デート・クロス・デート・クローズド・サークル・レイク Ⅳ
気付けば――敷地の中にいた。
遊園地の中。光沢の無いざらめ石の塊で舗装された黒い道の上に、彼女の頭を膝に乗せ、横たわらせていた、あの球形の場の、ざらっとした湿り気のある地面とはまるで違う。
今度のは、気付く間もなかった。
特段光に包まれたでもなく、瞬く間も無く、転移は滞りなく終わった、ということなのだろう。
何せ、転移については経験がある。
そのときのふわっとした感覚に似たものが僅かに残留している。
だが、妙に、上手い。転移に付き物な、酔いの類がまるで無いのだ。
だから、はっと驚いている訳である。少年も彼女も。
少年は膝の上の彼女を見る。
「……」
「……」
彼女は何も言わないし、少年自身も何も言わない。
ただ、彼女は、少年の膝から頭を退け、立ち上がった。それを見届け、少年も立ち上がり、臀部の布地をはたく。
僅かに湿り気が残っている。直前までいた場所の。
あの皆踊っていた場所とは違い、人はまばらだ。余裕を持たせた人口密度を保っているのだろう。
「誰もこっち見なかったってことは、やっぱりこれも?」
「だろうな。皆通った道、ということだろう。それか、私たちの反応がありふれたものでしか無かったからというのも考えられるが、大喜利の場でもあるまいし、もう気にしない方向で行こう」
「そうね」
「で、ここはどの辺りなんだ?」
「ええと」
彼女がパンフレットの地図を広げる。
碌にパンフレットに目を通していなかった少年は、このとき初めて、その場所の全容を目にした。
巨大な湖。その上に浮かぶ、というか、中心を、その樹幹の笠の大きさからすれば、あまりに細い巨大樹の幹が貫いている、という構造になっている。
根は、遥か、深き湖の底。根付いているのは確かだろう。船の上のような揺れも、寄っているような連中も居やしないのだから。
(世界樹というやつだろうか? 尤も、本の挿絵で見たそれは、もっともっと太ましく、且つ、宙に浮かんでいた上、その枝葉は複雑な層の領域をその幹の周りにを形成していたが)
「ほぼ南端ね」
彼女が指差した先を少年は見た。空気というか、空間の膜というか。遥か天井の笠の縁からこの地面まで降りる、シャボンの膜による閉じた領域。エリアは東西南北それぞれ、赤、青、黄色、緑に分けられている。
そして、この今いる領域である公園エリア以外にも、黄色領域には他のアトラクションも存在している。
一つだけ、四つの領域からはみ出て存在しているアトラクションがある。それが、
「さっきまでいたのが、エンドレスワルツエリア。南の端から外へと伸びている、太い太い一本道よ。全然そう感じさせないのはどういう仕組みかしら」
「まあ……、私も気づかなかったが……」
思うところのあった少年ではあるが、それを口に出すのは憚られたのか、それ以上掘り下げて話そうとはしない。
「あそこが、この遊園地の敷地への唯一の出入口を兼ねてるみたい。外との境界。そういう儀式? 本人の状態に依らず現実からいい感じに離脱できるって考えたら、魔法使いにウケるっていうのも分かるわよ」
ウンウン、と何やら満足げな彼女が、できる限りそんな調子でいてくれる。それこそ、まさしく、不快感を押しやってここに今居る価値なのだから。
とはいえ、流石に、二度目以降があるとして、対策の一つや二つ無しに、また同じように耐えるのは厳しいかもしれない。それとも、この違和感は、時間を経るとか、アトラクションを楽しむ程に、薄れていく、という仕組みが敷かれているのだろうか? だとか考えてみたり。
「エンドレスワルツエリア。結構人気あるみたいよ。私たちみたいな反応してた人全くいなかったってことは、あそこはリピーターばっかりだった、ってことかしらね? ……。ねぇ、ライト。不満があるなら言ってよ!」
「エンドレスワルツ。楽しめたには違いない。違いないんだ。だが、意識を緩やかに操作される違和感だらけの心地良さなんてわざとらしいものは、どうも、な……。慣れる、と思うか……?」
「今も違和感続いてる? それとも、尾を引いてるだけ?」
「今も、だな。エンドレスワルツエリアのそれよりはだいぶ弱い。一部のそういうのに機敏な者でもなければ、このくらいなら精神に負荷も残らないだろう」
少年はそう口にして、はっとする。
それは、自分はその一部の機敏な者に含まれている、と言っているようなものではないか、と。
「ここのそれが害意を内包していないって分からない程鈍くも過敏でもないでしょ?」
彼女がそう言ったので、少年は気付いた。よくよく考えると、彼女は自分以上に、この手のものには鋭い筈だ、と。
なら、自分と彼女との違いは、と考えると――思い浮かんだ。自分と彼女の違いは、それが先天的か後天的かの差である、と。それも、負荷も無く、アクセサリを付けるかのように付与されたとかではなく、精神と肉体にそれなりの期間、きつい負荷を掛け続け、身に着けたからだ、と。
「まあ、な……。世知辛い話になるから、今ここで詳しく聞きたいとかは無しにしてくれ」
「そう? わたし、ライトの昔のこと聞くの結構好きだけど。それに、誰かに話すと楽になる、って、こと、ない?」
「それでも、だ。帰ったら話す。誓おう。それで勘弁してくれないか? 少なくとも、今この場で話してしまったら、私は、今回の遊覧を楽しかった思い出とすることはきっとできなくなる」
「ライト……。まっ、いいわ。それならそれで」
「珍しいくらい聞き分けがいいな」
「だって、それって、わたしを楽しませるだけじゃなくて、ライト自身も楽しもうってしてくれてるっていうことじゃない!」
少年の口元が綻んだ。彼女が自分を分かってくれたことが、少年の心を和らげてくれたのだった。何せ、自身が気づいていなかったこと。心を読んだとて、書いていない。だから、彼女が気づいてくれた、分かってくれた、となる訳である。
「じゃあ、行こっか!」
「ああ」
彼女の呼びかけに応える少年の声から、疲れのようなものが消えていた。
「これとか、どうかしら? 鏡の迷宮」
「成程。迷路のような閉鎖空間からの脱出、か。成程成程、『初級・中級・上級、ほか、歯応えや理不尽を求める方向けに特殊難易度も用意アリ。是非是非、つがいで惑って、仲を深めてくださいな!』か。好みと言えば好みだな。挑戦者集う、という感じが実にいい。(つがいなんて言い回しは鼻につくが、まあ置いておくとしよう。何が、とは言わないが、この場所は全体的にそういう傾向を露骨に作っているし、後押ししているようだしなぁ)」
「でしょ!」
そんな彼女の嬉しそうな反応。
少年は思う。
(これが、デートというやつか。何となく、分かってきた気がする。確かに、師匠やブラウン少年の言っていた通り、これは良いものだ)
そうして少年は、そんな彼女との、何だか、いつもにはない、ゆるふわな心地で少年は楽しみ始めることができたのである。