表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新元号が盗まれた!

作者: 藍沢 円夏



 はっきり言って、私は恵まれている。

 私の祖父は旧郵政省の官僚であったし、その息子二人、つまり、私の父と叔父も、それぞれ、国の中央省庁に勤めている。父は宮内庁で、叔父は外務省だ。小学校から高校まで全て私立の進学校に進ませてもらえたし、大学も名門大学に入れてもらえた。

 大学に入っても、この恵まれた環境は変わることが無かった。

 私は大学初日から車を買い与えられ、免許も与えられた。

 通学くらいは自分でしろ、という親心だったのだろうが、それはきっと間違いなく世間の感覚からずれた親心だった。

 ところで、与えられた車は、トヨタ自動車のカムリで、最初の頃はセダンなんておじさんくさい車だと思っていたが、なれてみれば悪くは無い。むしろ、気に入っている。欧米仕様と日本仕様でフロントグリルの形状が異なるが、私は断然、日本仕様のグリルが好きだ。たしかに、欧米仕様のグリルはイケてるが、カムリと一目でわかるグリルではない。

 毎朝、ガレージで眺める私の車はどこの車よりもイケている。

 それは間違いない。

 そして、私が恵まれていることも間違いない。



 その日、平成最後の冬として日本中が浮かれていた日だった。

 ちょうど、京都の清水寺で日本漢字能力検定協会が、今年の漢字一文字として「災」を発表した頃だった。たかだか漢字一文字にたいして、テレビでぐだぐだとコメンテーターが言っている時、私は毎年のようにこたつに入ってぬくぬくとテレビを見ていた。

 クリスマスパーティーを前にプレゼントを吟味しようと、友達とデパートに出かけようかと思っていたのだが、その友達がどうやら急なアルバイトが入ったということで、その約束はおじゃんになった。かといって、このまま、一人でウィンドウショッピングにしゃれ込むことは気持ち的に無理だった。

 だからといって、テレビを前にこたつでうだうだと過ごすのもあれであったのだが、結局、一日をテレビの前で過ごしてしまった。

 自堕落な自分を反省し、せめて、晩ご飯くらいは自分で作るか、と思い台所に立った時だった。

「ただいま」

 父親が血相を変えて帰ってきた。青白く変色した顔は、まるで死んでいるかのようではあったが、その目は鋭く怒りに震えている様子がありありと伝わってきた。そして、その証拠として、父親が怒ったときのいつもの癖で、指をパキパキとならしていた。

「水」

 と、不機嫌そうな声色で父親が言ったので、私は黙ってコップに水道水を注いで渡す。

 ゴクリゴクリと一息で全ての水を飲み干した父親は長いため息の後に、ネクタイを緩めた。

「これから客が来るから、客がきたら書斎に通してくれ」

 父親が客というのは、なかなか珍しいことだった。そもそも、あまり、父親は家に客を呼ぶタイプの人間ではなく、どちらかというと、自ら相手とどこかの店に出向くのが常だった。一度だけ人を書斎に招き入れたことがあったが、それもリフォーム業者だった。

 父親が書斎に入った後、私は一人で台所に立って、来客の準備を始めた。

 いつもは家政婦というか、お手伝いの人がやってくれるのだが、母親が平成最後だから良いだろう、と早めに休みを与えたのである。だから、私がこの家の家政婦のようなものだ。職業は学生兼家事手伝いとでも名乗った方が良いだろうか。

 コーヒーを入れる準備を始めて、薬缶をコンロにかけたときだった。

 リンゴン、と呼び鈴が鳴って私は玄関へぱたぱたと走って向かう。

 玄関の引き戸を開けると、外には一人の木訥な男が立っていた。

 とにかく、やはり、眼鏡君、という印象だろう。大きな丸眼鏡をかけたその容姿は、一昔前の、まさしく「昭和の日本人」というスタイルだった。グレーのスーツに身を包み、キャメル色のコートに、中折れのソフト帽。テレビの向こう側にしか見たことの無い日本人だった。

「こんばんは、お嬢さん」

 その男は低くささやくように、落ち着かせるような声色で言った。

「お父様はご在宅かな?」

「あ、っと、その」

 あまりにその男が見慣れない風体で、しかも、私のことを時代錯誤にも「お嬢さん」などといった変わった呼び方をするので、はっきりとすぐその場で応えることができなかった。

 そんなオロオロと戸惑う私を見て、男は何かしらの得心がいったのか、コートの中から一枚の名刺をとりだして、私に手渡す。

「申し遅れました、私、モトと申します」

「はぁ、これはどうもご丁寧に」

 渡された名刺をしげしげと眺める。

 シンプルな名刺だ。容易に折れ曲がらないようにと言う配慮のためか、少しばかり堅い。どちらかというと、プラスチックに近い質感を持っている名刺。無地の真っ白なところに、黒い文字で「モト」と二文字、書かれている。

「これをお父様にお見せください。私がその」

「お客様ですね」

 どうにかこうにか、私は自らのペースを取り戻して言った。

「父からは話を伺っております。書斎に通すように、と」

「それはそれは、話が早い。では」

「ですが」

 一歩、家の中へ踏み入ろうとしたモトをとどめる。

「あなたが、本当に父のお客様か私には判別がつきません。どこかのごろつき記者か、物取りかが、父の客を騙って家に入ろうとしているのかもしれません。ですので」

 モトの胸を押し返し、足を一歩下がらせる。

「父に確認してまいりますので、外でお待ちを」

 私なりの精一杯の抵抗であった。抵抗と言うよりも、なんというか、最初にあったときに見せたオロオロとした雰囲気、その印象のまま終わりたくなかった。きっと、そのまま、終わったら、私の印象はこうなるだろう。

 あの家に居た娘、あの娘は客の応対すらまともにとれない女。あの父親は鷹であったが、娘はとんび、いや、雀だ。

 などという印象を抱かれてしまうわけにはいかない。

 それは、我が家においての汚名である。

 汚名を受けるわけにはいかないのだ。

 モトと名乗った男は、私の申し入れを笑顔で受け入れてくれた。

「いいですよ。ちょうど、今日は夜空が綺麗ですから」

「・・・・・・少々、お待ちを」

 嫌みな男、と思いながら、廊下をどたどたと名刺を片手に父の書斎に向かう。

 書斎をノックすると、中からぬっと、父親が顔を出した。

 その面持ちは先ほどよりも青白く、具合の悪さが出ていた。

「父さん、お客様とはこのお方の事かしら」

 と、父親に名刺を見せる。

 父親はその名刺を見ると、静かに首を縦に振った。

「そのお方だ、そうだな、誰が来るとは言ってなかったな。悪かった」

「いいえ、ですが、あのお方はいったい」

「お前が気にすることは無い。いいや、気にしない方が良い」

 と、父親は私に向けて言うと、再び書斎の扉をしめた。

 残された私は、玄関へと向かいながら考える。

 あの父親の様子は尋常な様子では無い。何かしらの一大事ではないか。そう、たとえばテレビでしか見たことが無いのではあるが、会社が多額の借金を抱えてしまった経営者のような、今にも首を括らんとする社長の面持ちに近い。

 はたと足を止める。

 もしや、あの男、モトというのはその手の請負人なのではないか。

 自殺すると生命保険が下りないと小説か何かで読んだことがある。モトはもしかすると、自殺を巧妙に自然死に見せたりするプロフェッショナル、殺し屋の類いでは無いか。

 玄関の扉を開けながら首を振る。

 そんな馬鹿な事があるはずが無い。

 父親は役人だ。会社がつぶれることは無いはずだ。そもそも、一般にいわれる会社企業ではなく国家なのだから。

「お待たせしました」

 と、馬鹿げた事を忘れ去るように扉を開ける。

 モトは先ほどと同じ位置で立っていた。

「いや、それほどお待ちはしておりませんでした。中に入っても?」

「どうぞ、書斎まで案内します」

 書斎までモトを案内する間も、私はこの男、モトについて考えていた。

 父親の客人にしては若すぎる。私よりも数年年上としか思えず、父親から見れば、私とほぼ同年代の男だ。いったい、どのような関係なのだろうか。

 もしや、父親の隠し子、つまり、私の異母兄。

「あの、父とはどのような関係で」

 ついぞ我慢できず聞いてしまった。

 兄!

 この素晴らしい響きを期待しては聞かずにいることが無理というものだ。

「あぁ、仕事の依頼をうけまして、うちの上司からここにくるようにと」

「兄では?」

「あに?」

「あ、いや、なんでもないです」

 きっと顔が耳元まで真っ赤になっていることだろう。

 書斎に着くまで何も聞くまい、と思った。

 肝心の書斎に着き、ノックをする。

 中から父親の「はい」という地の底から響くような声が聞こえ、私は扉を開けた。

 父親の書斎に足を踏み入れるのは、これで片手の指を満たす回数になった。部屋中を埋め尽くす書籍、書籍、書籍の山。本棚が壁際に押し込めるようにおいてあるが、そこからあふれた書籍がそこかしこに積まれている。

 書斎の中央にはオイルヒーターと小さな机、そして、椅子が二つおいてあった。

「君が、その」

 先ほどよりも顔色の悪い父親が椅子から立ち上がり、モトに近寄った。

「初めまして、私こういうものです」

 名刺をすっと受け取りながら、父親は名刺とモトを交互に見比べる。

「思っていたよりも、その」

「若いですか? よく言われます。おそらく、娘さんと同じくらいの年齢ですから」

「悪く思わないでくれ。いくつなんだ」

「今年で、24になります」

「若いな」

「若い人間に重要な仕事を託すのが嫌いならば、別のを呼びますが」

「いや、君で良い。何せ、君を断れば、弟に何を言われるか・・・・・・かけてくれ、コーヒーでいいかな」

 私の方を見ながら父親が言った。

「コーヒーでいいですが、一点だけ注文を」

 椅子に座りながらモトは指を一つ立てる。

「外はかなり寒いですので、ココアを一匙入れてください」

「なかなか面白い飲み方をしますね。では、そのようにして、持ってきてくれ」

 私は父親に頭を下げ、書斎から出て行く。

 なんとも嫌みな男だ。

 外が寒かったからココアを一匙入れてほしい、という注文。確かにコーヒーよりもココアの方が身体が温まるのは事実だ。なかなかわかっている。しかし、その前の言葉は必要であろうか。

 外は寒かったですよ、娘さんに外で待たされましたから。

 ということではないか。

 何という嫌みな男。きっと、女にもてないに違いない。

 注文通り、ココアを一匙入れたコーヒーを書斎に持って行く。父親はいつもの味だ。

 書斎に入ろうとするとき、中の会話が少し聞こえてくる。

「私の役職については存じられているかな?」

 いけないことだと分かっていたが、少しくらいの盗み聞きは特権であろう。



「私の役職については知っているかな」

「宮内庁の人だと伺ってはおりますが、正式な役職までは」

「そうか。ま、確かに詳しくは知らない方が良いが。私は今話題の部署で働いているのだ」

「と、いうと」

「新元号だよ。来年の五月から新たな天皇陛下に変わられる」

「あぁ、そうでしたね」

「その新元号を管理する人間だ。正確には、有識者の集まりの、末席に座らされている人間でね。さて、新元号を確定するとなったとき、ひとまず先に陛下と総理に見せておく必要があるだろ」

「まぁ、上長の確認をとるのは常識ですから」

「なので、数日前、昼食会で陛下と総理がお会いされる時に、お二方に新元号を紙に書いて見せたのだ。二人は多少難色を見せたが、おおむね納得され、陛下ご自身の手で封筒に入れられた」

「ほう。あの陛下が」

「問題はその後だ。陛下はその部屋に茶封筒を部屋に置きたいと申された。なんでも、他の皇族方にも、ある程度の年齢の方にはお見せしたい、ということでな。我々としてはそのような事は避けたかったが、逆らうこともできない」

「では、どうされたのです」

「なにぶん、そこには部外者はこない。盗まれる要素はなく、最も安全だ」

「・・・・・・続けて」

「いろいろな時間に、何人かの皇室の方が来られ、そして、出て行かれた。皆様、神妙な面持ちで出てこられたので、おそらく、新元号を見て複雑な思いだったのだろう。そして、最後の一方が茶封筒を手に出てこられた。そのときだった。紙がない、と言われたのだよ」

「ほう。せめてトイレットペーパーだったら良かったですね・・・・・・失礼、続けてください」

「私がすぐに呼ばれ、茶封筒を開けた。その方の言われるとおり、元号の紙はなかった」

 父親の声が震えているのが分かった。

「新元号が盗まれたのだよ!」

 始めて聞く父の怒鳴り声だった。

 私は父親が帰ってきたときの顔を思い出した。

「なるほど、つまり、ご依頼としては」

 椅子から立ち上がる音が聞こえる。

「私にその新元号の色紙を探してほしい。そして、あわよくば誰が盗んだか見つけ出してほしい、と」

「そうだ。はっきり言おう。これは宮内庁の恥、いや、皇室の恥だ。だから、君に頼む」

 父親が泣くような声色を出していた。

「皇室を救ってくれ。救ってはくれまいか」

 数秒間の沈黙。

「いいですよ。それが私の仕事です。私の前任者もそうでしたし」

 ですが、とモトは続ける。

「一点、条件がある。まず、これが私をはめるための罠ではないか、という点」

「そんなことは」

「私はこれまで前任者がこの国に殺されたのを見聞きしておりますので。国のためならば個人の死は大して問題じゃ無い、というのが私の世界の常識。ですので、依頼人、あなたの未来を人質に取らせてもらう」

 誰かの歩く音が聞こえる。

「お嬢さんを同行させる。もしも、これが罠ならば、お嬢さんの命は無い」

 扉が開けられ、哀れにも恵まれた私は舞台に上げられた。

 いいや、まな板に上げられた。

「ココアをどうもありがとう。盗み聞きの趣味は良くないよ。ほら」

 コーヒーの入ったカップを頬に軽く添えられる。

 すっかり冷えたカップは冷たく、痛い。

「ほら、すっかり冷めている」

 一言そう嫌みを添えながらモトはコーヒーを口にした。

 苦い味が私の口に広がる。



「で、話は聞いていただろう」

「新元号が盗まれた、なんてとても信じられないわ。それとあなた」

 車の助手席に座らされた私は、運転席のモトに向かって人差し指を指す。

「あなた、何を考えているの21歳のうら若き女子大生を車の助手席に押し込めるなんて、しかも、本人の同意もなく! 私が誘拐だと叫んだら、どうするの? 警察に職務質問されたらどう申し開くの」

「叫んでみれば? そうすれば、君の父親がどう思う。それに、警察が僕に手出しをできると思うかい? 今までを鑑みて」

「うぐぅ」

 私は口をへの字に曲げて、腕を組む。

 結局、父親は渋々、私に対してモトに同行するように伝えた。

 その後すぐ、私は簡単な準備を行い、モトの車の助手席に乗り込んだのだった。

 そして、今に至る。

 不機嫌な私を乗せて、車は都心へと滑るように走って行く。なかなか、良い車だと思う。エンジン音も私のカムリと比べると、スムーズにそして上品な気がする。助手席の座り心地も、実に良い。革張りの素晴らしい座り心地だ。

「この車、なんて車?」」

「レクサス」

「・・・・・・レクサスの何よ」

「少しは黙ったらどうですか?」

「何よ。こっちも別に好き好んでついてきてるわけじゃ無いのよ」

 再び腕を組み、顔を窓の外に向ける。

 遠くに東京タワーが見えた。

「あ、もしかして」

 ぐいと身体を運転席の方に向ける。

「もしかして、この車の名前、知らないんじゃ無いの?」

「・・・・・・だったらどうなんです」

「あ、ずっぼしー?」

 にやりと頬が緩む。

「ははーん、女の私でも車の名前しってるのよー?」

「車の名前を知っているかどうかに性別は関係ないでしょ」

「それは、そうだけど」

「それとも何ですか? 君は、車の名前を知っているから僕より偉いといいたいのか?」

「別に、そんなこと言ってないわよ」

「まったく、あの父親にしては娘はとんだアレですね」

「あ、それいう?」

 車はスカイツリーが視界の片隅に入るような所を走っていた。

 いつの間にかこの頃に入ったのだろうか。

 車はしばらく走った後、都内の喫茶店の前に止まった。

「少し待ってください」

 とだけ、モトは言って喫茶店へと入っていった。

 車のエンジンはそのままである。

 静かにエンジン音に耳を澄ませながら、考える。

 モトはいったい何を考えているのか。何者なのか少しばかり考える必要がある。

 少なくとも、私が思っていたような存在、つまり、殺しのプロフェッショナルというわけではなさそうだ。その一面はあるかもしれないが、全体的に見れば、違う。猫とライオンは全体的に見れば、どちらとも凶悪な四足歩行動物だが、片方は優秀なハンターで、もう片方は檻の中だ。

 少なくとも、モトは政府の人間のように思える。父親の応対にしてもそうだし、父親と交わしていた会話の内容から、やはり、何かしらの政府機関に籍を置いているように思う。そして、前任者という言葉、これは、つまり前にもモトと同じ事を行っていた人物がいるという事と、それはある種の職業になっていると言うことを表しているのでは無いか。

 等と考え事にふけっていたからだろうか。

 助手席の窓をノックされて、ふと、そちらの方へと顔を向けた。

 制服姿の警察官二人組が、私を見てにこりと笑う。

「すいません、お姉さん、ちょっとここ、これなんだけど」

 若い警官が、路上の標識を指さす。

 免許証を持っている人間ならば誰しも分かる。

 駐車禁止の標識だ。

「とりあえず、車動かしてもらえるかな」

「え、いや、その」

 この車は自分の車では無いと言う事を説明しようにも、自分の居る場所が助手席側だと説明しようにも、あまりにも、状況が悪すぎた。すぐに、現状を弁明説明するだけの思考スペースが頭に残っていなかったのだ。

「とりあえず、免許証見せてもらえる? ま、車から降りて」

 説明に難儀していた私をいぶかしみ、怪しんだ警官は、車から降りるように言った。

 これ、降りても良いのだろうか。

 モトは車に残っていろ、という事を言っていた。そして、車から降りれば、それを破ったことになるのでは無いか。

「あのー、車から降りてもらえます?」

 返答に困っていると、警察官がいらいらした様子で言う。

 これ以上、車に残っているわけには行かないだろうな、と思い、シートベルトのロックを外した時だった。

「失礼、待たせました」

 モトが喫茶店からプラスチックのカップを両手に持って出てきた。

「僕の友人と、僕の車に何か?」

「君、運転手さん?」

 警官がモトに対してぐいと近寄っていく。

「あぁ、この車ですか? えぇ、僕のです」

 モトはにこりと笑って、カップを警官に向けて突き出す。

「え、なにを」

「持っていただけますか? 免許証ですよね、あと、名刺も」

「あ、これはどうも」

 話の分かる相手だと警官も思い、安堵の笑みを互いに交わす。

「これでいいですかね」

 免許証と名刺を受け取った警官は、すぐに顔色が父親よりも青く白くなった。

 互いにあたふたとすると、敬礼を一つして、足早に去って行った。

「や、待たせました」

 運転席に乗り込み、カップを一つ差し出してモトは言う。

 受け取り、プラスチックの蓋を開ける。なるほど、香りはココアだ。

「それで、一つ取り決めを決めようと思います」

「取り決め?」

「そうだ。僕の方の要求は君が僕について歩くこと。僕の言うことを最低限守ることだ」

「二つあるじゃない」

「実質は一つ、後者です。君は、何か要求があるかな?」

「私は」

 別に要求したいことが無い。

 父親のような仕事の依頼もなければ、金銭も必要は無い。

 うんうん唸って考える。

「無ければまぁ、ないでも良いんだが」

「あ、いや、ちょっと待って」

 このまま、黙ってチャンスをふいにするわけにはいかない。

「あるわ。要求」

「どうぞ」

「あなたの正体を教えて」

「正体?」

「そう、素性よ。あなた、なに? さっきの警官もそうだし、私の父もそう。あなたは何?」

「ふむ、それは、そうですね。仕事終わりに教えましょうか」

 モトはそう言って笑みを見せて、車を走らせた。



 車は私の知らない東京のどこかに停まった。

 いかにもというか、仰々しい雰囲気が全体的にある門をくぐり、いかにもという建物に連れてこられる。はじめはこの私が連れてこられた場所がどこかわからなかった。何せ、真夜中というのもあり、外の景色がまるでわからない。せめて、もう少し明るければ話は違ったのかも知れないが。

 だが、通された部屋で待つこと、五分、部屋に現れたお方を見て、ここがどこであるかすぐにわかった。

 テレビや新聞で何度も見たことがある皇居だった。

 そして、目の前に現れたお方と、モトは何度か言葉を交わす。

 事務的なそれでいて友好的な言葉に、モトはしきりに頭を下げ、あの方は部屋を出て行った。

「え、あ、その、ここって、モトさん」

「皇居です」

「ですよねー」

「何をそんな緊張しているのですか」

「いや、だって一般ピーポーの私がこんな所に」

「今は人質ですから。その認識は改めてください」

「くそう、一般ピーポーよりも、人質の方が扱いいいなんてあんまりだわ」

 私は椅子に座り歯がみする。

 いや、まて、歯がみする時間があるならば、この事件を私一人で解いてみればいいのではないか。

 そうすれば、この人質という立ち位置から解放され、私は探偵として皇居にいることができる。皇居に立ち入った探偵など、歴史上一人もいるはずがない。これは歴史的快挙、ノーベル賞を総なめに次ぐ歴史的快挙に違いない。

 そうと決まれば情報収集だ。

「あの、モトさん」

 おしとやかなお嬢さんを気取り、もじもじと、申しにくそうに声をかける。

 モトは目を細め、いぶかしむように私を見たが、かまう物か。

「良かったら、時間つぶしに、ちょっと情報を」

「外部に漏らしたら消しますよ」

「消す!?」

 思ったよりも物騒すぎる男だ。

 殺し屋説はあながち間違っていないのか。

「いや、消すのは言い過ぎですけど、私のもつ総力を結集して、あなたの人生を台無しにします。今後の人生、どんなに電車に乗っても座ることはできなくなるようにするとか」

「くっそ地味な嫌がらせですね・・・・・・」

 だが、この嫌がらせはなかなか効果があるのでは無いか。

 今後の人生、ずっと立ちっぱなしというのはきつい。

「わかった。外には漏らしません」

「よろしい、では、おおよその情報を」



 12月10日、午後2時皇居の一室に宮内庁職員と今上天皇陛下、現総理大臣が入室。元号の入った封筒が開かれる。

 同日、午後2時15分より、宮内庁職員および、今上天皇陛下、現総理大臣が元号確認の後に退室。陛下の希望により、部屋には封筒が残される。部屋の前には、宮内庁職員が見張りとして残る。

 同日、午後3時00分、皇太子殿下が入室、および退室。

 同日、午後3時15分、皇太子妃殿下および愛子内親王殿下が入室。

 同日、午後3時43分、秋篠宮妃紀子殿下および佳子内親王殿下、悠仁親王殿下入室。

 同日、午後4時00分、眞子内親王殿下が入室。

 同日、午後4時14分、秋篠宮文人親王殿下が入室。

 同日、午後4時15分、異常に気づき、宮内庁職員が呼ばれ、封筒が紛失していることが判明する。



「え、それって、あの」

「そうですね。はっきり言って、部外者の人間が入り込んでいる様子は無い。なので、最も疑わしいのは」

「秋篠宮皇太子」

「だと思いますが、確証は無い。そして、それを疑うのは皆避けたいのです。結局、汚れ仕事は僕の仕事というわけだ。つらい所ですね、働くうえで」

「あ、あはは」

 なんと声をかければ良いのかわからない。

 そもそも、私はあまり働くことに対して感覚が無いのだから。

 母親の教育方針として労働しておけと言われ、バイトをしてみたことはある。しかし、そのバイト内容ははっきり言って「誰でも良い」というような仕事内容であり、仕事の辛さとか楽しみとかそういう喜怒哀楽を感じる要素は無かった。

 それも勿論、恵まれているとは思うのではあるのだが。

「さて、それで、自称女子大生名探偵君はどう推理されますか」

「推理の必要なくない? それと、女子大生は自称じゃないし、名探偵も自称してないし」

「では、どう思います?」

 自分から事情を知りたいと言ってしまったからには、これは交換条件のような物だ。

 まさか、知るだけ知って、首を突っ込むだけ突っ込んで、はいさよなら。とはいかない。

 こめかみを中指で押さえて、思考を回す。

「えっと、一番疑わしいのは秋篠宮皇太子ですけど、それってなんていうか合理的すぎて納得いかないですよね」

「というと」

「いや、だって、考えてもみてくださいよ。自分が犯人だとしたら、わざわざ、封筒の中から紙切れを盗んだら、誰だってわかるじゃないですか。次に入ってくる人は紙切れを見つけられないんですよ。となると、その前に入っていた自分がバレる。私が犯人なら、さも色紙はありましたって顔で部屋から出てくると思いますよ」

「そうでしょうね」

「なので、一番怪しいであろう、秋篠宮皇太子は除外するべきですよ」

「ま、皇太子がそこまで考えがまわらない頓珍漢のとんとんちきなら話は違いますが」

「いや、さすがにそれは失礼でしょ」

「まぁ、盗人かも知れない人間に対しての言葉ですから。これくらい許されます」

 許されないと思うけどなぁ、と私は眉間にしわを寄せる。

「じゃあ、誰が疑わしいと思うんですか」

 この失礼極まりない話からそれようと話題を変える。

 モトは椅子から立ち上がり、部屋の中をぐるりと見回す。

「第一発見者」

「え、いや、まぁ、そうだと思いますけど」

「私はそもそもアプローチが違います。もっとも、推理そのものは、あなたと一緒。秋篠宮殿下が間抜けな思考の持ち主だとは思っていない。そして、この犯人もそう。だけど、状況が状況ですからね。自然と犯人は決まる」

 ですが、とモトは言葉を切り、机の上のメモ帳を手にする。

「第一発見者は職員からの質問および身体検査を受けている。まさか、封筒に入った色紙がポケットに収まるサイズではないでしょうし、ポケットに入っていてそれを見逃す職員がいることはないでしょう」

「では、複数犯」

「共犯が一人はいる可能性ありますね」

 メモ用紙を机の上に戻す。

「さて、謎解きは面倒くさいので、実行犯に、彼女に来てもらいましょう。どうせ、理由は推測できます」

 ドアがノックされた。


 部屋に入ってきたのは、眠そうな顔をした眞子内親王であった。

 会話の内容は、恐ろしく簡素なもので、モトの対応は恐怖を感じさせる。

 モトの慇懃な態度とともに、内親王は私と対面させられる形で手早く椅子に座らされた。

 ここからがひどかった。

 同じ女性として、このモトの質問、いや、尋問を記載するのは心苦しい。

 モトの追求は熾烈を極めた。眞子内親王の表情はモトの言葉をうけて、瞬間瞬間に顔色が悪くなっていく。モトが何か口を開き、筆舌に尽くしがたい言葉を聞かせるたびに、内親王は顔が青く白くなっていき、しまいには、がくがくと膝が震え始めていた。

 もしも、モトに人としての理性が無く、拷問を許可されているならば、彼はきっと内親王であろうとも、拷問にかけていただろう。爪を何枚か剥いでそのまま食べさせることくらいはしたかもしれない。

「これはあなた達のおままごとではすみませんよ」

 半ば脅すような声色で迫られた眞子内親王は首を縦に振った。

 目尻には涙が浮かんでいる。

「元号の色紙はどこに?」

「あの、その、しりません」

 過呼吸になり気味の声色で、彼女は答える。

「彼を戻せますか?」

「できなくはないと思います」

 ちらと腕時計を見る。

 まだ、十一時頃だ。

「できなくはない、ではないですよ。やるんです」

 ぽい、とモトは携帯電話を眞子内親王に手渡す。

 だが、携帯電話、しかも今時スマホではなく、ガラケーを手渡された眞子内親王は戸惑いの表情をモトに向けた。

 私はその顔で、ある程度を察した。

「どうしました? 連絡しないのですか?」

「あの、モトさん、そのできないんだと思いますよ」

 モトは、ぐるりと私の方に顔を向けた。

 非常に嫌そうな顔だ。

「何故です?」

「その今はLINEなので」

「はい?」

「電話番号、知らないんですよ。たぶん」

 モトは何事か得心がいったようで、眞子内親王を椅子から立ち上がらせる。

「仕方ないですね。あの、部屋に戻って、スマホとってきても良いですよ。というか、彼を近所のマクドにでも呼んだら、もう寝てください。あの、もう不要ですし。ただ」

 しいっと口を耳元まで寄せて、モトは一言二言ささやいた。

 なんとささやいたのか聞き取れなかったが、今まで震えていた彼女の膝が停まった。




 ちょうど、日付が変わりそうになる頃合いになった。

 私とモトは皇居を出て、近場のマクドに入った。

 店員は鬱陶しそうに、こちらを見て、けだるげに挨拶をした。

「しかし、なんてささやいたんですか?」

 コーヒーをちびちびと飲みながら、私はモトに声をかけた。

 モトは自分が注文したハンバーガーにかぶりつき、こちらを見る。

 もぐもぐ、と口を動かし、胃へとハンバーガーを送り込んでからモトは口を開く。

「あの、食べてるときに話しかけないでもらえます?」

「あ、すいません」

 本日、何度目かのモトに対する謝罪なのか。

 数えるのをやめてしまっている。

「それで、なんですか?」

 紙ナプキンで口の周りを拭きながら、モトは尋ねてくる。

「いや、その、なんてささやいたのかなって」

「簡単な話ですよ。あとでお父さんに言いつけます、ってことですよ。女性はいつでもお父さんという存在に弱い、と伺っておりますので」

「なるほど、じゃあ、次なんですけど。誰がこれから来るんですか?」

「それならわかりやすいと思いますよ。女が呼ぶのはたいてい男です」

「男、ですか?」

 あまり呼び出される人間に心当たりが無かった。

 もともと、私とは違う世界の人間の話だ。誰が呼ばれるかはてんで見当がつかない。

「しかしねぇ」

「あぁ、どうやら、来ましたよ」

「え」

 モトに言われ、入り口のほうへと目を向ける。

 一人の若者が店の入り口に立っていた。

 見たことのある若者だ。

 いや、待てよ、アレは確か・・・・・・

「あの、あの人は、内親王の」

「世に言う、イイヒトでしょうね」

 モトは残りのハンバーガーを口の中に押し込み、コーヒーで流し込む。

 そして、私にはここに残るように伝えると、椅子から立ち上がった。

 入り口に立つ若者に、モトは足早に近づき声をかける。

 若者は一瞬、恐怖の顔色を浮かべたが、すぐに、安堵の笑みを浮かべた。おそらく、何事かをモトが説明したのだろう。都合の良い部分だけを。そして、若者は背負っていたリュックサックから一つの茶封筒を取り出した。



「結局の所、謎というのはないのです」

「はぁ」

 家の近所の公園でモトの言葉に白い息を吐き出して応える。

「でも、わざわざどうして元号を盗んだのですか?」

「その理由ですが、彼は素直に言ってくれましたよ」

 素直、という言葉の裏にある恐怖を感じ取ったが、何も言わない。

 あの後、モトがリュックサックの中身を確認した後、ふと目を離すとモトとあの件の若者の姿は消えていた。私はあたりをきょろきょろと見渡したが、まるでどこにも姿が見えない。 だが、あのモトが私を放逐しておくはずがない、と余裕綽々でコーヒーを飲んでいると、案の定、ひょっこりと戻ってきた。

 手にはしっかりと茶封筒が握られている。

「あの、彼は」

 と、私が質問をすると。

「少し体調が悪いそうで、今、トイレに行きましたよ」

 事務的な口調でそう返した。

 トイレから誰かが倒れているとか、警察を呼んで、とかそういう言葉が聞こえた気がするが、おそらく、それは遠い空耳だと思いたい。たぶん。

「で、理由なのですが」

 色紙を手に入れたモトは、私を解放する為、近くの公園へと送ってくれたのである。

「単純な話、彼は今、婚約の瀬戸際に立たされています」

「ですね。オリンピックとか即位退位とかでばたばたするから結婚できないんでしたっけ」

「そういうこともあるでしょうが、おそらくは、まぁ、いろいろあるんでしょう」

 その色々が気になったが、口を挟むとむっと怒られそうなので我慢する。

「で、彼は一種の賭けに出たのです。賭けというよりは、自らの力の証明に近いかも知れません。自分こそが内親王の結婚相手なのだ、という証明を内外に示したかった。誰の差し金かは知りませんがね。そして、そのついでに小遣いも稼げたら良かったんです」

「小遣い」

「元号を盗んだだけでは、何の証明にもなりません。それを公表する。だけど、ただ公表するのは味が薄い。なので、彼は新聞社や出版社に売りつけるつもりだったそうですよ。まぁ、企業がそれを本当に思うかどうかは賭けでしかないでしょうが」

 いや、きっと信じるだろう。

 何せ、皇室の関係者になるであろう人物がもってきたものだ。

 どう疑ったところで、信じた方が面白みがある。

 新聞社はどうかわからないが、出版社、きっと週刊誌のほうは喜んで飛びつくであろう。

 だが、それが皇室にとってどういった印象を与えるのかどうかを考えると、実に愚かな選択だとしか思えない。いわば、裏切り者という印象しか与えられないのでは無いだろうか。となれば婚約も何もかも無かったことになるだろう。

 馬鹿を起こしたが運の尽きというものだ。

「で、それをもって明日は会社巡りというところを私が来たんです」

「彼にとっては不運でしょうね」

「ま、タイミングに恵まれていなかった」

「ということは、待ってくださいよ。元号を盗んだのは」

「実行したは彼女です。ま、彼女くらいしか鞄を持って中に入ってませんので。ほら、他の人はその鞄を持たない男性ですから。そして、まさか盗んだ元号をどのように利用するかまでは想像がついていなかったんでしょうね」

「なんていうか、恵まれてないですね。彼女も」

「えぇ、とっとと結婚できると良いとは思いますよ。お互い、タイミングに恵まれてないですから。きっと似合いの夫婦になるでしょう」

 恐ろしく失礼な言いぐさだ、と思ったが、口には出さないでおく。

 もっとも、顔には出ていたようで、モトはばつの悪そうな顔をした。

「それで、私の正体、知りたいんでしょう?」

「もちろん。ですが、その前に、私の想像を口にして良いですか?」

 モトは少し意外そうな顔を見せ、そして、にこりと笑って了承する。

「あなたは、そうね。きっと、汚れ役、よ」

「汚れ役」

「世の中、全て綺麗に回るわけじゃ無いわ。今日みたいに誰かが嫌なことを引き受ける必要がある。でも、今の世の中、その嫌なことを引き受ける人間は限られているわ。誰しも生活がある」

 私は、公園のブランコに座り、地面を見る。

 すっかり大きくなった私の身体をブランコが揺らすことはできない。

「でも、誰かがやらなければならない。今回だったら、皇室を疑い、取り調べるなんていう仕事。どちらもしくじれば、きっともう二度とその界隈では息ができないでしょうね。誰もがいやがる仕事、そういう仕事をする汚れ役が、あなた」

 モトはじいっと私を見つめ、それから、ふっと笑ってくるりと背を向ける。

「正解に近いです」

「じゃあ」

「これにて失礼しますよ。汚れ役は、自分の主人に仕事を報告しなければなりませんので」

 モトは手にしている封筒をくいと掲げて笑う。

 私はブランコに座って、モトを見送った。

 コートのポケットに手を入れたモトは、私なんぞに目もくれず歩いて行く。

 ブランコから立ち上がり、ズボンの汚れをはたいた時だった。

 モトがこちらを向いてることに気づいた。

「あの、なんですか」

 茶封筒の封を開けながら、モトが笑いかけてくる。

「新元号、見たくないですか?」

 きっと、私は恵まれている。


眞子内親王殿下、小室圭さん

結婚おめでとうございます。

速やかに結婚できますように微力ではございますがお祈りを申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ