魔女と魔王 Ⅵ
聳え立つ光の領域の前。
誰もいないことを念入りに確認し、降り立った人物。
真っ白なローブ。顔をしっかり覆っている。
「さて。火事場泥棒に勤しむとしよう。やはり、もう少し欲しい。あれでは足り…―」
やけに、爽やかで、透き通った少し高めの声は、目論見を口から零しながら領域の境界に手を触れる。雷のような音と、焦げ弾かれる自身の掌。
「【その資格は無い】」
頭に響いてきた、その警告を鼻で笑う。
誰に向けての言葉なのか、と。
「これだからもう。意地の強さだけの青臭いバカは嫌いなのですよ」
何故か、ご機嫌そうに、その場を後にしていった。
繋がる。ぼやける。混ざり合う。前後が。
じっと、夕焼け色の空を眺めていたような――
起き上がっていた。
手を伸ばして。天井が、歪んでいた。
目を、擦った。
湿って、いた。
もう、歪んでなんて、いなかった。
眩しいくらいに、白い。
立ちあがろうとして立ち上がって、眩しいくて、思わず目を瞑った。
どさっ、と尻餅をついて。
再び立ち上がりながら、うっすら、うっすらと、徐々に、徐々に、目を開けた。
「ひか、り……?」
凝視する間も無かったし、遠目からしかそれを見ていなかった青藍は、その巨大さを把握していない。
目を、そらせない。窓の向こう側。遠く。立ち昇る光の柱。
窓際から眺めている。今。
窓ごと、いや、部屋ごと、そこへと向けて迫っていっている。吸い込まれてゆくように。
「ああああああああああああああああああああああ――」
少年の、叫びが響き始める。
どんどん、大きくなる。
耳を塞ぎたいとは思わない。耳が震え、痛くなっても。
炸裂の記憶は、未だ色濃く残っているのに。
「【入るは自由、出しはしない】」
「【その資格はない】」
「【私に、踏み行って、くるな!】」
どれもこれも、少年の声。
それが如何ほどに強大な拒絶の圧を持っているのが感じ取れるくらい、伝わってくる。
……。何、を……? そこまでして……。
「そんなになって……。何を、してるのよ! ライトおおおおおおおおおおおお!」
窓から飛び降りて、壁を蹴って、叫びながら疾走。
突き破った。
外へ。
光の境界へ。
触れて、
「【誰か、私を、救って……ください……】」
「最初から、そう、言いなさいよぉおおおおおおお!」
(ライトのバカぁああああああああああああ!)
焼けるはしない。拒絶されない。自身を救ってくれる可能性があるのは、現在において、彼にとって、彼女だけ。無意識に。でも、だからこそ。水面に沈むように、受け入れられ、消えていった。
爆心地から離れて。
学園長室。その上空。
「学園長。何で私の顔を見るんですか? 何か書いてあるとでもいうんですかねぇ」
あたりの建物の屋上より少し高く。上空に浮かび、半透明になって、見下ろす少年と、
「キミは異界の客では無いとはいえ、面倒ばかりおこすじゃあないか」
隣で半透明になって浮かんでいる学園長。
「どうしてですかねぇ? 望んでなんていないのですが。それより。あれ、私なのでしょうか」
と、光の柱の爆心地。その中心。透けて見えた、獣を指差した。
黒く炭化した、表面をボロボロ崩しながら、露出する内側も悉く炭化しているように見える、消し炭な等身大の、蠢く消し炭の煙を放ちながら、より色濃く広大に纏い始め、何やら力を溜めているらしい、それを。
なぜ獣と形容したのかというと。それは、四足で立っていたから。剣を手にせず。口にせず。
声なき咆哮。空気を揺るがし光の領域内の建物の表面をやすりで擦ったように痛めつける。
指向性が無く、無作為で、意図もなさそうなそれ。
獣に対峙する、唯一の存在である壮年の男に、それは到達せず、掻き消えているように見える。
「そのようだよ。何とも都合は良いけれども」
「……」
半透明な少年の、その目が、ぴくり。何かに気づいたようである。
「どうしたい?」
「……。戻らねば……なりません。事態を収集しなくては。そして―…、……」
「その通り。そうさえない為に、僅かばかりの君の正気をこうやって吸い出した訳だからね。それにねぇ。この程度の惨状、稀によくある程度のことだよ? 本当だよ? わたしが直接手を下していないことがその証明になっているとは思うけれど、君は随分、焦っているようだね」
「焦るに……、決まっているでしょう。発狂しそうですよ。よりによって、弱音を吐いてしまった。助けて、と言ってしまった。私は、救われる者ではなく、救う者でありたかったというのに。よりにもよって、青藍に……。貴方の仕業ですよね、これも。この展開も」
拳を強く握りしめる。歯ぎしる。音は無残にも、鳴らない。気分を紛れさせてなどくれないのだ。ほんの僅かな逃避すら許されない。
「全部わたしのせいなんかじゃあないよ。わたしは便乗しただけさ。良い機会だからと。そんな目をしたって無駄だよ。欠片でしかない今の君には微塵の力も無いのだから」
「……見届けますよ。本来、その機会すら無かった筈ですから。悪態をつくのはやめます。慣れていますから。態度なんてものは、血肉のように自由自在。……」
「絶望しないのかい? 最後なのかもしれないのだよ? 年不相応を貫かなくてもいいというのに。泣きもせず、取り乱した様子は嘘のようになりを潜めて。ここにきて感情を殺す? そんなのただ、しんどいだけではないかな?」
「敢えて言うのなら、その資格は無い。そういうことです」
諦めの魔法。前を向く為の拒絶の呪い。心の中の言葉という自分の中で閉じた、絶対の摂理。
その筈。筈、だった。
だった。だった。
はは……。もう、ボロボロだ。それでも、
「……。…………。………………。ど……どうか。彼女だけでも、救え、ないで、しょうか……。何でも、差差し出しますから。どうか。どうか」
諦められない……。
「わたしにゃ無理だ。それを言うべきはわたしじゃあない。儘ならないなぁ。昔を想い出さずにはいられないよ。」
どんっ! と、半透明で実体なんて無い筈の少年の背を蹴り飛ばした。
巨大な光の柱の領域へと一目散に吹っ飛んでゆきながら、豆鉄砲を食らった鳩のような表情をした半透明な霊体な少年に、学園長は微笑みを浮かべながら小さく手を振り、見届け、背を向け、下へと戻っていった。