1.死んだ後まで就職難
僕らはみんな生きている。ゲンゴロウだって生きている。
突然だが、俺は死んだ。
自転車に乗って帰宅する途中、横転したトラックに巻き込まれて即死した。
人間の終わりかたなんてものは意外にあっけないもので、クラクションの音に驚いてそちらをみるともう死が目と鼻の先に迫っていた。よくいう走馬灯が走るなんてのは嘘っぱちで、最後の瞬間に俺は何を思うでもなくただ「あ」という間抜けな1音を残してこの世を去ったのだった。
別に惜しいなんて思っちゃいない。どのみちいつかは死ぬんだし、なんだったらそのときは就職活動のせいで精神的にまいっていて、毎日のようにここから逃げたいと思っていた。今となっては願いもかなったことだし、誰もうらんじゃいない。この世に未練もないからさっさと成仏しよう。と、そのときはそんなことを考えていた。
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「次のかたどうぞー」
自分の順番が来て俺は立ち上がり、前の男と入れ替わりでパイプ椅子に腰掛ける。
「お名前と生年月日聞いてもよろしいですか」
そういった男はどこにでもいる公務員といった感じで、白いYシャツに眼鏡をかけ、首から名札をぶら下げていた。ただひとつだけ違うのは頭に生えた二本の角で、そのせいで完成度の低いコスプレのような印象を与えていた。
「あ、カワタヒロシです。○○年○月○日です……。」
「カ、ワ、タ、ヒ、ロ、シ、と。ええー、ご出身は○○県でよろしかったでしょうか。」
男はコンピュータの画面を見ながらそう言った。
「あ、はい」
「はい、はい、はい、なるほどねー。それで、カワタさん来世のご希望などあったら伺うんですけども、何かございますか」
「はあ、希望ですか?」
希望と言われても俺には正直よく分からない。何しろ死んだのは初めての経験なのだ。
「特にございませんか。」
「ない、というかまあ、よく分からないというか……」
「特にこれといってご希望ないようでしたらこちらでいくつか候補を挙げさせていただきますが」
男はカタカタとキーボードに何か打ち込み始める。
「あ、はい……」
すぐにヴーンという音がしてなにやらプリンターのようなものから紙が何枚か出てくる。男はそれを俺に手渡した。
「そうですねえー、カワタさんの経歴ですと例えばこういったものがございます。」
俺は試しにそこから1枚を手に取る。ええと、なになに。
『ナミゲンゴロウ』
寿命:1年半~(都合により応相談)
地域:東北地方、長野県、山梨県、新潟県(一部地域のみ)
経験・資格等:未経験者歓迎!!(水生生物、気門での呼吸ご経験の方は優遇いたしたます)
その他メッセージ:努力が生存に直結する、非常にやりがいのある職場です!!尊敬できる先輩が丁寧に教えるので初心者の方も安心して取り組んでいただけます。絶滅しないようにがんばりますましょう!!
ゲンゴロウ……。え、ゲンゴロウ……?あの田んぼとかにいるやつだよね?水中にいる他の虫とか魚をつかまえて食べる昆虫だよね?そうかー、ゲンゴロウかー。今日び生存厳しそうだしちょっとこれはなー。
俺は次の紙を手に取る。
『ヒゲナガカワトビケラ』
寿命:1年~
地域:ほとんどの地域でok!!
経験・資格:問わず
その他メッセージ:基本的に夜勤となります。日中あまり活動したくない方におすすめ!成虫になるまでは大変ですが、無事成虫になれたときの喜びはひとしおです!!
トビケラ……。トビケラ……?天竜川流域などに生息し寿命の大半を幼虫で生活するとされる虫だよな?幼虫の時期は浅瀬にすむことからザザムシとも呼ばれかつては食用とされた時期もあるという……。いやーでも俺、触覚長い虫だめなんだよなー。他で探そう……。ええと他のは……。シナノビル、ユスリカ、トビイロカゲロウ……。
「あのー。」
「はい、どうかなされましたか?」
「できれば水生昆虫以外でお願いしたいんですけど……。」
俺が恐る恐るそういうと、男は再びカタカタとキーボードを叩く。
「それ以外だとクサウラテングタケ、タマゴテングタケモドキなどございますが」
「それたしか毒キノコですよね」
「ええ。」
男は何食わぬ顔で返事をする。
「せめて動物でありませんか」
「それですとフナゾコミジンコになりますが」
プランクトンじゃねえか。俺は頭を抱える。大した人間じゃないことは自分でもわかっていたが、まさか恒温動物にすらなれないとは。俺の生きた二十数年は何だったのだろうか。そう思うと泣きたい気持ちになる。
「……人間になりたいです。」
「はっ?」
男はポカンとした顔でこちらを見ている。
「人間になりたいです。」
「無理です。」
「そこをなんとか。」
「なんとかもなにも無理なものは無理です。カワタさん、生前大した徳も功績もないじゃないですか。人間なんかなれませんし、なっても大した人生遅れませんよ。」
男は容赦なくそういい放つ。
「人間にしてください。なんでもするんで。まじで。」
俺はそういって窓口のカウンターに額を擦り付ける。男はため息をついた。
「最近よくいるんですよねえ……そういう方。どうも勘違いしてるというか、現実が見えてないというか。あなた死ぬ前は就職活動で散々苦労されていたようですが、そこでも高望みされてたんじゃありませんか?少しレベルを落とせばいいものを妙なプライドを持って上を目指すから自分が苦しむんですよ?」
「ぐっ……!」
痛いところをつかれる。確かに就職活動では大学の水準より少し上を目指して失敗したところがある。
「いいじゃありませんか、ゲンゴロウ、毒キノコ、プランクトン。どれだって立派な自然の一部です。あなたが勝手に優劣をつけているだけで皆さん一生懸命に生きてらっしゃるんですよ。どれがかけても世界はなりたちません。」
ぐうの音もでない。が、ここで引き下がるわけにはいかない。
「わかっています!それでも人間がいいんです!本当お願いします!」
「全然わかってないじゃないですか……。」
「どうせあるんでしょう?!何かしらの特別なルートが!異世界転生ってやつが!もったいぶらなくていいじゃありませんか!この世界で人間になろうだなんてそんな欲張りいいません!どこだっていいんです!そこで人生やり直してラノベみたいに女の子とイチャイチャしたり冒険したりイチャイチャしたりを馬鹿みたいに繰り返したいんです!ラノベみたいに!」
男は頭を抱える。
「はあ。そういうのも多いんですよねえ。何の影響かわかりませんが異世界だの転移だの転生だの。何ですかラノベって。あきらめてゲンゴロウになりなさい。ゲンゴロウだって冒険してますよ、絶滅や環境汚染という強大な敵と日々戦ってます。田んぼの中でメスともイチャつきほうだいですよ。」
「弱肉強食の過酷な生存競争なんて望んじゃいないんですよ!!俺は半身の努力で最強になって、ガードの固い女の子をゆっくり攻略したいんです!子孫を残そうと必死にがっついてくるメスゲンゴロウのハーレムなんてお呼びじゃないんですよ!!」
「……。」
「……。」
暫く男と俺とのにらみ合いが続く。男はやれやれといった口調で口を開いた。
「はあー……、わかりました。それではこうしましょう。私はあなたのために、その……異世界なんとやら的なシステムが容易できないか上と掛け合ってみます。我々としてもこの頃富みに増えているあなたのようなタイプの人間をどうにかしなくてはいけませんから、どのみち何らかの対処をとらねばなりません。このままでは生まれ変わり処理が滞り、世界のバランスを崩しかねませんからね。」
「それじゃあ……!!」
自分の顔が明るくなるのが分かった。
「はい、ご用意しましょう。異世界なんとやら。」
俺は思わずガッツポーズを取る。存外ごねてみるものだ。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
俺は思わず男の手をとって握手をしたがすぐに振りほどかれた。
「た、だ、し。当然、いますぐにというわけにはいきません。上と相談し、企画書を提出し、それがパスされ予算がおりたのち諸々の処理、現場の作業等行うのにそれなりの時間がかかります。」
「はあ(こいつ、除菌シートで手を……)。」
「そのあいだ、あなたをずっとここに置いておくわけには参りません。というわけなので……」
「え、ちょっと待ってくださいよまさかそんな」
「はい、その間どのみちあなたには一度生まれ変わっていただく必要があります。」
「結局なるんじゃないか!ゲンゴロウ!」
「はい。しかしゲンゴロウとしての寿命を終え、帰ってきた後に異世界へご案内することをお約束します。さて、今手続きを終えましたので、窓口出られて左側の三番魔方陣へ向かってください。」
「え、ちょ、待って今すぐ?心の準備が……。」
「あ、係員さんお願いしまーす!この方を三番魔方陣へお連れしてくださーい。」
男がそういうと黒服を来た鬼たちがやってきて俺を強制的に連行した。
「あああああ!!いやだああああ!!ゲンゴロウになんかなりたくないいいいい!!」
「次のかたどうぞー」
俺はこうしてとりあえずゲンゴロウになった。