来店
ドアの上部に取り付けられたベルが音を鳴らすのとほぼ同時に、「いらっしゃいませ」という声。店内には自分以外の客はおらず、カウンターに店員が一人。外装と同じく内装も西洋骨董のような趣があり、年期を感じさせる。どことなく懐かしいような雰囲気だが、壁に目がいって驚いた。いくつあるのか、見当もつかないような大量の腕時計が、壁を埋め尽くし、それだけでは飽き足らず、収まりきれなかったのであろう腕時計達は、窓さえも侵食していた。それらの腕時計には男性用も女性用もあり、また見るからに高価そうなものも、安物も、種々様々なものがあった。一歩間違えれば、病的なものになるであろうその光景は、どういうわけか内装と一体感を持ち、不思議な、しかしどことなく落ち着く雰囲気を醸し出していた。
圧倒されているような、包み込まれているような、奇妙な感覚に呆けていると「驚かれましたか?」と声をかけられて、初めて店員に意識が行った。どうにも自信がないが、おそらく男だ。それもかなり若い。肩甲骨あたりまである長い髪を、肩のあたりでゆるく括っており、室内だというのに淡い色のサングラス。だが色ガラス越しの表情が柔らかいせいだろうか、怪しい雰囲気はしない。全体的に線が細く、顔立ちの整った優男。まとう空気もあまり男性らしくなく、慈母のような、柔らかく包み込んでくるようなものだった。それが若い見かけに反して、妙に老成したような印象を与える。
誘われるようにカウンター席―――――カウンターはショーケースのようになっており、そこにも時計が並べられていた―――――に落ち着きながら観察する。男は終始笑顔だ。こちらの少々不躾な視線を気にするそぶりもない。いったん男から視線をはずして、もう一度店内を見渡す。
「この時計は……」
尋ねようとして、妙な逡巡に詰まる。軽々しく訊いていいものではないような気がした。だが、それはやはり気のせいだったらしい。男は笑みを深くした。
「皆、最初は驚かれます。ほとんどがお客様の預けて行かれたものなのですが、気付けばこのように」
腕時計を預ける、という行為の意味が分からず、再び尋ねようとする前にメニューを手渡され、なんとなく訊きそびれてしまった。
入る予定ではなかった店だが、どのみちどこかで時間は潰さなければならない。幸いここは騒がしくもなく、妙に居心地がいい。喫茶店だから酒はないだろうが、もともとコーヒーはよく飲む。問題はない。