死なない世界の修行の仕方 Ⅴ
数多の崩れ落ちた廃墟を見下ろしながら、まだ真っ昼間な、青空の下の丘の頂にて。
「久々に楽しめたよ。ありがとう」
そう少年は、憑き物が落ちた顔でブラウン少年にお礼を言った。鎧も剣も仕舞って。念の為に保持していた、肉体回復用のポーションの青い滴を口元に少し汚く付けたまま。
放っておいても、この地に敷かれた学園長の法則によって、治るが、それでは遅い。襲撃を受ける可能性が、というのもあるが、数日前から、少年は、以前のような備えというか、下準備というか。そういうものにちゃんと意識を行き届かせるようにしているから、持っていたというだけだ。
そう。
あの日。
微かにだが、思い出せてきていた。
体の内に意識はなかった。自分の身体の外から自分を見下ろしていた。
ほんの微かに。うっすらと。
間違いでなければ、自分は、彼女と、学園の法則の届かない条件で、殺し、合って…―
強く、少年は首を振る。振り払うよう。そんなことある訳がない、と。でも、否定しきれない。だから、こんな有様なのだ。
「……。ライト君。らしくないよ……?」
「そうか? 感謝の気持ちを友に示すことが、らしくない、か?」
「そんな風に、表情が和らいだかと思うと、何かマズイことがあったみたいに表情曇ったり。……」
「何だ? どうして言い淀む?」
「……。また、青藍さんと何かあった……?」
「……」
少年は返す言葉が出ない。
「ライト君、ほんと、そういうとこだけはホント、ダメだよねぇ……」
「……」
がくん、と俯く少年。
分かってはいる。しかし、だからといって、どうすればいいのだ、という思いを噛みしめているかのよう。
「お師匠さんも留守なんだよね……。ライト君が自分で頑張るしかないよ……。どれだけヘタでも、間違っても」
「難しいことを言う……」
「きっと、ある日、分かる日がくるよ。毎日やってたら、少しずつ積み重なって、不意に見えてくるんだ」
「妙に説得力があるな……」
「はは。まあね。じゃ、ライト君。また呼んでくれたら、気晴らし付き合うよ」
と、その場をあとにしていくライト少年に、少年は手を振って、別れた。
家の、前。
少年は扉に手をのばせない。
遮るものがあるからだ。
扉の取っ手をくるむように、粘着質なテープが巻かれ、その上に張り付けられた紙片。
【デート、しましょう】
少年は冷や汗をかきつつ、その文言と睨めっこしていた。
(誰だ……? 紙片に匂いは残っていない。わたしの知る人物の中に該当者がいるかもこれでは分からない。署名の一つすらなく、手書きですらない、一文字一文字、押し印な黒い文字……)
(そもそも、いつ、どこで、なのだ……?)
周囲を見渡してみる。
これを仕掛けた人物が、自分を観察している可能性もある訳であり、昼間のあの無駄に沢山な襲撃のこともあって。
(無視して、このまま寝てしまおうか?)
と、少年は、紙片の上からドアノブをぐしゃりと握るが、回ら、ない……。
しかも、ねとねと掴んだ手にくっついて気持ち悪い。
苛立って、扉を蹴り抜…―けない。
まるで魔法の類で強化されて、見掛けから把握できる強度ではなくなっているらしかった。
ならば、と扉の周りの壁を砕くつもりで蹴ってみるが、無駄だった。
「くそっ……!」
少年は、諦めて歩き出す。
夜歩き。
目的は、寝床の確保。
そして、何故か。
宿屋なんてない学園街。
夜だから、その外への門は閉ざされている訳で、知り合いにあたる他ない。
不幸中の幸いか、まだ、歓楽目的の出歩き人が多くいる時間帯である。
まずは人込みから知り合いを見つけるところから始めないといけない訳だが、最初に見つけたブラウン少年、で、かたはつかなかた。
それどころか、声を掛けることすら、少年はしなかった。
遠巻きに見つけて、声を掛けようとして、ブラウン少年の隣の、女傑の存在に気づいた上、二人の間の空気感からして、少年は既視感を覚えたからだ。
騎士を目指していた頃。それなりによくみた光景にどうしても被る。
(成程……。そりゃ、説得力もあって当然だ……)
少年は悩む。
泊めてくれと頼み込めるくらい仲のよい者なんて、数えるほどしかいない。
(どうしろと、いうのだ……)
人通りは少なくなり始めてきていた。
ぐずぐずしている訳にもいかなくなってきたが、手はないわけで。
(てきとうな教師でも捕まえて頼み込むか? 事情を話したうえで、交換条件で何か手伝いなどでも申し出たらいけるのではないか?)
善は急げ、と学園校舎へと少年は足を踏み入れたのだが――
「……。終わっ……た……」
がくん、と膝をつきそうになるが、辛うじて崩れ落ちず、立ちつくす。
校舎入ってすぐ、エントランスにて、教師たちは、派手に宴会をしていた。ご丁寧に、校舎の外には音や匂いなど漏れないようにしていたらしい。
酒の臭いが充満していた。
焼かれまくる肉の臭い。
べらんべえに酔っぱらっている教師たち。
シラフの者など一人もいない上、端っこで、壁に向かって話しかけている者や、肩を組み合って、口から滝を垂れ流している者たちなど、そもそも話し合いの余地も無さそうなどうしようもなさであった。
そして、
「げへへへへ。少年んん。君も、呑むかぁい? いける口だろぉぉ?」
後ろから肩を組まれ、絡まれる。学園長に……。
少年は、最後の望みをかけて、学園長に頼み込んでみる。
「学園長! 泊めて、ください!」
「んんん~? いいよいいよぉ? じゃ、ぐいっと、いっとこうかぁ」
差し出された杯。透明な器に注がれた、透明な液体。かなり強いアルコールの、咽るような刺激が鼻をつく。
「……」
何か、引っ掛かる。だが、もう、どうしようもない。襲われる可能性がある以上、安全な場所での休息は必須だ。体の損傷はもう直りきってはいるが、ブラウン少年との闘いによる、体力の消耗までは、勝手に回復してくれなんてしない。あれだけやられたのだから、しっかり寝ないと特に今日はまずい、と少年は焦りを覚えており、
「ほらぁ~。はやくはやくぅ~」
ねじ込むように、口腔内にその中身を流し込まれた。
ごくん。
「おぉ。いい飲みっぷりだねぇ! この通り、この少年はいける口だよぉ~。何せ、元・聖騎士様だからねぇ~。酒なんてものは水並みに親しんでるみたいだぜぇ!」
と、手を掴まれ、掲げられる。
何だか、バカらしくなってきた。
(乗らない訳にはいかないし、まあ、宿は何とかなった訳で、最悪ここで飲み潰れても、教師がいっぱいなこんな場所で、夜の間に学生たちが乗り込んでくるのは、まず、無い。……。まっ、いっか)
「ふははははは! 酒は友達ぃいいい!」
と、その辺に転がっていたタルを上から殴りつけ、砕き、抱えるように持ち上げ、その中身を流し込んで、飲み干してみせた。
「もう騎士ではないがぁあ! わたし、ウィル・オ・ライトにとって、宴会は昔取った杵柄。大大酒飲み芸は未だ健在! はいはいはいはい! 勝負だ勝負! 名乗り出る者はいないかぁぁ!」
と、転がっているタルの一つを立て、その上に座り、太鼓をならすみたいに、その側面を掌で、心地よい音を出しながら、ドドドン、と叩いてみせた。
そこからは、歓声や名乗りと共に大盛り上がり。
少年のことを割とよく知る教師から、これまで関わりの無かった教師まで。
少年に挑んだのはほとんど男の教師ばかりであったし、少年は、今日のこの宴会のことを覚えておくつもりもないし、ここ最近色々と疲れていたこともあって、バカ騒ぎの気分で、知恵を捨てることにしたのか――大量の飲み潰れの教師たちを量産しつつ、とうとう少年も、満足そうに、寝落ち、崩れた。
「少ぉう年んん~! 寝落ちかぁぁ~?」
と、酔っ払い学園長は、少年の頭を揺らす。肩を掴んで、激しく、何度も何度も、首から上をかくかく揺らす。
少年は目を開ける様子はない。けれども、口元から、酒の香り香ばしい液体が、垂れ流れた。
「はぁ。やっとか。うっ、げぼぉぉぉぉ……気持ち悪いぃぃ……」
少年に酒色の吐瀉を被せた。
酒色。つまり、透明。学園長もそれだけ既に吐いていた、ということである。そう。吐いていた。自ら、吐いて、大量摂取したそれらが、身体に回る前に、吐き出していた訳である。
学園長は、ふらつく足取りでありながら、立ち上がり、むわん、と空間を開く。その中に、何か放りこんで、いったん閉じる。
そして、ふわっ、と、意識を失っている少年を浮かべ、
「ふふ。間抜けた寝顔だねぇ。そうしていられるのも、今のうちさぁ? ふふふふふふ」
再び、開いた空間に放り込んだ。
そして、空間を閉じ、グラスを拾う。その中にたっぷりと酒を注いで、
「乾杯っ!」
その辺に転がったタルに、ぶつけ、その中身を飲み干して、べろんべろんに、酔いに沈んでゆくのだった。




