あの頃
夜、暗いままの自分の家の書斎で物思いに耽る。自分たちはもっと話をすべきだった。自分の中のみで思考を完結させ、父の思惑も事情も、何一つ知らなかった。知ろうとしなかった。自分のことも知らせなかった。父のことだけではない。自分は元の時代で、妻のことも娘のことも、何も知らなかった。
娘が幼いうちは、それでもお互い会話をした。あの頃は一応、今よりは理解していたように思う。それが、仕事が忙しくなり、そちらにばかりかまけて次第に会話が少なくなるにつれて、お互いが少しずつ理解できなくなっていった。そして、理解できなくなっていることに気付かなかった。そればかりでなく、理解してくれているはずだという思い込みもあっただろう。その状態で長く続くはずがない。お互いに理解できず、理解されないことに気付いた時には家族―――――特に夫婦仲は冷めきっていた。それでも、娘に対してはまだ理解しているという思い込みがあり、娘もやはり理解されていると思っていたのだろう。娘を仲立ちとして何とか自分たちは家族としての体裁を保っていた。それは誰かが思い込みに気付いてしまえば、あっけなく壊れてしまうような脆弱な代物だった。
おそらく、最初に気付いたのは娘だ。切掛けも、思い当たるものがある。状況は自分と父の場合に非常によく似たものだった。いや、むしろそのものと言えるだろう。
珍しく帰宅が早く、久しぶりに家族そろって居間でくつろいでいた時だった。娘は居間の隅にまとめて置いてあった漫画雑誌をめくり、何かを探していた。何を探しているのかと訊けば、何とか言うマンガの賞の、募集する作品の条件が描かれた広告を探しているのだと答えられた。その時点で、昔の自分を思い出し、まさかと思ったが、何故そんなものがいるのか、と訊いてみると案の定、漫画家になりたいと返ってきた。そして、それに自分は当たり前のように反対した。止めておけ、と。
反対した理由はおそらく昔の父と似たようなものだろう。もしかしたら、自分自身似たような夢を持っていただけにより具体的なものだったかもしれない。
父のように怒りはしなかったが、反対したことに変わりはない。心配から言ったことも同じだ。そして、それを言わなかったのも同じだった。今は分からなくても、将来きっと分かってくれるだろうと思ったからだ。
ちょうどそのくらいの時期から、娘が自分を避けるようになったことも考えると、切掛けはまず間違いなくこれだろう。今まで思い当らなかったのがいっそ滑稽なくらいに明白だ。娘に避けられるようになってから、ようやく自分は、自分が娘のことを理解できておらず、また自分も理解されていないのだということに気付いた。
さらに問題だったのはそのあとだ。自分は理解しようとする努力も、理解させようとする努力も放棄した。……いつかわかるだろう、と言い訳をしながら。こうして、元の時代で自分は少しずつ家族との距離を測れなくなり、家庭での位置を見失っていった。
……帰りたい。唐突に思った。元の時代に。自分はどこにでもいそうな五十代の会社員で、妻と娘がいる、あの時代に。二人に会いたい。今の自分なら、また分かり合えるようになれる気がする。会って、話をして、また以前のように家族そろってくつろげるようになりたい。元の時代では父もまだ生きている。兄から聞かされた事を、父の口から直接聞きたい。
……帰ろう。
そのあとの行動は早かった。外出の準備をし、家を出る。どうすれば良いのか、どこに行けば良いのかはなぜか分かっていた。