死なない世界の修行の仕方 Ⅲ
彼がそんな有様である間、彼女はというと――
学園長室の、夜のテラス。
右手の親指と人差し指の先をくっつけ、輪をつくって、右目の前にあてて、限りなく透明で微かに薄黒いレンズを魔法で生成し、遠見して、溜め息を吐く、青藍。
(ライト……。どうしてそこまで来て、帰っちゃうのよ……)
少年の、重い足取りで、近くまで来て、結局引き返しての、情けない後ろ姿は、青藍にしっかり見られていた。
ここ何日も、ずっと同じ結果に終わっている訳で、そりゃ、気も滅入る訳であるが、そんなに来てほしいなら、呼べばいいではないか。何だかんだ、呼ばれたら、腹を括って、最後まで足を運んでくれると、分かりそうなものではあるが。
少年も。青藍も。ある意味、同じ病巣を抱えていた。
自分に自信がない。
自分に価値を感じられない。
相手が、自分に手を伸ばしてくれることを、信じ、きれない。
いざとなれば、泣き叫びながらでも、互いの手を掴もうとする、強い強い執着を本質的に抱えているというのに。
そこから、目を逸らしている。
少年は無意識に。けれど、青藍は意図して。
どちらか片方が手を伸ばしきれば届く距離であり、両方が手を伸ばせば容易く互いの手が交わる距離。
そう。それは何処までいっても――近くて、遠い。
今は、未だ。
学園長室。
昼である。
そんな顔でいられたら気が滅入ると、予め弟子を追い払っておいて。
学園長は、人を招いていた。
焔色で、淵が焔のように煌めくローブ。そのフードを深く被り、緋色の目に、鷲が翼を広げたような凛々しい赤眉を持つ、飛び散ったような火傷痕の水膨れが頬に目立つ男である。
学園長を、睨んでいる。
「そう怖い顔をするもんじゃないよ。私の気が変わってしまったどうするつもりだい?」
「約束を破っておいて、どの口がぁぁ!」
綺麗で透き通った美形な声にドスが乗って、ピリピリと空気を揺らすような怒号。
「だいたい、君は仕事をやり遂げていないじゃあないか。彼を止めたのは、君ではなく弟子であった訳だし、君は見ているだけだったじゃあないか」
「っ……!」
そこを突かれると、返す言葉もないというのが、男の苦い表情に強く表れていた。
「けれども、私は君をこうやって呼び出した訳だ。リ=バース君」
「僕の、名前っ……、です、ね……。必要なピースの一つ。確かに、受け取りました……」
火傷痕の水膨れの優男は、目を潤ませ始め、蹲り…―
「よそでやってくれ。君を今回呼んだのは、あの日、あそこであった弟子と暴走した彼との死闘。見ていた君のその記憶が、欲しいのだよ」
「……。構いませんが、何に、お使いになるおつもりで……?」
「はぁ……。弟子と彼とを元鞘に戻す為の一助として使うんだよ……」
「……」
「したくないさ。こんな面倒なこと。子を育てたこともなし。そんな私が、何でこんな……。はぁ……。君ならどうする……?」
「どう、と言われましても……。貴方が二人を呼びつけて、一室に閉じ込めて、『腹を割って話をしろ。終わるまでだすつもりはないよ』とでも言って、放っておけばいいではないですか」
「……。君らみたいにあの二人は真っすぐじゃあないんだよ。ねじれ、こじれ、こじらせている。自分に自信がなくて、向けられた好意すら信じたくとも信じられない」
「なら、僕にはどうにもできませんよ。アドバイスの一つすら思いつきません」
「生憎私もそうなんだよ。私がバカ弟子なら、もう一度死闘演じて、気持ちを剥き出しにしてぶつければいいじゃないか、で終わりなんだよ。彼は拗らせは酷くてもその辺りは真っすぐだから、多分いけるんだろうけど、バカ弟子は本気出せないだろうし、本心もさらけ出せないだろうから……」
「多分ですけど、子育て経験者でも、手に余るのではないでしょうか……。僕が見た限りのあのときの死闘の範疇ですら、あの子たちのそれは、特殊かつ互いに重過ぎて……。あ、記憶抜き取るなら、どうぞ」
「……。まあ、せいぜい一人で頑張るよ。このままじゃあ、安眠できるのはいつになるか分からないからね……」
と、学園長は魔法陣を展開し、一切の魔力的な抵抗を解いて無防備なその男から、必要な分だけの、お願いした部分の記憶を光として抽出し、小さな水晶の断面のような石の形に固定し、その手に収めたのだった。
男が爽やかな表情で、別れの手を振って、部屋を後にしていって、足音が聞こえなくなって、学園長はぐったりと疲れた表情を隠すことを止め、
「怠くて、眠い……。まだ日は高いが……。いいや、もう寝よう……」
と、椅子に体を預け、寝落ちしたのだった。




