プロローグ②
それからしばらくの時が経過したある日…。
「兄さん。今日は私、お友達の家にお泊りしてきますね。」
高校生になりもう一月あまり、クラス内でも仲の良い友達が出来たらしい詩音は休日前の朝にそう言ってきた。
「そうか…なら何かこれで手土産でも相手の家に持って行きなさい。」
俺は財布の中から1万円札を一枚取り出し詩音に渡す。一晩お世話になるのだ、こういうのは大切な礼儀だ。
「えっ!?いいよ、兄さん。自分のお小遣いからだすから。」
「妹が世話になるんだこれくらい兄としてさせてくれ。」
グイグイと半分無理やり押し付けるようにお金を詩音に渡す、申し訳ないような嬉しいような複雑な顔をしながら詩音はお金を受け取ってくれた。
「あ、ありがとうございますお兄様!大切に使わせていただきます。」
ありがたやーとお金を掲げ大仰にお礼を言ってくる、妹にはお金の心配などさせたくないので兄として見栄を張る。
「うむ!相手の親御さんによろしく伝えるんだぞ。余った分はお小遣いにしなさい、高校生の付き合いは何かとかかるからな。」
……とは言ったものの。一万円の出費は普通の高校生にとっては中々に痛い、これはバイトのシフトを店長に言って増やして貰うか?
「うん!ありがとう!」
だが、満面の笑みを見せる詩音を見るとそんな先の苦労も憂鬱ではなくなるのだった。
……そんな朝のやり取りを思い出しながら、今現在の自分の置かれた状況を整理する。
時刻は夜、バイトから帰って来たところで普段なら街灯も少ないこの辺りは夜の暗闇が下りているはずなのにこの日に限ってはやけに明るい。
それもその筈、なぜなら…。
「俺のアパート燃えてるぅぅぅぅぅぅ!!?」
そう、帰って来たら家が火事になっていました……。
「なんでぇ!?と、とにかく119番通報!しょ、消防車ぁ!?」
木造二階建てのアパートはみるみるうちに火の手を伸ばしている、このままでは全焼してしまう。俺は今だ混乱する頭を使い何とか消防車を呼ぶ。
次に今日は家にいないと言っていた妹の安否を一応確認しておく為にスマホに電話をかける。
「……はい、もしもし?どうしたの兄さん?」
数回のコールの後に妹が電話に出る、そのいつもと変わらぬ声に一先ず安心する。
「詩音!今は友達の家かっ!?」
「は、はい。そうですけど?それがどうかしたんですか?」
「落ち着いて聞け、俺たちのアパートが火事になってる!」
「…はいぃぃぃぃ!?」
スピーカー越しに詩音の驚いた声に反応した人の音が聞こえる、どうやら友達が近くにいるようだ。
「え、冗談とか…?」
「残念ながら今俺の目の前で起こってる。」
火の勢いは益々強くなり手がつけられない。
この光景に五年前の記憶が蘇ってくる、両親を火事で亡くしたあの日の記憶が…。
「……兄さん!聞いてますか!?兄さん!」
「あ、あぁ悪い。余りのショックにボーっとしてた。」
慌てた詩音の声にあの日の記憶に引きずられそうになっていたところを引き戻される。いかんな、妹に心配かけるとは。
「とりあえず、俺は無事だから心配するな。お前もこっちに来たりせずに大人しく友達の家に居ろよ?」
「でも!」
「大丈夫、いざという時の事はちゃんとしてあるから。何も心配するな、お兄ちゃんに任せておけ。」
火事の恐ろしさは一度味わっているので、できる限りの対策はしていた。火災保険も入っているし本当に大事な書類や通帳も貸金庫の中に預けてある。
抜かりは無い!だが実際に火事が起きようとは……人生何があるか分からないなぁ。
「…ん?」
火事が起きたことにアパートの近所に住む人々や野次馬なんかが集まり出した頃、あることに気づいた。
「詩音…一旦電話切るぞ。」
「あ、ちょっと!兄さ……。」
電話の向こうの静止の声も聞かず通話を打ち切る。それどころではないかも知れないからだ、嫌な予感がする。
この時間帯にいつもアパートにいるはずのお隣さん……白鳥さんの姿が人混みの中に居ないのだ。
アパートの住人は一階に中年のおじさん…確か名前は中嶋さん。それは人混みの中で呆然としていた。
あとは二階に俺達兄妹二人、そしてお隣の白鳥さんだ。
その白鳥さんの姿がどこにも見えない。
「まさか!まだ中に!?」
アパートを見れば火は既に全体に行き渡ろうとしており、誰が見ても近づくのは危険と分かる……。分かるけど!!
「クソッ!!」
気付いた時にはもう燃え盛るアパートに走り出していた、後ろから危ないだの戻れだのと誰かの声がするが聞く耳を持たず火の中に突っ込む。
階段を勢いよく駆け上り、煙を吸わないようにハンカチを口に当てながら白鳥さんの部屋の前に立つ。
「白鳥さん!中にいますかっ!!?白鳥さん!!」
ドンドンとドアを乱暴に叩く、中に居なければいい!確かめるだけだ!きっともう避難している!
そう思いながら…そうであって欲しいと思いながらドアを叩くと中から微かに咳き込む様な音が聞こえてくる。
居る。まだ中に白鳥さんは居る!
嫌な予感だけはよく当たるな!クソッ! 心の中で悪態をつきつつもドアを開けようとドアノブに手を伸ばす。…だが。
「ぐうっ!?」
火事で熱せられたのか高温になったドアノブを不用意に触ってしまい、右手からジュッという嫌な音と肌の焼ける痛みに襲われた。
それでも何とかドアを開ける事には成功した、良かった…ドアが熱で変形して開かなかったらどうしようかと思った。
「白鳥さんっ!大丈夫ですか!?」
ワンルームの部屋の窓際に敷いてある布団の上に白鳥さんは寝そべっていた、どうやらこの火事も寝ていたので気付くのが遅れてしまい逃げ遅れたのだろう。
火事の煙を吸ってしまったのか布団の上で咳き込む白鳥さんは俺の呼びかけにも応える様子はなく苦しそう息をにしている。
「失礼します!!」
もはや火と煙で一刻の猶予もない、そう考え俺は白鳥さんを横抱きに抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「くぅっ!」
ちょっと重いが引っ越しのアルバイトの時と比べればお年寄りの一人くらい持ち上げるのは余裕だ。
こちとらクソ重い荷物を運びながら何回もマンションの階段を上り下りさせられた経験があるんじゃい!!
白鳥さんを抱えたまま俺は燃え盛る部屋から脱出し、今にも焼き崩れそうな廊下と階段を駆け抜け無事にアパートの敷地の外に出た。
その時ようやく消防車のサイレンが聞こえてきた、やっと来てくれたか。まだ通報して10分も経っていないのに待ってる間はやたらと長く感じた。
「……っはぁ~~~。」
消防隊や救急車が続々と集まり出し少し安心した。
「もう大丈夫ですよ。」
俺は抱えていた白鳥さんを駆け寄ってきた救急隊員の人に容体を診てもらう為に近くの壁に寄りかからせるようにそっと降ろす。
俺は救急隊員に状況を説明し白鳥さんの処置を任せる。
どうやら煙を少し吸い込んでむせただけのようで、大事には至らなかったようだ。良かった。
次に俺も右手の手のひらを火傷していたので応急手当してもらった。あくまで応急処置の為、後で専門医にちゃんと診察してもらうように言われた。
指を動かしたりは多少痛むが問題ない、だが、完治しても火傷の痕が残るかもしれないなぁ。まあ、男の手だし多少の火傷の痕ぐらいきにはならない。
むしろこの程度の代償で白鳥さん救えたのだ安いものだろう。
ちなみに燃え盛るアパートの中に突撃して白鳥さんを助けた事は後で消防隊の人に滅茶苦茶怒られた……。
そして後日、妹の詩音にはそれを凌ぐ勢いで怒られてしまった。