魔女と魔王 Ⅲ
「ほぅ、遅い御着きなことだ。だというのに、敵意の欠片すら無いとくるか。支配者よ」
樹木のような肌だった筈の男は、黄疸を浮かべつつも、人の肌をしていた。黄色掛かった肌地で、額に突起など無く、髪の毛は粒のような丸が螺旋のように連なったような螺髪とは程遠く真っすぐな直毛で左右に流された、腰まで掛かる長い黒髪。眉は無く、目は一重で糸のように細く、そして、それでいて、きっ、と見開くと鋭い眼光を露わにする灰色の瞳。耳たぶはまるで長くなく、唇は茶色く、薄い。威厳などない、小さな顔。それでいて整った顔。
唯我独尊といった、圧のある雰囲気。薄く筋肉を纏っただけの、華奢な長躯。
「格そのものは、天部どころか、半神にも届いていない。だけど、力だけは、天部に迫っているようだね。歪だなぁ。これじゃあ、私が手を下す必要なんて無さそうだ。けれど、チャンスをあげようと思う」
学園長は、そう、嘲笑いながら、より混沌に、強大になり果ててゆく沙羅双樹に提案する。
「君は丁度よい壁になりそうだ。見合った試練だとか、適性レベル、とでも言うべきかな?」
「ほぅ。下位世界の存在に過ぎぬその身で識っておるのだな。ならば、答えよ! 儂は、端末か、それともただの、ノイズに過ぎぬのか!」
「そんな大仰なものではなないよ。ただの、ごみさ。捨てられたごみ。だからもう、原型を保ってすらいない。要らないモノの寄せ集めさ。ふふ。ははははは。だからせめて、役に立っておくれ。夢は見せてあげたのだから」
樹木の槍が、地面を貫き、枯れ咲いて、人のカタチをしていたモノは、灰という正体を現し、散るように消えた。消し炭だけが残る。目の前の下手人を嘲笑うかのように。
ウォォォンンン――、ウォォォォンンン!
警告音が鳴り響く。
『魔王級が現れました。学生寮区西。分類は、精霊派生、偽神。混沌に拠る分離系群体型の傾向あり。本体は今のところ、分霊相当の従属二体を携えた、異界の霊樹。権能は、幕引きによる神の完成。肉に依らない各々は避難ください。祭り上げられてしまう恐れがありますので』
穏やかで落ち着いた透き通った男性の声が響いた。
「大事にされているようだけれども、続けますか?」
沙羅双樹が尋ねる。若木のように、若々しい。柔らかな声と物腰と、どこか他人事のような心地。それでいて、その肌は木目調でごつごつとしていそうな様子だった。
手にしていた、拡声機の類を机に置きながら、あずき色のローブ姿の細く、尖った細い顔のひょろっとした男は、
「貴方たちが始めたんだろう? 何訳のわからないことを言ってるんだ?」
演技という重荷を下ろし、苛立ちを向け、沙羅双樹を消し飛ばした。
言葉でも心の声でもない、独特たる男の、名もない魔法は、難なく、端末の一つを消し飛ばしたのである。
「これで……あの未来の通りになる可能性が跳ね上がるんですよね、学園長……」
そう、恨めしそうに、独り、呟いた。
青藍を閉じ込めている瘤の、中――ではなくて、それを伝った、細い樹木のねじれにねじれた枝の中。
巨大なトンネルのような広さの空間が広がっているかのよう。薄暗く、ねじれた空間のせいで、先は、進まないと見えないという厄介さ。
それでいて時折――
ウゥオン!
光の帯が、走査してゆく。
これを、辿ってきた。これの発信源を、辿ってきた。
闇色の鎖が蠢くように現れて、縦横無尽に飛び交って張り巡らされて、沙羅双樹を縛り上げる。樹木の皮をめくった肌地のような地面から浮かせて、締め上げながら、接触箇所から溶け、癒合するように、侵食していきながら。
生かさず、殺さず。抵抗を許さず。捕え続け、狙いは、使うべきところで、鍵として使う為に。
行き止まり。
光が、走査してきた。壁の先に、丸い空間が広がっているのが一瞬、透けて見えた。
壁に、捕えていたそれを、こびりつけるように押し付けた。
それに吸収、吸着されていくかのように、壁が薄れてゆく。
コイツのたった一体を捕らえる為にあれだけ暴れまわって、壊れることすら無かった、自分が最初いた瘤から偶然にして出ることができたときと同じように、出入りが実現した。
自分とは違って――少年は、繭に包まれていた。光色の繭だ。白光の塊のような糸が束なって、そして、透明で、しかし、発せられる光で存在が辛うじて視認できる、尖った、針のような数多の棘。
自分がいたあの瘤とは違って、沙羅双樹の端末の一つすらもいないのは、どうしてか。
考え込みそうになって、そうなると、歩みは止まってしまいそうで。
だって、結局のところ、出れた訳ではないのだ。力は、吸われ続けている。
頭は、冷えていた。
良くも悪くも、合わせると結構、色々とがっつりと吸われてしまっている、ということである。
「……」
助ける前に、掛ける言葉は見つからない。
闇の靄が、蠢く。
呪文の声もなく、小さな蜘蛛の姿の蠢く影に成ったそれらが、青藍へよじ登り、足から、尻、背、肩を越えて、左腕、そして、その掌へと。
蠢き、集まったそれは、毛先のように手足黒く蠢く、細身のレイピアの形をとっていた。
針のような硝子を溶かし、散らし、繭を、喰うように、その表面をなぞり喰ってゆき、黒焦げた消し炭のようになって、手足を失っている、少年だったモノが、露わになる。
死んでいる。生きながらにして。
絶望に呑まれ、闇に溶け消えそうになりながらも、姿を保ち、青藍は、自身の大切な少年を引き摺り出すように回収し、瘴気の鎖で包み、自身の世界へと引き摺り入れるように、仕舞った。
闇が、充満する。重さと圧と、冷たさと。壁に触れると、あっけないくらい簡単に、外へ、出れた。落下する。潰れることもなく、質量のある闇の靄の絨毯に着地する。
そこは、学生街の、元の区画。
誰もおらず、静まりかえっている。
ヤドリギの細枝の束も、空っぽになった二つの瘤も、丸ごと、塵と消えていた。
青藍は、スッ、と消えた。




