死なない世界の修行の仕方 Ⅰ
少年は、独り、学園の敷地をぶらついていた。
これまでは時折あった、誰も彼もから避けられる日、敵意を向けられる日、侮蔑の感情を浴びせらる日、喧嘩を売るように絡まる日、といったものは、全くない。
生徒たちの結構な数を、学年問わず巻き込んだ、あの神性を帯びた歪んだ魔王たちの災害によって、少年の強さは、他者に関心をあまり寄せない類の生徒たちにまで知れ渡ったから。
つまるところ、有名人。
その流れに乗るように、爆発的に拡散したあの映像。
あの、1対1同士の決闘という形式では無類の強さを誇る女傑、クェイ・ク・ァンタに限りなく食らいついていた、凄まじい実力。
魔法における、相性。魔法による領域。ルールという暴力。それで、紙一重まで迫っていた。コンディション次第では、勝敗は逆だったというのも十分にあり得るくらいに。
圧倒的に相手に有利な状況で、少年の巧みな言葉と詠唱と、更に、織り込まれた無詠唱。
高学年の者なら、理論的には、できる範囲のことである。練習であれば、準備を念入りに行えば、数回に一度程度の成功はできる程度の。
だが、それが、阻害がいくらでも飛んでくる本番で、一度の失敗もなく、魔法を成立してみせる、だなんてことは、ある種の神業に等しい。
教師陣であっても、そこまでできる者は、一部の戦闘に優れた者に限られる。
少年は、魔法の発動にあたって、その域にいる、ということが知れ渡ったのだ。
(誰も近寄ってこない……。敵意や悪意や嫌悪感は感じないのに、こうやって歩いているだけで、いたたまれない気分になる。走り出したい、という気分でもない。違うか……。むず痒い、のか? 服の下の包帯と傷の腫れと膿のせいでもない……)
包帯を服の下に巻いている。神性を帯びた歪んだ魔王たちや、少年自体は覚えてはいない青藍が少年をここ数日避け気味な理由である制御を失っての暴走を止めてくれたときの傷がぶり返した訳ではない。その時の傷は、完全に治されている。
故に、現在抱える損傷は、ここ数日で負った傷である。結構な傷である。先日のこの少年でもなければ、絶対安静という状態である。
それでも少年は、こうやってぶらついている。
毎日、傷を増やし、規格外なこの少年にとっても、重症域といえる具合に損傷の具合が近づいていきつつも、この数日の日課としているあることを止めないのには理由がある。
(こういうときは、身体を動かすに限る。何せ、ここでは、やりすぎなんてものは、無いも同じ)
噴水のある芝生。
その噴水の周りは、人の出入りがある。
噴水の中に漬かったかと思うと消える者。
噴水の中に、ザバン、と足が使った状態で、傷を負って呆けたように立って現れたかと思うと倒れたり、恐怖の表情を浮かべて現れて、必死の形相で、そこから離れていったり。
「さて、今日も今日とて。積もうか死闘を」
と、声に出して、周りを見渡す。
気配もないし、存在もない。共連れとなる者がいない。
幸せが逃げそうな溜め息を吐きながら、少年は靴と靴下を脱ぎ、噴水の傍に置いて、噴水へと踏み入った。
実のところの苛立ちの理由を、少年が気づくようになるには、情緒があまりに幼すぎる。
ブゥオン!
視界が白くなって――
ヒュォウッ!
ブーメランのような透明な空気の塊である、風の刃を、少年は、目視することもなく、掴み、止めていた。
あいている片手に剣を召喚し、刃が飛んできた方向を見て、そこにいた、『嘘だろ……!』という顔をしている、ガタイの良い大柄の魔法使いを、縦に両断した。
殺した――といえる。そう。この、死に、取り返しのつく法則のはたらく場所で。
噴き出す血を浴びながら、戦場の気風を味わった少年の心の靄は、散る。
つまるところ、少年にとって、それは気晴らしである。
(なるほど。晴れた夏の日の船の上か。陸地見えぬ大海原。その中央。巨大だが、それ一隻しかないガレオン船の甲板の上か)
足元に魔力の迸りを感知した少年は、剣を、足元に向けて、突き出すではなく、軽く、鋭く、下向きに振った。
衝撃波。いともたやすく繰り出されたそれは、かまいたちのように、下へと向かっていき、断末の声が聞こえたかと思うと、船が、大きく揺れ、傾く。
(これは、不味ったか。まあ、いい)
少年は、自分へと周囲から集中砲火のようにとんできていた、火球や、大砲の弾や、巨大なタルや、高圧水流の貫くような水弾などを、目にもとまらぬ速さで、剣で両断し、不発にしてみせた。
少年の周りに、色々混ざった、水蒸気? 煙? 粉塵? そのすべての混合物である帳が生じたのだから、周りの者たちには、少年にそれが当たったのか、少年が凌いでみせたのかは分からない訳で、その中から飛んでくる、跳ぶ斬撃によって、彼らは斬撃の弾幕を浴びて、血の噴水を咲かせる羽目になった。
(今回の面子は、ハズレのようだ)
少年は駆け、船から、海へと飛び込んだ。
そして、海面へ顔を出し、大きく息を吸って、潜り、全速力で、船から離れてゆく。
後方から、船が沈むことによる強烈な巻き込み圧が発生する頃には、少年はその範囲の外。
生き残ったのがそうやって、少年一人になったところで、視界が白くなり、気付けば、噴水に足首を漬からせて、自分一人が立っていて、他は倒れているか、その場で発狂しているか、予め手配していた介助人に肩を借りてその場を離れていったり、といった様子であった。
卒業真近の学生ばかりのその死闘の場ですら、少年にとっては物足りないものになってしまっている。一部の二つ名持ちや、教師直々の弟子でもない限り、少年に食らいつくことができる者すら、めったにいない。死なない世界で、滅びの危険を潜り抜けるという矛盾を、何度も成し遂げているこの少年が、得ている経験値は並ではないのだから。ただでさえ高かった実力は、この学園の平均からみて優秀な程度の連中の追随を許さない。
噴水の水の吹き出しは、止まっていた。
そうなったら、その日の、その死闘の場は、閉じられたということ。
こういった場所が、学園内にはところどころある訳で、周りからの遠巻きな視線を浴びずに済む数少ない死闘の場であるそこは少年のここ数日のお気に入りであった訳だが、今日はもう使えない訳で、
(不完全燃焼だ……。仕方がない……。確か昨日ブラウン少年がお勧めしてくれたあそこにでも行ってみることにするか……)
少年はとぼとぼと歩き出す。
どうやら先ほどの戦闘を録画している者がいて、その映像の売買が早速発生しているようであったが、そんな連中を目にも入れずに。
傍若無人な佇まいであった。




