にも。その鍵の一つは、師匠の領域から外へ出ること。他は、分からない……」
彼女の表情が、消える。
「っ! どうし…―」
そして、紫のオーラが彼女から放出され、少年は弾き飛ばされた。
それなりにある人の往来の誰一人、こちらに気付かない。
どうしてか?
吹っ飛んだ自身の身体が、通行人の身体を透過したから。
少年は、ベンチに掛けたままの無表情な彼女を見上げ、
(……。青藍、ではない……。仕込んだのは、学園長……。しかし、このような回りくどい手法、錯乱していては無理だろう……? どうして、今、なのだ……? そもそも、問い質して、素直に真実を意図を話してくれる相手か? そもそも、私はそれを信じることができるのか……? 兎に角、今は、)
即座に起き上がり、詠唱無く、それを放った。それは、魔法ではない。それは、
(事態を収拾する!)
自身の魔法の騎士剣による、切断である。
その剣の特性。魔法だけを、斬り割き、消してみせた。
彼女の後ろへ着地し、剣を消しながら、そのまま宙返りし、何事も無かったかのように彼女の隣に、座るように着地してみせた。
「? えっ?」
と、少年の方を見る彼女。もう元の通りである。
(さて。どこからどこまで憶えているのか)
「どうした?」
少年は何事も無かったかのようにそう尋ねてみるが、彼女は無言で、けれど十分な戸惑いを浮かべながら、少年の方と、それの方をちらっ、ちらっ、と視点を往復させる。
「あっ! ……」
少年は気付いた。
自身が手にしていた水の入った容器。それは、地面に横たわって、その中身をぶちまけていたのだから。




