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終章 帰宅

帰還

 家を出てしばらく歩くと、大通りに出る。家のあるあたりは田や畑の方が目立つが、この大通りにはそれなりに建物も商店もあり、それなりに活気があるように見える。しかし夜になれば、通る車でさえまばらになる。その通りの一角、元は何が有ったのかは知らないが、「売地」と書かれた看板だけが立っていた、空地であるはずの場所にその喫茶店はあった。ドアの上に掛けられた、木にややはげかけた金字で「喫茶clock」と書かれた看板。驚きはない。この喫茶店がここにあることは分かっていた。だからこそここに来たのだ。


 中に入るとドアに取り付けられたベルが鳴り、「いらっしゃいませ」という声。店の中を見回せば、西洋骨董のような内装に、壁に掛けられた大量の腕時計。自分を見て「お久しぶりですね」と言うカウンターの中の男は、元の時代で会った時と何ら変わりのない姿でそこにいた。





 帰りたい、と言うと、驚くほどすんなりと了承された。もしかすれば、とんでもない条件でも出されるのではないかという考えが頭の片隅にあっただけに拍子抜けし、思わずそれでいいのか、と訊いてしまった。答には笑みが帰ってきた。


 少し待っていて下さい、と言いながらコーヒーを出される。待つ間に飲め、ということなのだろう。素直にコーヒーを飲んでいると、男はカウンターから出て、店内を壁に沿ってゆっくりと歩き始めた。壁に向かって耳を澄ませながら歩いているように見えた。


 ちょうどコーヒーを飲み終わる頃に立ち止まると、壁に掛けられた腕時計のうちのひとつを取り外し、カウンターへと戻ってきた。その時計は過去に戻るとき、預けたものだ。ということは。店内の壁を覆い尽くし、それだけでは飽き足らず、窓をも埋め尽くす腕時計。これだけの人間が、過去に戻って、何かをしているのだろう。一体、これらのうちのいくつが、また元の持ち主のもとに帰れるのか。


 過去に戻った時と同様に、目を閉じるように言われ、目を閉じた。目をあけるように言われ、開く。自分の手を眺めてみれば、その手はまだ若い男のものではなく、五十年余りの年月が少しずつ浮いて見えるようになったものだった。


 預けていた腕時計を受け取り、店を出ようとして引き留められ、白い箱を渡された。念のため了承をとって開けてみる。中身は、モンブラン。数は三つ。思わず男の顔を見ると、サービスです、と邪気なく微笑まれた。礼を言って、今度こそ店を出た。





 外は元の時代でこの喫茶店に入る前、さまよっていたあのオフィス街。ただ、あの時とは異なり、人気があり、気のせいか、かすかにまだ明るいような気がする。時間を見れば、あの日、いや、本来は今日、仕事を終え、会社を出た時の時間。驚いて出てきたばかりの店を振り返ったが、そこにあるのは喫茶店などではなく、つぶれたと思しきコンビニだった。立ったまま夢でも見たのかとも思ったが、手には現実である証拠に、真っ白なケーキの箱。その箱をしばらく眺め、ふと、笑う。


 あの喫茶店が夢だろうと現実だろうと、どうでもいいことだ。家に、帰ろう。


 手の中にあるケーキの箱を意識すれば、娘がまだ幼かったころのような気分になる。あの当時、世間は不況だったが、自分たち家族は確かに幸福だった。もう一度、あの頃に帰る。帰ってみせる。

ああ、そういえば、モンブランを買って帰る日にはどんな些細なことであってもその口実が必要だった。その口実をどうしよう。何かなかったか。ああ、そういえば、娘の誕生日が近くなかったか。それから、ここ数年、長らく意識することはなかったが、結婚記念日も。その二つの前祝いとでもしておこうか。


 そして、久しぶりに二人と話をしよう。妻とは出会ったばかりの頃の話などいいかもしれない。夫婦でありながら、まるで職場の様に事務的な会話しかしていないが、それでも確かに想いあった時期はあったのだ。娘とは、自分の昔話などしてみようか。娘が本気で夢を追う覚悟があるのなら、ただ反対するのではなく、これから先どうするか、計画を立てるのを手伝うのも面白いだろう。娘と一緒に、若いころの夢を追ってみるのもいいかもしれない。あの時代で一度叶えた夢だが、もう一度挑戦してはいけないということもないだろう。そうだ、父とも話さなければならない。


 父が亡くなり、妻や娘とはそもそも会うことすらできなかった、あの時代とは違う。父も、妻も、娘も確かに存在している。―――――まだ、やり直せる。



最後まで読んでくださった方ありがとうございます。


当初の予定では、主人公の兄は存在だけしか出てこないモブキャラ以下の扱いの予定だったのですが……予定は未定とはよく言ったものです。いつの間にかずいぶんと重要な役になってしまいました。


盛り上がりに欠けるなど、未熟な部分を多々露呈させてしまいましたがこれからも精進させていただきます。

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