意地悪なこと言わないでよ
「ねー、しーくん。今日どこいく?」
「んー、私はどこでもいいけど」
「そう言うの困るー、って、そだ。しーくんの家行きたい!」
「え、私の家?」
「うん。行ったことないし。……ごめん、テンションあがって。家の人のこともあるし、急には迷惑だよね」
ひまの家は広いから、何回か四人で行ったけど、しーくんのとこには行ったことがない。おうちデートもいいかも! と思って言ったけど、やっぱ急だよね。うちに来ての方がよかったかな。でも散らかってて恥ずかしいし。ってそれはしーくんもか。
「あ、いや。大丈夫だよ。急だから驚いただけ。じゃあ、来る?」
「いいの? 気を使わなくても、駄目なら駄目って言ってよ? しーくんから告白してくれたっていっても、今はお互い好きで付き合ってるんだから、無理矢理一方的に気遣って尽くされても嬉しくないからね?」
「ありがとう。でも本当に大丈夫だよ。両親二人とも今日は働いてる日だし、いつでも大丈夫だよ」
「ほんとに? じゃあ行きたい」
しーくんは爽やかに微笑んでくれる。しーくん見てると家も部屋も素敵なのを想像しちゃうなぁ。でもしーくんの性格と家は関係ないし、案外乙女チックな部屋かも知れない。でもそれも可愛いかも? とにかく楽しみ!
私は嬉しくなって、鞄を持ってるしーくんの右腕の肘辺りの制服をつかんで軽くゆらす。
「えへへ、おうちデートね」
「……そうだね。って言うと、何だか緊張しちゃうなぁ」
「んふふ、しーくん、大好き」
「……嬉しいけど、そんなに何回も言ってくれなくてもいいよ?」
「あたしが言いたいの。大好きだから大好きって言いたいの。嫌? うざい?」
あたしは好きになったらもうそればっかりになるタイプらしい。特にしーくんを目の前にすると、もういつも大好き大好きって思っちゃって、口に出さずにいられない。でもうざいって言うなら、ちょっとくらい言うの控えようかな?
しーくんが遠慮してないか様子を伺いながら聞くと、しーくんはそんな私に気づいたらしく苦笑してからぽんぽんと、しーくんの服をつかんだままの私の左手を、自分の左手で軽く叩く。
「いや……ちょっと、恥ずかしいだけ。綾子のこと、私も大好きだから、言ってもらえる度に嬉しいよ」
「じゃあ言う。あと、しーくんももっとあたしに可愛いとか大好きとか言っていいからね。あ、強制じゃないよ? 思ったときには自然と遠慮せず言ってねってこと」
「うん、わかった。じゃあ、言うよ。綾子はとても可愛い。大好きだよ」
「んーふふふ、好きぃ」
大好きぃ。もー、ちょー好きー。しーくん格好いいなぁ。
そんな感じでいちゃいちゃしつつ、しーくんの家に向かった。駅は知ってるけど、降りたのは初めてだ。これからここで頻繁に降りることになるんだろうなって思うと、何だか楽しいと言うか不思議な気分だ。
「ここ? おっきいマンションね」
「賃貸だけどね」
「引っ越してきたんだし、普通じゃない? あれ、そう言えばご両親の都合で引っ越してきたんだよね? また引っ越すとかあり得る? どうなの?」
「うーん。今回で初めての転勤だったし、栄転らしいし、そうそうないんじゃないかな。と言うか、あったとしても残るよ。だって綾子がいるからね」
「……大好き。あたしもね、もし転勤ってなっても残るからねっ」
まあ、うちは父しか働いてないし、県外に支社とかないから転勤で引っ越すとかないって前に言ってたけどね。
しーくんの家のマンションは結構大きくてきれいな新しめで、8階だった。高い。あたしの家は持ち家で二階建てで高いのに慣れてないから、ちょっとかなり高く感じる。エレベータでガラス張りの意味あるの? こんなに足元までガラスで、スカート短かったら外から見えないのかな? あたしは膝上十㎝くらいだし平気だけど。
「さ、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
「私の部屋はここね」
「お邪魔します二度目ー」
「何それ」
「二度目だから言っただけ。きれいな部屋だね」
家に入り、入って通路を進んで一番奥右手の部屋がしーくんの部屋だった。部屋の中もきれい。ってか、物が少なくてすっきりしてる。机の上まで全然物がない。あたしの机なんて、ペンとかメモ帳とかクリップが奥のほうに転がってるのに。まじか。本当にきれいな部屋って、こういう部屋か。
「適当に座っていてよ。飲み物を取ってくるね」
「ありがと。ジュースならコーラかオレンジ、コーヒーならミルクたっぷりでお願いね」
「オレンジジュースがあるから待ってて」
「うん」
さすがしーくん。好きだな。
しーくんは鞄だけ机に置くと部屋から出たので、あたしもその隣に鞄を置き、とりあえず壁際のテレビをつけてから机の前のローソファに座った。ふむ。なかなかふかふかしてよいソファ。
テレビをつけてすぐに始まったのは夕方のバラエティとニュースをごちゃ混ぜにした内容だ。たまに見てる。芸人が美味しいもの食べるだけでも結構好き。でもできれば地元でしてくれたら実際に行けるのに。
「綾子、戻ったよ」
ドア越しに声がかけられる。名乗らずともしーくんしかいないわけだけど、自分の部屋なのにわざわざ断りを入れるなんて、しーくんめっちゃ律儀だなぁ。ちょう紳士。
「はーい。大丈夫だよ。別に着替えとかしてないし」
「いや、手がふさがってるから開けてほしいんだけど」
「あ、そか」
ドアを開けてあげてしーくんを入れる。しーくんは机の端にお盆をのせる。お茶菓子までのってる。最高。お茶菓子はヴァッフェルだ。あたしこれ大好き。自分では買わないけど。
「テレビ、それ好きなの?」
「たまに見るかな。早く座ってー」
「鞄いったんどけるね」
「ありがと」
しーくんは鞄を床におろしてから、あたしの隣に座った。当然ながら肩が触れそうなくらいの距離だ。
お。おお。……。なんかちょっと、近いなぁ。いや二人掛けソファだし、普通に普段からこんな距離だけどさ。
「……しーくん、あのさ」
「ん? なに?」
「その、手、触ってもいい?」
2人きりになった途端に、こんなことをお願いするのは、はしたないのかも知れない。だけど、どきどきして触れたくなる。外ではもちろん、服を引くだけで我慢していたけど、ここにはあたしとしーくんしかいないのだ。恋人になったばかりとは言え、すでに恋人には変わりないのだから、触れたいと思うのは仕方ない。
あたしの問いかけに、しーくんはテレビからあたしを向いてきょとんとしてから、熱くなってるあたしの顔をみてしーくんも少し赤くなりながら微笑んだ。
「もちろん」
しーくんは優しく、あたしに向かって左手を差し出す。まるで王子様がお姫様にダンスを申し込むように、何ていうとさすがにメルヘンすぎるかな? でも、本当にそう見えちゃうんだもん。
そんな格好いいしーくんにますますどきどきしちゃいながら、あたしはそっと体ごとしーくんに向き直って、そっと右手を出す。
中三本の指先が、そっとしーくんの指先に触れる。すべすべして、なんだかつるっと指が滑っていきそうだ。何だか不思議だ。こんな風に改まって誰かと指先を合わせるなんてしないから、何だか新鮮でもある。
どきどきと、心臓がうるさい。しーくんと触れているのだと思うと、何だか指先まで熱く感じる。そっとその指先を滑らせて、手のひらまで到達させる。手のひらはすこしぷにっとした感触だ。楽しむように何度か押してみる。
「ふふ、くすぐったいよ、綾子」
「あ、ごめ、んっ」
謝って指を引こうとした瞬間、しーくんがあたしの指を包み込むように握った。それはとても優しいのに、とても強く感じられて、思わずびくりと体が跳ねてしまう。
「し、しーくん……痛いよ」
何だか恥ずかしさで体が溶けてしまう気がして、そんなことを言ってしまったけど、しーくんは笑い声をもらす。
「嘘、さすがにそれは嘘でしょ」
「……ごめん、嘘」
「わかってるよ。恥ずかしいの? 綾子から触れてきたのに」
「う。だって。触れるのと、握るのは別だし」
「わたしはもっと、綾子に触れたいよ。だめ?」
「……」
ダメってことは、ないけど。でも、恥ずかしい。しーくんのことを意識しすぎて苦しいくらいだ。しーくんと触れていると、呼吸が詰まりそうで、息が上がりそうだ。
「綾子と恋人になれて嬉しいけど、綾子はいつももっとスキンシップを取ってくるのに、全然なくなって、ちょっと寂しいな」
「そ、それはだって。恋人であんなにくっつくなんて、ちょっといやらしいって言うか」
「えー? いやらしいこと私にしてたの?」
「そうじゃないけど。女友達と恋人は別なのっ。もー。しーくん意地悪なこと言わないでよ」
「ごめんごめん。わかってる。私も無邪気に抱き着かれるより、ドキドキしながら触れてくれてる今の綾子のほうが、嬉しいし、もっとドキドキするよ」
しーくんはそう言って微笑んで、だけどどこかいたずらっぽい笑みで、顔を私に寄せてくる。思わず目を閉じるあたしに、しーくんは耳元にまできて息をあてるように囁く。
「だからもう少しだけ、ドキドキしよっか」
「……す、少しだけ、なら」
「ありがとう。綾子大好きだよ」
「ん。……あたしも、大好き」
もう少し時間をかけていかなきゃ心臓が飛び出そうだと思うのに、しーくんにお願いされると、嫌だとは言えなくて、と言うか全然嫌ではなくて、あたしは頷いていた。