これが最初なの
もう少しどきどきしよう、としーくんは言った。すでにもう、こんなにもどきどきしているのに。
そっと目を開けると、しーくんの顔がすぐ近くにあって、わかってたはずなのにびくりと肩をゆらしてしまう。のけぞりそうになる体をこらえるあたしに、しーくんはくすっと笑って余裕気にゆっくりと体をもとの距離まで離した。
しーくんはあたしと見つめあったまま、左手の力を抜いて開くと、親指であたしの中指をそっと撫でた。
「綾子の指は細いね」
「しーくんのだって……」
しーくんは王子様的イケメンだけど、何も身長まで高身長な訳ではない。あたしよりちょっと、2センチくらいは上かな? って感じだ。なので手だって指だって、あたしと全然変わらない、と頭では思う。でも触れられていると、どんなに優しくてもなぜかとても力強く頼もしく感じられて、全然違うように思われてしまう。
「綾子は、全然ペンだこがないね」
「ペンだこ? 物書きでもないし、ないよ」
「いや、あってもおかしくないと思うけど。私もあるよ。ほら」
しーくんは手を離して、自分の右手を出して見せてくる。よく見てみると、中指の第一関節にぽこっと膨らみがあった。人差し指を伸ばしてなぞってみると、確かに固い。ほおぉ。固いけどちょっとぷにっとしてる。なんか不思議ー。
「ペンダコがあるなんて、しーくんはさすが、勉強家なのね」
「うーん。結構みんなあるものだと思ってた。でも、ないほうが、綺麗だね」
「んっ」
しーくんはそのままあたしの指と指の間に指をいれるようにして絡めてきた。こんな風に友達とふざけて手を繋いだことはあるし、何回か男の子とデートした時に勝手に繋いで来られた時はある。だけど、ちゃんと好きな相手にされると、こんなに密着度が高くて、エッチな感じがするんだ! うー。何か、くるなぁ。
右手と右手だから余計に初めてで、変な感じに思っちゃうのもあるかもだけど、握るみたいに、確かめるみたいにぎゅ、ぎゅと力をいれたり抜いたりされると、アクセルを踏まれるみたいにどんどん心臓がうるさくなってきて、あたしの体に力が入らなくなる。
「し、しーくん……なんか、しーくんって、思ってたよりえっちだ……」
「え、そ、そうかな。綾子は思ってたより、純情だよね。可愛い」
「普通だよ。女の子だもん」
「可愛い。じゃあ、綾子とこんな風に手をつないだの、私が初めて?」
「ん。そんなことはない、けど。友達とかお母さんとか、あと、合コンの後何人かとお試しで一回デートした時に、繋いだことはある」
「……そうなんだ」
「あ、でもっ、もちろんそんな下心しかない男の子とはすぐ手を離してデートをやめたし、他の女の子とは、全然、そんな特別ではないし、どきどきしないから」
素直に答えてしまってから、気落ちしたようなしーくんの返事に、あたしは慌ててフォローする。何なら、こんなにどきどきするのは初めてなのだから、これがファースト恋人繋ぎと言っても過言ではない。
あたしのフォローに、しーくんは苦笑して、改めてあたしの手を握るとそのまま自分の胸元に引き寄せながら微笑む。
「ありがとう。そんな風に言ってもらえて、嬉しいな」
しーくんはそう言って、そっとあたしの手ごと繋がってる手を持ち上げ、しーくんの手の甲にかかってるあたしの中指の爪先に、そっと顔を寄せて口づけた。
「っ、しっ、しーくん!」
「ふふ。ごめん。つい。だめだった? まだ早かったかな?」
思わず大きな声を出してしまったけど、悪戯っぽく笑いながら首を少し傾げる小悪魔的可愛さのしーくんに動揺しつつ口を開く。だ、だめってことはない。誤解はされたくない。
「う、えと。ダメってことはない、けど。指だし。でも、なんか、恥ずかしくて、あ、でも、嬉しい、よ?」
急にするなんて! と思わず手を引きそうになる気持ちがなかったかと言えば嘘になるけど。でも、もちろん嫌ではない。それこそ、中世の王子様みたいで、あたしの心臓はもう今にもはじけそうだ。しーくんとなら、何だって許してしまうそうだ。だってこんなにしーくんが好きなのだから。
「そっか。ふふ。綾子、可愛いね」
ぎゅっと今までになく強く、しーくんはあたしの手を強く握り、またあたしの指先に口を寄せ、ちゅ、ちゅと人差し指中指薬指と順番に触れた。
さっきの一瞬より、心の準備があったからか、はっきりとしーくんの唇の感触を意識してしまう。かーっと全身が熱くて、まるで風邪でもひいてしまったかのようだ。感覚がマヒして体がふわふわしてるみたいで、これが現実か疑いそうにすらなる。
「し、しーくん……好き」
「私も好きだよ。綾子、可愛い。本当に、食べちゃいたいくらい、可愛い」
しーくんもまた顔を赤く染め指まで熱を持ち、きっと私も同じなんだろう、幸せそうなとろけるような顔をしている。はあ。こんな顔をされたら、あたしはもっと幸せな気持ちになってしまうし、もっともっと幸せを感じてほしくて、何でもしてあげたくなってしまう。
しーくんはそのままあたしの手を引きながら体を寄せてきた。あたしとしーくんはもはや肩が触れ合う距離で、息遣いも聞こえてくる。もともと近かった足も膝がぶつかり、もう少し前屈すれば顔され触れあってしまいそうだ。
「綾子。大好きだよ」
しーくんはそう、とろけそうなほど甘い声で愛を囁いて、そっと目を閉じながら顔を、ち、近、これ、これは。
「しっ、しーくん!」
「……嫌?」
あたしが強く名前を呼ぶと、しーくんは息が触れるほどの距離のまま目を開けて、その色っぽいきらきらした瞳にあたしを映したまま、微笑みながらそんなことを尋ねてくる。
「いっ、意地悪! ……そんな聞き方、ずるいぃ。嫌じゃなくても……ダメなこと、あるし」
嫌かどうかなら、嫌じゃないに決まってる。でも、そんな。恋人になったばかりだ。確かに好きだけど。日数何て関係ないんじゃないかって言う気持ちもあるけど。でも、そんな。やっぱり、ダメ。だって、心の準備ができてない。どきどきして苦しいくらいで、いっぱいいっぱいで、これ以上はキャパオーバーだ。
「……ごめん。急すぎたね。もっとゆっくり行こうか」
「う……嫌じゃ、ないからね? その、しーくんのこと、大好きだからね?」
「大丈夫。わかってるから。私も大好きだし、ずっと一緒にいたいから。ゆっくり、一緒に居ようね?」
「……うん」
「と言うことで」
しーくんは優しく微笑むと、汗がにじむ手からそっと力を抜いて離し、そして素早くあたしに顔を寄せ、頬にちゅっと唇で触れて、勢いよく体勢を戻して離れた。
「……!? ししっ、しっ、しーくん!?」
一瞬、え? 何があったの? と思ったけどその柔らかさとしーくんの動き、そしてしーくんのはにかむ照れ顔に、はっと気づいた。しーくんはあたしの頬にキスをしたのだ!
「だから、今日は頬でやめておこうか」
「っ、もっ、もう! 馬鹿っ」
「嫌だった?」
「馬鹿っ! 意地悪! ……よくわかんなかったから、もう一回、ゆっくりして」
こんな突然、盗むみたいなのは絶対認められない。あたしとしーくんは、こんなこそこそするような関係ではないのだから。だから、あたしは目線をそらしつつもそう言った。
しーくんの顔は見えないけど、しーくんがくすくす笑う声から、きっととても魅力的な微笑みをしてるんだろうと思ってしまう。見たいけど、きっととっても格好良くて可愛らしい素敵な顔だろうし見たいけど。でも、あたしの熱すぎる顔は見てほしくなくて、顔をそらしたままにする。
「うん。ごめんね、急にして。びっくりしたよね。もう一回、するね」
「もう一回じゃない。これが最初なの」
「ふふ。そうだね。綾子……こっちむいて。キス、できないよ」
「……うん」
あたしは恥ずかしくてたまらなくて、目を閉じたまま、しーくんの声に応えた。頬に感じるしーくんの熱さに、あたしはもうこのまま世界に溶けていくんじゃないかと思った。