魔女と魔王 Ⅰ
「どうして、こんなことをするの?」
ギチチチチチチチ――
闇の鎖が、瘴気を放つ。それは、菩提の首筋を爛れさせてゆく。強烈なカビ臭を放ちながら、黒々く腐食してゆく。
「……」
菩提は口を強く、重く閉じ、唇には歯が刺さって、血が流れている。
「答えないなら、解体するわよ、異世界の精霊」
「……」
メキメキミキッ――
闇の鎖が閉まった訳ではない。その音は、菩提の唇から響いていた。
パキッ! カラッ、カッ!
欠けた。千切れたのではなくて。地面に落ちて、白地に赤い血が付着したそれは、乾いた音を立てて、地面を跳ねて、転がり、赤い血は唯の水に濡れたようなシミに変わり、石油染みたミネラル臭と強い甘みをつんと、濃厚に放った。
「精霊というよりは、霊樹。その化身? といったところかな? なら、願いもきっとありきたりな決まりきったものなのだろうね。何度も見たよ。飽き飽きする位」
冷たく青藍は言い放つ。
「帰りたいんだろう?」
「……」
かくん、と、頭を垂れた。意識が飛んだようだ。肯定したかどうかすら定かではない。
「勝手にしろよ……。恵まれてるくせに。祝福そのもののくせに。……。何でキミたちのような奴らが、願いなんてものを抱くのさ……。奇蹟の数は、限られているんだよ……。彼は、ボクの、奇蹟なんだ……。分けてなんて、やるものかよ……」
青藍の頬から涙が流れる。闇色の瘴気が色濃く漏れ始め、空間を歪ませ、夜の空間を漂わせ始める。
ブゥオゥゥウウウウウウウ――
風が、吹いた。
「っ?」
後ろ。
振り向いた。色濃い香りと共に、無い筈のものが見えた。建物の間や、街の路面。埋め尽くすように、咲き乱れる――白き花。ジャスミンの香り。
敷き詰められてゆく、白い花の絨毯。見渡す限り広がっていく。漏れ出していた夜が、押し返されるように、白い花と昼が、青藍の足元までも、白い花で埋め尽くした。
音も無く、目の前に。
「こんにちわ、お嬢さん」
しわがれつつも、上品な爺様のような声。
黄土色の肌。まるで樹木のような、いや、樹木そのもののような横皺の目立つ皮膚。細く、高く、華奢で、しかし、背は曲がっていない。
枝の先のような指先には、爪が無い。
尾を伸ばしたスペードのような葉の文様が折り重なったような白い、薄い、透けるような、法衣のような布を纏って。
頭髪も繭も無い。唇に色は無く、目は、穏やかに下がる目尻。
高い鼻。息をしているように見えない。
「……!」
老人はその手に、闇色の鎖の一本を握っている。それを辿ってここに来たということなのだと、青藍は察する。
しかし、鎖は衝撃を伝える。外されたなら、気付かない筈がない。それに、負荷、収奪、拘束、といった負の力を持つその闇の鎖を防いで、握って平然としていられるということは――
「キミが黒幕か。見掛け通りの長寿を迎えているかは知らないけれども、強さだけは確からしい」
穏やかにそれはこくんと、ゆっくりと頭で肯定した。
「対話は望まないでしょう? お嬢さん」
動かない唇。地に伏した者たちとは違い、この相手は擬人に拘らないらしいと分かる。それでも、敢えて言葉を使ったのは、何の為?
唐突に、目の前に舞って、頬に触れて横切りそうな、スペードから尾を引きのばしたような形の緑々しい、掌大の大きさの葉を、青藍は避けた。
「穏やかな死。それでも殺人に変わりない。殺意に変わりない。理を捻じ曲げて、そんなものをこびりつけようとしている。お前、魔王だな」
「そういう、概念ですので。神話の終わりを齎す者。神話を完成させる者。そういう、祝福ですので。魔女のお嬢さん。貴方は何を司る呪いなのでしょうね?」
ブゥオンン――!
白い花の香りが漂う。漂ったジャスミンの香り。色濃く沸き立ったのは、倒れた二体から。白い花びらに塗れながら、立ち上がる。
「やっとやる気になってくれたのかい? 沙羅双樹」
「変わりありませんよ。言った通りです。叶わないのは仕方がない。ですが、朽ち果てるのは此処ではない」
「遅ぇよ爺さん! ブツは確保したのかよ?」
「未だですね。この魔女が見ての通り立ち塞がっているので」
「ゾンビ騎士ぃぃ、魔女の伴侶かよ!」
「魔王とその従属とこの世界に識別されたわたしたちも、同一ではないとはいえ同類でしょう?」
「はっ! 違ぇねぇ!」