魔女と魔王 Ⅶ
光の領域。
外と隔たれたそこに、現在存在するのは、2人。
1人は、その領域の発生源であり、中心。
人としての意識を失っている、暴走した光の魔力と光魔の群れの集合体を纏う、消し炭塗れの、二足の化生であり、魔王が一。この領域が消え、外との境界が消えるまでは、頭に仮と付いているが、外れるのは時間の問題だろう。元となったウィル・オ・ライトの身体よりも一回り大きな、人の身体を象るように、形を成しては、崩れ、を繰り返し、その場を動かない。
もう1人は、壮年の男の姿をした、魔王が二。沙羅双樹。この惨状の原因であり、満身創痍であるのは、領域発生時の光の帯に焼かれたから。本質の一つとして、植物であるそれは、本来吸収対象であるそれのあまりの物量によって、回復ではなく、傷を負う羽目になった。
目の前の存在はその中心。その具現。塊。たやすく触れられる訳もなく、かといって、結界から抜けて逃げ出そうにも、焼け、回復しきっていないその両足で、退ききれる訳もなく、攻撃の手は無駄と分かりきっている。少なくとも、もう少し、散ってくれなければ。触れて、斬る、砕く、刺す、何れかが、通るくらいに、中心たるその存在から、光が周囲へ散ってくれなければどうしようもない。それが、濃度の減少より先に動き出せないことを祈るばかり。
(手はある。未だ。先を考えなければ。だが、だが、それでは何も意味がない)
数歩の距離で、腰を低くしながら前のめりに対峙し、崩れ落ちそうな両の手の構えを解かないのは、目の前の存在と、現在辛うじて成立している拮抗を保つため。
しかし。
ブゥオゥウウウウウウウウ――
コツッ、コツッ、コツッ、――
逆らって、境界を越えてきた物が一人。
「何奴!」
振り向くことなく反応した、沙羅双樹の声は、口もないのに、背から後ろへ飛んでゆく。
焔色で、淵が焔のように煌めくローブ。そのフードを深く被り、緋色の目に、鷲が翼を広げたような凛々しい赤眉を持つ、飛び散ったような火傷痕の水膨れが弾け、血を流す、それでいて、苦痛を微塵も顔に浮かべていない、中肉中背で、白い肌の男。そばかすだらけの男。そして、そんな肌の上を、隆起し、流れる水膨れの群れと血の噴き出しを続けては、損傷したはしから、肌が修復してゆく男。
穏やかな表情をして、のんびりと歩いて、構えすらせず、
「分解者で御座います」
口調には焦りの、あ、の字もない。
飛んできた、半ば炭化した、されど尖った枯れ枝の礫は、男に届くことなく、勢いをなくし、消し炭になって、地面に散った。
「彼が形になるのを助けるだけではないですか」
憐れむような目をし、鷲の翼のような眉が降りて、魔法が放たれた。沙羅双樹より向こうにいる、動かざるウィル・オ・ライトへ向かって。
「【固着せし残想:停滞の淀み】」
光でもなく、熱でもなく、冷気でもない。雷でもなく、当然、光でも闇でもない。
無色透明に見えて、微かにそうではない。塵芥のような質量と、旋風のような指向性をそれは持って、現象を齎す。
弧を描いた、風の塊となって飛んでいったそれは、仮なる魔王ウィル・オ・ライトに当たり、その活動を弱めた。
光の煌めきは翳り、光魔の群れは活性を喪い、発生させていた膨れを喪って、本来の大きさに近づくように、ウィル・オ・ライトの身体の大きさに近づくように。纏うとより、覆うというように、中心へ、寄っていき、光を失っていく。
(よもや、機が訪れるとは!)
【偽樹瘤抱】
それは、青藍たちを一度捕え閉じ込めた、樹の覆いと瘤。そして、吸収が為の魔法。
活性喪いしウィル・オ・ライトと、男を封じに掛かった樹木の肌の覆いのようなそれは、
「【新しき残想:過剰たる光の拒絶】」
一瞬の過剰な光の熱の発起に、焼け、否、消滅し、
「【討滅残響:神々しき霊樹】」
魔王たる、歪みし異界の神性霊樹は、亡骸すら残さず滅却された。
コツッ、コツッ、コツッ、――
「魔王として成立せぬよう、君を砕く。繭から孵る前の今。この惨状はお終いだ。もう、被害者が増えることはない。青藍という少女も一命をとりとめた。だが、今終わらなければ……」
男は依頼を受けるかの判断にあたって、関係者の背景を当然のものと要求した。学園長の把握する限りのウィル・オ・ライトを追体験した。
終いにすると言って終わりにするつもりなのに、随分と余計なことを言ってしまったと思いつつ、光と熱をうしなってゆき、崩れ始め、膝をついた、表面はすっかり消し炭になった炭の塊の人形であるかのような、ウィル・オ・ライトが露わになった。
「協力、感謝するよ……」
男は、右手を翳した。
「【塵は塵に】」
ゆっくりと崩れ始めたそれが、ウィル・オ・ライトの頭へと、穏やかに…―
ザバァアアアンンンン!
手を止め、音のした方を見上げ、男は言った。
「これはこれは、微笑ましい」
どこか残念そうに、しかし同時に、どこか懐かしそうに。
(薄くとも、素晴らしき蒐集の機。結実を期待せずにはいられない)
「見届ける側に回るとしよう」
男は穏やかな表情をして、額に左手をあてて、崩れゆく右手で手刀をつくって、自身の首筋を横切らせた。
液体の層のような結界に飛び込み、膜のような境界を抜け、
ザッ!
「ライトォオオオオオオオオオオオオオ!」
落下しながら叫び、
ゥウウウウウオオゥウウウウウウウウウウウウ、タッ!
結界を抜け、空から降り立った青藍。
少年の元へと駆け寄っ…―その足は止まった。飛びついて、抱き着いてしまいそうだった勢いは消え失せていた。
膝をついた消し炭の塊のような、死体のような少年を、見下ろした。
触れることすら憚られる。触れてしまえば、そこから崩れ、倒れ、粉々になってしまいそうだから。
そう。今にも死んでしまいそう。どう見たって死んでいるように見えるのに死んでいないと言い切れるのは、通ってきた光の結界が消えていないから。
回復魔法なんて使える訳でもなく、学園長の敷いた理の外にこの場所がなっていることも明らかで。
だから何かしないといけない。
何とかしないといけない。
声が聞こえたから、と、外から見たときは姿形がちゃんと少年のそれと認識できるさまであったから、と、正気を失っているだけ、と思って来てみればこの有様。
猛っていた感情は冷え切っている。
冷や水をひっかけられたような心地で、絶望するでもなく、悲嘆するでもなく、冷たくなってゆく。
何を自分は浮かれていたのだろう、と。
死なずの理の敷かれた、終わりなんて来るはずのない場所。
限りなく危険、ということは度々あっても、それは決して、死や決別には届かない。
そう思っていたのだ、どこか無意識に安堵していたのだ。
「……」
また得られるもの、また作れるもの、だとはいえない。到底思えない。
偶然の産物だから。
分かっている。
これしか、無い。
彼が中心で、だから、動かすことなんてできない。結界が消えるより先に、彼が死んでしまうから。
やるべきことは分かってる。
けど、これで、また……、居られなくなる。
けど、いい。
それで、いい。
だって、彼が消えてしまうほうが、ずっとずっと、きついってわかってるから。
足りないかもしれない。至らないかもしれない。けれど、それでも――
「今まで、ありがとう。わたしじゃあなくて、彼を、助けて、あげて」
右手中指から外した白亜の指輪。
それは、腕輪だった頃の大きさにまで、膨らみ、ほどけ、白く半透明な、小さな蛇のような頭を持つ何かに戻った。
そして、消し炭に成り果てた少年へと、入って、ゆく。
消し炭となった体は、再び、光り、だす。
青藍は薄くも確かに闇に纏われてゆく。一瞬、表情が翳り、固くこわばる。そして、覚悟を決めた表情をして。靄は、煙のように黒々しく、沸き、青藍を孤独の頃へと引き戻す。恐怖と恐れを周囲に与え続けていた嘗ての畏れと威を放ち始める。
心まで、凍りきりそうになる。それでも、心まではあの頃にはまだ戻る訳にはいかない。
「キミを助けさせて、くれないかい」
決意を口にした。
ゴッ! カッ! ゥウウオオオオオオオオオオオオウウウウウウウウウウウウ!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―—!」
低く、太く、大きく、長い、咆哮。
励起し、光を色濃く纏い、輝かせる。口や鼻や、目の穴から白い光を散らすように漏らし続けながら。
消し炭の身体をフィラメントに、過ぎる光を放ち続ける、徒手の化け物。
言うなれば、それは、【白熱電球の魔王】




