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箱の中 ―ある4人の場合―  作者: 河野章
5/10

ep5

「どうかしたのか」

 と言ったものの、木本政晴はそんなに慌ててはいなかった。

 厄介事だと面白いなと駆けつけただけだった。だから、猫だと知ったときはふうんと興味が失せてしまった。何もせず、アパートの裏にある自宅へ帰ってきたところだった。

 自宅は一軒家で、アパートの陰に隠れるように建っている。アパートより先に建てていたものだから、家の背後、庭側にアパートが立つと知ったときには反対もしたのだが、結局は意見など聞いてもらえずに建ってしまった。腹立たしい。

 家を建て、40年近くが建っていた。子供を二人独立させ、お互いの両親を見送り、今は老夫婦二人の生活だが、何だか毎日がスッキリとしなかった。

「何だ、猫だったか……」

 なんとなく思ったことが言葉に出てしまっていたらしい。台所から妻が、不思議そうにこちらを見たので眉を寄せてしっしっと追いやった。興味を持たれたくなかった。どうせ相手も自分のことを厄介事のひとつくらいにしか思っていないはずだ。

 思ったとおり、妻は「まぁ!」とぷりぷり怒って寝室の方へ消えてしまった。今日は今からお花の稽古だとかがあるらしい。若い女性講師がお茶を振る舞ってくれながら、フラワーなんとかというのを教えてくれる講座に、妻は通っている。

 政春が定年退職してから、これみよがしに始めたのだった。他にも、洋裁の教室やら絵手紙の教室やら。あげくに最近ではパートに出たいと言い出した。忙しく歩き回ってちっとも政春の側にいない。文句の一つでも言おうものなら、「あなたも何か習ったら?」ときたもんだ。

 本当に腹立たしかった。

「それじゃぁ、いってきますね」

 手提げに何やら入れた妻が、リビングを通り、玄関へと向かう。

「……ん」

 短く返事とも言えぬくぐもった声を出したら、ちらりとこちらを見た妻が、はぁっとため息をついたのが聞こえた。

 ぐっと体に力を込めて苛立ちをやり過ごす。仕事も、趣味も、何事もしていないのは確かに自分の方だ。なにかやればよいと分かっているが、湯呑を洗っては妻に汚れが落ちてないと言われ、洗濯機は使い方がわからず、掃除機は煩くて使いづらいときては家でやることは何もなかった。

 暇だった。暇で、腹の底には怒りとも苛立ちとも言えぬ、黒々とした物がとぐろを巻いていた。胃のあたりが重かった。

 だから、思いつきだった。

「……」

 思いついたら、すぐに言葉に出てしまうのが最近の政春だ。

「たしか、あそこの管理人のばぁさんは、動物飼うのを禁止していたよなぁ……」

 口にしてみたものの、「それ」は駄目だろうと、理性では分かっていた。告げ口はだめだ。しかも、あの猫が実際に誰かに飼われることになるかどうかは、政春には分からなかった。

 けれど、考えだしたら止まらなくなった。

 気づいたら廊下に出て、受話器を手に電話帳をめくっていた。

「ササノリバーサイド……管理……」

 管理人はすぐに出た。彼女も政春と一緒で暇らしい。ひんやりとした喜びが政春の中に広がっていた。

「そみません、そちらのアパートでのことなんですが、どうも猫を飼っている方がいらっしゃるようで……」

 政春は困ったように言いよどみながら、知らずに微笑んでいた。


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