全部好きだよ
「あたしのこと、どこが好きなの?」
なんて、そんな可愛すぎることを、可愛すぎる上目遣いで聞いてくる綾子に、ときめかずにはいられない。さっきからずっと鼓動は早かったけど、大きな音を立てすぎて、綾子に聞こえそうなほどだ。
どこか、何て。そんなこと、とても一言で言い表すことなんてできるはずがない。
こんなに可愛い綾子を見ていると、私は胸の奥から言いようもないほど、強いエネルギーが溢れてくるのを感じる。この力強い思いを、きっと人は愛と呼ぶのだろう。ただ綾子を抱き締めたくて、そのまま私と一体化してしまえばいいとさえ思う。
私と綾子が出会ったのは、ほんの数ヶ月前のことだ。
私は親の転勤に合わせて、この街へと引っ越してきた。正直に言って、不安しかなかった。前いた街では友達もいたけど、落ち着くまでには名前をからかわれていじめられたこともあった。
そう、名前。曙茂子。あけぼの、と言うのも相撲取りかよと言われたけど、それはでも名字だ。変えられないものだし仕方ない。だけど茂子。これは本当に許せない。
どうしてこんな名前をつけたのかと、親を恨んで大喧嘩したこともある。だけどその時に、その由来を知って、仕方ないと諦めた。諦めたけど、私が諦めたからって周りからの目まで変わる訳じゃない。
茂子、なんて、なんてゴツくて男みたいな響きだ。嫌で嫌で仕方ない。名乗るのが大嫌いだし、名字だけ呼んでもらってた。
だからここに来て、自己紹介をするのも嫌だったし、名乗ったら名乗ったで、全員がそうでないだろうけど、からかわれるだろう。女子高だし、女の子しかいなかったら遠慮なくいじられそう。いじめとまでいかなくても、本当にからかわれるだけでめちゃめちゃ嫌だ。
そんな憂鬱を、綾子が吹き飛ばしてくれた。
「初めまして、曙茂子です」
「茂子!? うっわ、似合わない!」
教壇に立ちどきどきしながらした挨拶に、ほとんど反射のようにそんな言葉が返ってきた。その直接的すぎる言葉に教室がざわつく。初対面から厳しそうな人だと思った釣り目で眼鏡の女教師が、きっとより眉尻をつりあげた。
「立花さん! あなたはクラスメートになんてことを言うのですか!」
「うわ、すみませんすみません。でも先生、見てください。彼女、こんなにカッコイイじゃないですか! めちゃめちゃイケメンじゃないですか! なのに茂子って。びっくりしますよ。もっとこう、海人君とか聡君とか、さわやか系な名前のが絶対いいのに」
「男性名ではないですか。失礼にもほどがあります。そもそも、どのような意図があろうと彼女の挨拶を遮ってよい理由になりません」
「う、はーい。ごめんなさい、曙さん。続けてどうぞー」
謝られても。正直この微妙なやり取りの後で続けろと言われても困るが、とりあえず無難に挨拶をした。拍手で迎えられ、ホームルームが終わって次の一限目までの休憩時間になると、飛ぶように綾子は私のもとにやってきた。
「曙さん! さっきは本当にごめんね。別に曙さんが男っぽいとか、茂子がダサいとか馬鹿にしたわけじゃなくて、本当にただ似合わないなって思っただけなの」
それは果たしてフォローなのだろうか、とは思ったが、特に悪感情はない、というか自分でも大嫌いな名前だ。似合わないとも思っている。素敵な名前だ、似合っているといわれても、社交辞令だろうが本心だろうが一切嬉しくないし何なら不快だ。
なので、むしろあっけらかんと似合わないと言い切られると小気味がよい。そうだよね、と同意したくなる。
「いや、いいよ。自分でも好きな名前じゃないし」
「そうなの? じゃあしーくんって呼ぶね。うん、これならカッコイイ曙さんにぴったり。あ、あたしは立花綾子ね。あ!」
「?」
「あたしもしーくんも名前に子がつくね。おそろいじゃんいぇーい。えへへ。これも運命だし、ぜひ仲良くしてね!」
ハイテンションで、こちらのことなどおかまいなしに話す彼女は、だけどその分本音100%だとわかる。自分の名前なんて好きじゃなかった。
だけど、からかうでなく似合わないとあだ名で呼び、その癖お揃いだなんて笑う彼女を見ていると、何だか名前一つにこだわっていたのが、一気に馬鹿馬鹿しくなった。
気づけば私は笑っていた。新しい環境への不安はもうなくて、新しい友人への期待と、これからの生活へのワクワクだけが胸にあった。
「立花さん」
「あ、綾子でもなんでも好きに呼んで。なんならあーちゃんでもいいよ」
「えっと、じゃあ綾子」
「うん」
「これからよろしくね」
「こちらこそ!」
こんな感じで、私と綾子は出会った。それからすぐ佳乃子とひまのことを紹介してもらってつるむようになった。
彼女の声の大きさのおかげか、私はクラスメートからしーくんと呼ばれるようになった。最初の綾子の発言に先生がはっきり怒ったのも影響があるのかは不明だけど、今のところ誰からも名前について言われたことはない。
私は綾子のおかげだと思う。勝手にそう思っていればいいのだ。だって、綾子のおかげで、もし何か言われたって、言い返してやれと思う自分でいられるのだから。
最初から、この時から好きだったなんて自覚はない。だけどたぶん、この時から始まっていたのだろう。
私は気づいた時には綾子が好きだった。明け透けで裏表がなく、自信家で声が大きくてデリカシーがない。そんな綾子の性格は人によっては欠点と思われるかもしれないけど、少なくとも私にとっては、とても魅力的だ。
綾子といれば、悩みなんてなくなる。自分に正直になろう。自分は自分だと言おうと、そんな気持ちになれる。自信が持てる。
そんな綾子だから、好きなところ、と言われると少し困る。きっかけで言うと、性格だろうか? だけどあまりに端的すぎて、綾子を納得させられるか自信はない。それに、そう言うと見た目や能力はというに違いない。綾子は自分に自信があるから。
実際、そこも好きだ。綾子はうぬぼれるだけあって容姿はとてもいい。平均より少し小柄な身長に色白で小顔で、黒目がちでくりっとした瞳が可愛く小さな口も小動物のようだ。手足も長く、それでいて制服でもわかるくらいスタイルがいいし、校則に触れない程度に着崩しているだけでオシャレなことが伝わってくるセンスの良さ。私服も可愛くていつも似合っているし、綾子の外見にケチをつけるところなんてない。
能力は基本的に平均値、よりむしろ下かなと思うこともあるけど、勉強も運動も自信があるから頑張ることにためらいがない。常に堂々としていて、前を向いているから諦めてもうやらないなんてことはない。諦めないという才能がある。
もう、どこが好きかと言えば、全部だ。快活な普段の綾子も、たまに拗ねたり弱ったりする気弱な綾子も可愛いし、だらしなくてダメなところも好きだ。友人として付き合って、同性として綾子の合コン相手では見せられない部分もすべて見て、そのすべてが好きだ。
だからもう、綾子の問いにはこう答えるしかない。
「全部好きだよ」
すると、途端に綾子はぷぅと頬を膨らませた。あ、可愛い。