懐古
やり直すために過去に戻ってから、ほぼ初めて後悔した。ここ最近感じていた寂寥感を伴った焦燥の原因も、妻と娘がいないためのものだと、ようやく気付いた。
自分は馬鹿だ。それも救いようのない。
何が「今時の子供は分からない」だ。分かろうともしていなかったじゃないか。娘のことだけではない。妻のことも、兄のこともそうだ。分かろうとする努力さえせずに諦め、そして逃げた。逃げたことに気付かずに。そして、今更になって後悔をしている。
この時代の今、妻は何をしているのだろう。自分と出会わなかった彼女は、もしかして他の誰かと出会ったのだろうか。そしてその誰かと、自分以外の誰かと、交際をして、やがて結ばれるのか? 出会ったばかりの頃の妻の顔が浮かぶ。その隣に立つ、自分ではない誰かの姿を想像して、理不尽な怒りにとらわれかける。しかし、それはすぐに形容しがたい重いものとなって腹の底に沈んでくる。自分に怒る資格などあるわけがない。意図してのことではないが、妻と出会わないことを選択したのは確かに自分だ。現状を嘆くだけで何もせず、妻と娘を放り出して、自分可愛さに二人から逃げ出したのは、自分なのだ。
前の時代で妻と出会ったのは今ぐらいの時期。一年の交際期間を経て、式を挙げたのもちょうど今頃の時期だった。本当は、もう少し早く、六月には挙式する予定だった。それが秋になったのは、何の気なしに自分が話した、ジューンブライドの由来のせいだった。あくまで一説だが、ヨーロッパでは六月が最も気候的に過ごしやすく、挙式に適している、そう話した。それを聞いた妻は、しばらく考え込むと「郷に入っては郷に従え、って言うし、そうだとすると、日本の『ジューンブライド』は春か秋ね」と言って、秋にしてしまったのだ。その時は妙に納得してしまったが、後になって改めて考えてみるとよく分からない理屈だった。それでも、二人で笑いながら、幸せになろう、と、そう願いを込めて日取りを決めた。当たり前で、ささやかな、願いであり、誓い。あの想いは、こんなにも簡単に捨ててしまえるほど、軽いものだったのだろうか。
娘は、生まれてくることすらできない。妻と自分が出会わなければ、それは当然のことだ。たとえ、妻が誰かと結ばれ、子をなしても、それは全くの別人だ。容姿も性格も、名前も、全く違うものになるはずだ。
結婚をして、しばらくたっても、なかなか子供は生まれなかった。半ば諦めかけていた時に、妊娠が発覚、生まれたのが娘だった。そんな経緯だったからか、自分も妻も随分はしゃいでしまい、まだたいしてお腹も目立たない頃から、ベビー用品や子供部屋を用意する始末だった。胎教だの何だのと気を使い、経験不足から時折頓珍漢な事をして、後になって二人して苦笑したものだ。そうした中で、何度やめようとしてもやめられなかった煙草を、ついにやめた。喫煙が子供に与える影響が気になったせいだ。それから十年以上、煙草は一本たりとも吸うことはなかった。
何事もなく、無事に生まれた時は当然嬉しかった。完全な親ばか状態で、妻にあまり甘やかすなと叱られつつ、妻もしっかり親ばかだった。この記憶は、あの時の想いは、愛しさは、なかったことにできるほど、薄っぺらいものだったのだろうか。
二人に対して、申し訳ないと思うと同時に、無性に会いたくなった。しかし、自分が実質的に二人を捨てたのだという事実に、合う資格などないといわれているようだった。
そして、思いもよらぬことが起きた。前の時代でのことを考えれば、まだ起るはずのないこと。―――――父の急死。