お休みなさい
「しーくん、ぼんやりしてるけど大丈夫? のぼせちゃった?」
「あ、大丈夫、大丈夫」
お風呂から上がったけど、どうにもしーくんが挙動不審な気がする。照れているのか、お風呂一緒に入るよって言った時からずっと、どこかおどおどしてたけど。
にしてもしーくん、綺麗な体してたよねぇ。今まで友達の裸見ても何も感じなかったけど、しーくんは何というか、好きな人だし意識しちゃった。すらっとして肌綺麗で、しーくんが体洗ってる時とかちらちら見ちゃったし、どきどきした。まあ、いいよね。恋人だし。
「髪の毛かわかせる? してあげよっか?」
「あ、いいよ。私ドライヤー使わない派だから」
「そっかぁ。……え?」
自室に戻り、ドライヤーを用意しながら聞くとあっさり否定された。ふーんと頷いて壁際の学習机の上にセットした鏡に向かって座り、自分が先にドライヤーかけようとして、その内容の訳わかんなさに気づいて振り向く。
え? ドライヤー使わない派ってなに? いやいや。赤ん坊みたいにお肌弱いとか?
「? どうしたの、綾子?」
「どうしたのっていうか、ドライヤー使わない派って何さ」
「使わない派は使わない派だよ? 熱いし、頭皮が焼ける感じがして嫌いだから」
「冷たいほうでやればいいじゃん。皮膚弱いとか?」
「皮膚は普通だけど。面倒だし」
「えー……男子じゃん。もうそれ男子じゃん」
しーくんのことイケメンって言ってるけど、王子様だと思ってるけど。でもそんな男子になりきってくれなくてもいいし。普通に女の子してくれても好きだよ?
しーくんをジト目で見ると、苦笑しているけど、さっきの場所に座ったままで動こうとしない。本気でやる気がないなぁ。
「もう、しーくん。こっち来なさい。それで座る。やってあげるから」
「えー、いいよぉ。寝るまでに乾くから」
「しーくん。やるの」
「わ、わかったよ」
しーくんを鏡の前に座らせ、私はその後ろに立って、ドライヤーをかけながら梳かしていく。短い髪の毛は新鮮だ。髪を持ち上げてブラシで流そう、と動かす前にもう先がなくなる。な、なんかちょっとやりにくいな。
でも、しーくんの髪の毛を梳かして、しーくんのお世話をしているのだと思うと、なんだか嬉しくなってくる。髪を梳かすのは、別にあたしだって楽しくて仕方ないわけじゃない。きちんと乾かしておかないと、変な癖ができたり傷んだりするから、歯磨きするのと同じようにするだけだ。だけどしーくんの髪だと、何となく愛おしくて面倒だなってちっとも思わない。
「……なんか、くすぐったいな」
「いや?」
「いや……幸せになる。綾子のこと、もっと好きになりそうだ」
「素直に好きになっていいのよ?」
「そうだったね」
しーくんはくすくす笑う。しーくんのことをとても抱きしめたくなったけど、寝間着が濡れてしまうから我慢する。
「ねぇしーくん」
「なに?」
「髪の毛、乾かすの面倒だって言ってたけど、でもあたしとこうしてるのは好きでしょ?」
「うん。そうだね」
「じゃあ、次、私の乾かしてね?」
「あー、いいけど。いいの? 乾かしたことないから、雑だったり、長い髪の扱いも慣れてないから、痛いかも知れないよ?」
「ちょっとくらいなら我慢してあげる。だって、あたし髪が長いほうが似合うし」
短くしたこともあるけど、長いほうがいい。これからずっと一緒にいるんだから、あたしの髪の毛の扱いについても慣れてもらった方がいいに決まってる。
「そうだね。綾子は絶対、短くしないでね。可愛くて、とても似合うから」
「絶対って言われると、変えたくなるなぁ」
「えぇ? そんな」
「うそうそ。嘘でーす。しーくんが望むなら、床までだって伸ばしちゃう」
「ほんとにぃ?」
「嘘でーす。床についたら汚いじゃない」
ふざけながらしていると、しーくんは髪が短いからすぐに終わってしまった。残念だけど次はあたしの番だ。場所を変わっていざ、しーくんにお願いする。しーくんは緊張してるのか、躊躇う様にあたしの髪を無駄に撫でたりしている。
「しーくん? そんなに緊張しなくていいよ? ひっぱたりしなかったら大丈夫だから」
「う、うん」
ドライヤーをかけてもらう。あー。なんかちょっといいかも。人にやってもらうのって、なんか偉くなった気持ちになるよね。うんうん。これからもしてもらおう。
○
「じゃあ、お休みなさい」
「お、お休みなさい」
何とか綾子の髪を乾かしてからも、綾子となごやかにいちゃいちゃして、いい時間になったので明日もデートで忙しいからと寝ることになった。寝具はありません。いや訂正。一人分しかありません。
どういうことって、私はてっきり寝る前になったらどこか押し入れから出すんだろうなって思ってたのに、歯を磨いてすぐにベットに入った綾子は何でもないみたいに私もうながしてきた。
よく見たら綾子のベットには枕の隣にクッションも並んでたけど、え、それ!? と驚いた。だけど驚く私に、綾子は何故驚くのと首を傾げて、普通に急かしてくるから混乱しながら入った。
そして今、普通に綾子は挨拶して寝た。えー。本気で?
お風呂の時も思ったけど、綾子、本気で私のこと女友達と同じ扱いしてない? 綾子が私のことちゃんと恋人として認識しているのか不安になってきた。
私は綾子とこんなに近くにいると、どうしたって意識してしまうのに。もちろん本気で疑うわけじゃないし、綾子が純真無垢すぎるんだと思うけども。下心ありますって言った方がよかったかな。とは言え、もう今更なんだけど。
綾子は横になって枕に頭をのせて、躊躇いなく目を閉じている。長い髪がまるで綾子を飾り立てるようにふわりと流れていて、規則正しく呼吸する綾子の体にあわせてわずかに動いている。当たり前だけど、自分もそのすぐ前に寝転がっているわけで、無防備な綾子の顔がすぐ近くなわけで、いい匂いがするわけで。
抱きしめたい。綾子の髪に顔をうずめたい。めっちゃキスしたい。だっていうのに、綾子は私がこんな葛藤をしているなんて微塵も考えていないらしい。早くも眠りについたのだろう。微動だにしない。
「あ、綾子……」
「……」
「もう、寝ちゃったの?」
「……」
熟睡早すぎじゃない? と言うか、そう言う恋人的なあれこれがないとしても、普通お泊りと言ったら遅くまでおしゃべりしているものじゃないの? 寝よっかと言われたときは、なんなら別の部屋なのかなと思ったけど、同じ部屋ならそういう盛り上がりないの?
今まであんまり気安く友達の家に泊まったりとか、そういうのしたことないから、よくわからないんだけど。もしかして綾子はお泊りもしょっちゅうだからこんな感じなのかな。まあ、起きたままこの距離だと、緊張して余計に変な反応してしまいそうだし、いいけど。
「……」
それにしても綾子は、本当に、可愛いなぁ。目をつぶってじっとしていると、お人形さんみたいに綺麗だ。可愛すぎる。
気持ちを落ち着けて寝よう、と思っても綾子の顔をじっと見ているだけで、好きと言う気持ちがあふれてきて、どきどきしてくる。
「……」
……寝る前に、キス、しちゃおうかな。ちょっとくらいいいよね?
見つめていると我慢できなくなってきて、こんなに熟睡しているならと、段々私の中の悪魔が顔を出してくる。もちろん、綾子から許されていないことをするつもりはないけど、キスくらいなら、うん。もうしたことがあるわけだし。お休みのキス、と言い方をすれば許してもらえる気がする。
「綾子、好きだよ」
言いながら、左腕を布団について少しだけ起き上がり、綾子をゆらさないようにゆっくり近づいていく。顔を寄せていく。あと少しだ。すると途端に、綾子が寝ているのにいいのかな? と私の中の天使が騒ぎ出す。
今ならまだ引き返せる。と止められて、私は綾子とキスする5、6センチ前で止まる。綾子のまつげがゆれて、吐息まで感じる距離だ。あとわずかに顔をおろすだけでキスができる。
「……」
「ん……」
「!」
躊躇っていると、綾子がふにゃりと笑った。びくっと反射的にのけぞりそうになるのをこらえる。大きく動いたら綾子を起こしてしまう。
「えへへ、しーくん、大好き……」
「……私も、大好きだよ」
幸せそうに笑う綾子に、寝ながらも応えてくれる綾子に、それでも綾子を裏切るほど私は不誠実ではない。やっぱり、寝ているのに勝手にキスするなんてダメだよね。うん。正々堂々、お願いしよう。
私はそっと、元来たように態勢を戻した。無事綾子は起きないままだ。うん。これでいい。
「お休み、綾子。大好きだよ」
そうして目を閉じる。まだどきどきしているけど、きっとすぐに眠れるだろう。だって下心より、綾子への愛のほうがずっと大きいんだから。
○
「……」
目を開けると、しーくんは普通に隣に寝てて、顔と顔は30センチ以上離れている。
さっき、明らかに気配でしーくんが動いていて、てっきりキスされると思って待ってたのに。普通に寝てる。ちょっと躊躇ったのかなって感じで間もあったから、寝てるふりをしながら大好きだからOKアピールしたのに。何故戻る?
途中でやめちゃったの? うーん。しーくんヘタレすぎる。それかあたしの勘違いで、別にキスされそうになったわけじゃないのかな?
でも、勘違いでもそうだと思ってどきどきして、その気になっちゃたんだけど。明日も早く起きてデートしたいのに、こんなもじもじした気持ちじゃ、眠れないよ! ってことで、キスしちゃお。えへへ。寝込みを襲うみたいで悪だけど、あたしがしたいんだからしょうがない。
「しーくん、大好きだよ」
起き上がって顔を寄せて、ちゅっとしーくんの頬にキスをする。いけないことしてるかもって気持ちが余計にドキドキさせて、なんだか楽しい。
「ふふ。お休みなさい、しーくん」
さって、じゃあ寝よ。明日はデートで、朝からずっと一緒だ。そう思うと、すっごく嬉しい。楽しい。しーくんが傍にいてくれると、幸せな気持ちになる。大好きだーって気持ちでたまらなくなる。
明日も明後日も、ずっと、ずーっと一緒にいよう。そうしたら、ずっと幸せだ。あたしも幸せだし、あたしと一緒にいられるしーくんもずっと幸せだ。これってなんだか凄いことだよね。
あたしは明日へのわくわくをそっと胸にしまって、幸せでふわふわした気持ちのまま、ゆっくり眠りに落ちて行った。
しーくん、大好き。
おわり。




