お泊り会しよっか
その後の話第二弾。3話構成です。3日間、10時更新です。
「しーくん」
呼びかけるとしーくんは微笑み付きで振り向くので、右手の人差し指でつんつんとしーくんの左腕の肘をつつく。しーくんはくすりと笑って、そっと右手を伸ばしてきて、あたしの人差し指を握る。
「なに? 綾子」
「ふふ。しーくん大好き」
「……ありがとう」
しーくんは顔を赤くして、視線を漂わせながらそう言った。恥ずかしがり屋のしーくん可愛すぎる。
ぎゅうぎゅう詰めってほどではないけど、結構人が多い電車の中なので、普通に前の人には聞こえたらしくて、おじさんがちらっとこっちを見てきたけどそんなの全然気にならない。
だってただ好きって言ってるだけだし。指を握られたままなのは少し恥ずかしいけど、好きって気持ちを伝えるのは誰に知られたっていい。
だけどしーくんにとって見知らぬ人の前で好意を口にするのはとても恥ずかしいらしく、こういう時に言うといつもとても恥じらってくれるので、つい言ってしまう。周りを気にしちゃうしーくん可愛い。もっと恥ずかしがらせたい。
「えー、それだけ? しーくんも遠慮くなく大好きって言っていいのよ?」
「……大好きだよ」
「えへへ。しーくんは可愛いなぁ。大好き」
満足したので手を引こうとして、おや? しーくんが手を下したのに、あたしの指を離してくれないぞ?
「しーくん? 手、離して?」
首を傾げると、しーくんは頬を赤くして困惑気味に眉尻を下げていた顔から一転、にいっと悪戯っぽく笑って右手に力を込める。
「断る。大好きな私につかまれて、嬉しいって言っていいんだよ?」
ぐぅ。仕返しか。でもカッコイイ。はぁ……ときめく。ときめきだすと、余計に指を握られてるのがどきどきしてきちゃって、恥ずかしくなってしまうけど、嬉しいか嫌かと言われたらもちろん。
「……嬉しいです」
「綾子は可愛いね。大好き」
「うー。なんか、あたし……しーくんに振り回されてる気がする」
「それは本当に気がするだけだよ」
よしよし、と頭をなでられた。う。ちょっと恥ずかしい。二か所同時に触れるのはちょっと破廉恥なような。でも人前で注意するほどでもないし。人前でなければ注意するレベルでもないけど。ううむ。ジレンマ?
ちょっとだけ不満を表明したくて唇を尖らせるあたしに、しーくんは笑って、家に帰る前にコンビニよっていい? と言った。はぁ、カッコイイ。
コンビニによって飲み物とお菓子を買って、さっさとしーくんの家に向かう。ちなみに手は、電車を降りた時点で離してもらってる。だって右手と右手が繋がってたら歩きにくくて仕方ないし。
「ただいまー」
「ふふ。ただいまって」
週に3回は来ているので、もはやあたしにとっても家みたいにくつろげる場所なので、しーくんの部屋に入るなりそういったんだけど、しーくんには笑われてしまった。
「もう。じゃあこう言えばいい? おかえりなさい、しーくん」
むぅ。あたしはしーくんにくるりと振り向いて、腰を折って上目遣いに出迎えてみせる。ただいまが駄目ならおかえりなさいが正解だろう。あたしって頭いい。
しーくんはちょっとだけ目を大きく開いて驚いてから、照れ笑いみたいな顔になる。
「ただいま。って、なんだか照れるね」
「今日はお仕事お疲れさま。ごはんにする? お風呂にする? それとも……あたし?」
「じゃあ、綾子」
「ふぎゃ!?」
なーんちゃって。と言う前に、しーくんが正面から抱き着いてきて、あたしは悲鳴をあげてしーくんの肩を押して距離をとる。しーくんはにんまり笑って、あれー? とわざとらしくとぼけた声を出す。
「おっかしいなぁ? 綾子から選択肢にいれてきたのに」
「うー、しーくんのスケベ」
「あはは。スケベか。それはいいね」
しーくんは笑いながらあたしの頭をポンと叩くと、そのままいつもの定位置に座るため動きだす。その背中についていきながら、頬を膨らませつつ悪態をつく。
「よくないよ。もう。ばーか、あんぽんたん。すちゃらか太郎っ」
「それ悪口なの?」
座って振り向くしーくんに向かって、私もすぐ隣に座りしーくんの左肩を右手で掴み、向こう側へ向かせるように押す。しーくんは戸惑ったように振り向いてきて、全然動いてくれない。
「え? な、なに?」
「いいから、あっち向いて」
「あ、うん」
お願いするとすっと座りなおして、窓側を向いてくれた。よしよし。よーし……。し、深呼吸を先にしておこう、かな。吸ってー、吐いてー
「ふぅー」
「?」
「振り向かないで」
深呼吸していると、気配から不審に思ったらしくしーくんが振り向くので、ほっぺをつついて向こうを向かせる。
全く。しーくんたら、相変わらず乙女心が分かってないんだから。こんな風に、改まって、心の準備をしているんだから、あたしがいつもより特別にしーくんに甘えようとしてるって、ちゃんと察してくれなきゃ。
「しーくん」
そっと、しーくんの肩の上からそれぞれ両手を出して、ゆっくり体を寄せていく。
「大好きだよ」
そしてそのまま、腕をまわしてしーくんを抱きしめる。ぎゅっと、体が密着していて、すごく恥ずかしいけど、暖かくて、幸せな気持ちになる。
キスをする時も距離が近くなったりするけど、その時は意識が唇に集中しすぎていて肩が触れていてもあまり意識しない。握りあう手先はわかっても体全てがしびれたようになっていて、馬乗りになったりしても、その最中はそこまで気にならない。
だけどこうして改めて体をくっつけていると、やっぱり特別なところでなくても、大好きな人と触れていると言うのは、それだけで違うなと思う。背中に抱き着くなんて、普通に友達とふざけてしたりする。こんなの普通だ。
でも、全然違う。こんなに体の多くの面積が触れているなんて全然気づかなかった。意識してなかった。特別な人とすると、どんなことでも特別になり、些細なことがとても大きく感じられて、すごく幸せになる。
「綾子……ねぇ。振り向いちゃだめ?」
しーくんは胸の上に来ているあたしの両手に手を重ねて、言いつけ通り振り向かないままそう言ってくる。許可をもらおうとしてくれるその姿勢は評価するけど、いやいや。ダメだから振り向かないでって事前に言ってるのに。
「だめ。恥ずかしいから」
「綾子の可愛い顔、見たいな」
「……えっち」
ダメって言ってるのに。強引なんだから。あたしはしょうがないから腕の力を緩めて、しーくんの後頭部にくっつけてた頭を少し離して振り向けるようにしてあげる。
しーくんはそれを察知して、そっと振り向く。その横顔に、どきどきしてしまう。しーくんに自分から抱き着くなんてことをして、真っ赤になってないはずがない。耳まで熱いのは自覚している。本当はこんな顔を見られるのは恥ずかしくてたまらない。
だけどしーくんが、可愛いって。見たいって言うから。あたしはそれを許してしまうのだ。しーくんにメロメロになってる、馬鹿みたいに舞い上がってる顔なんて、あたしだって見たことのない、しーくんしか知らない顔だ。それが、何故だかとてつもなく、素敵なことに思える。
「綾子、やっぱり可愛いよ。ねぇ、向かい合って、抱きなおしてもいい?」
「そ、それは、ダメ。スケベ。しーくんが、あたしだって選ぶから、サービスしてるんだよ? もう」
「ありがとう。でもどうせなら綾子の顔を見ながら、私も綾子のこと抱きしめたいんだけど、どうしてダメなの?」
「う……だって。その、胸が当たるのは、ちょっと」
お互い向き合って抱き合うなんて、胸同士が当たるし、顔だって近くてキスする直前みたいになると思うし、足がぶつかるし、とにかく後ろ向きより密着度高くて、えっちだよ。だから後ろからがぎりぎりセーフなのです。
全くもう、しーくんたらほんとにえっちなんだから。ま、まあ。嫌じゃないし、いずれは、おいおい。まあ? そうなるけど? でも世の中には段階と言うものがあるから。まだ早い。まだ。
「……そ、そっか。それもそうだね。うん。じゃあ、はい。前を向くから、もう一回、お願いしてもいい?」
「うん」
しーくんが前を向いたので、もう一度抱き着く。はぁ。しーくん、なんだかいい匂いする。大好き。この抱き着くの、なんだかはまっちゃいそうだなぁ。
○
「ねぇ、しーくん」
「ん、なに?」
背中から抱き着いてきている綾子が声をかけてくる。どきっとしながら、動揺を隠しながら返事をする。綾子は前から抱き着くのは胸があたってえっちだからダメと言うけど、えっ? と声をあげなかった自分を褒めてあげたい。
いや、だって、普通に胸あたってるよね? 綾子、胸大きいよねって普段も着替えの時とか思ってたけど、こうやって押し付けられると、やっぱ大きいっ! と嫌でも実感させられて、にやけそうだ。
ほんの遊び心から始まった新妻ごっこから、まさかこんな役得な目にあおうとは。たまらない。心臓バクバクしてきた。
「あのさ、思ったんだけど、しーくんってあたしのこと綾子って呼ぶよね?」
「ん? そうだね」
今までずっとそう呼んでいたのに、今更そんなことを聞いてくるってことは、もしかして? 呼び名を変えたいとかそういうことなのかな?
「でも、恋人になったんだし、やっぱり特別な呼び名で呼び合わない? どう? 素敵じゃない?」
「う、うーん」
綾子が変えてほしいならもちろんいいんだけど、でも佳乃子からも綾子って呼ばれて嫌がってないのだから、呼び名自体が嫌で変えてほしいわけじゃないのは明確だ。と言うことは、恋人らしい呼び名と言うことで、つまりそれって。
「てことで、あーちゃんとか呼んでくれていいのよ?」
う、うーん。あーちゃんとしーくんって呼び合うのって、何というか、すごくバカップルっぽいような。女の子同士だからありか? すでに私のことしーくんって呼ばれてるけど、特に道端とかで変な顔されたことないし。でも学校のみんなにはバレバレなわけで、すごい恥ずかしいんだけど。でも、綾子が望んでるわけだし。
「あ、あーちゃん?」
「……思ったより照れる。えへへ」
そう言いながら綾子はさらにぎゅっと腕に力をこめ、私にもたれるようにさらに密着度を高める。自然とさらに私の背中に胸が押し付けられて、ドキドキが超えてもう、ね。
「……綾子の顔みたいんだけど」
「だーめ。恥ずかしいもん。あとあーちゃんね」
照れてる声音が可憐すぎてその顔を見たいのも本当だけど、いったん離れて頭を冷やしたいのに、綾子は許してくれない。と言うか、本気でずっとそれでいくの?
「ほんとにそれでいくの? 私は慣れてるし、綾子って名前可愛いし、そのまま呼びたいんだけど」
「え、うーん。そうなの? あたしとしては、もっとこう、恋人ってわかりやすく特別な呼び名があったほうがいいかなって。あー、でもそっか。それだと、しーくんのこともしーくん以外で呼ばなきゃいけないもんね」
「あ、言っておくけど茂子ってフルで呼ぶのは止めてね」
「分かってる。んー。しーちゃん、はなんかしっくりこないし。しーくんでいっか」
「うん。それでいいよ。私、綾子にしーくんって呼ばれて嬉しかったから」
よかった。諦めてくれて。ほんとによかった。いやあーちゃん呼びが嫌とかではないし、お望みなら呼ぶけど、外ではちょっと恥ずかしいというか。
と言うか綾子って、外で恋人アピールすることを微塵も恥ずかしがらないんだよね。手つなぎ程度でも接触は拒むのに、大好きとか余裕で言ってくる。それが可愛くもあるけど、満員電車とか他の人との距離が近くて、全部会話聞かれてしまうところでも躊躇しないし。それどころか、恥ずかしがっている私を楽しんでいる節さえある。
からかわれるのも可愛いと言われるのも、相手が綾子なら不快ではもちろんない。だけどやっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしいし、その場ではよくても後々思い返して、あー、恥ずかしいぃとなったりするからできればやめてほしい。
「あ、そうだ、しーくん」
「どうしたの?」
「今日お泊り会しよっか」
「……え?」
普通に、買ってきたお菓子食べよっか。くらいのノリで言われて、内容は理解してたけど思わず聞き返してしまう。そんな私に、綾子はもう、と不満げな声を上げる。
そしてついにご褒美タイムである抱擁をといて、さっきと逆に私の左肩をひいて自分に向くようにする。座りなおして向かいあう私に、綾子はまだちょっと赤みがかった可愛い顔をしたまま睨んでくる。
「いや、えじゃなくて。明日休みだし。いいじゃん。それともデートの約束してたのに、まさか他の予定いれてるの?」
「ま、まさか。ただ、急すぎて驚いただけだよ」
「じゃあ決まりね」
「いやでも。私の家もだけど、家族と住んでるし、晩御飯のこともあるし」
「平気平気。うちの家、こんな感じで急に泊まるのザラだから」
そう言って綾子はスマホを取り出して、すぐさま電話をかけだした。
「あ、あたしあたしー。いや表示されてるでしょ。今日しーくんうち泊めるけどいいよね? うんっ。さっすがお母さん! 大好きー、ありがと! んじゃね! じゃあそういうことでしーくん。お泊りの準備しして」
秒速で決定してしまった。さすが綾子の家族。話が早いなぁ。って、え、ほんとにお泊りするの? う、うーん。何というか。もちろん嫌ではないんだけど。
仮にも恋人の家にお泊りするわけだし。そりゃ家族もいて、純情綾子のことなので、もうそういう方面の期待はしてないけども。やっぱりこう、意識するというか。
あー。うん。なんだか、頭がやっと追いついてきた。一晩中綾子と一緒か。わー。同じ部屋では寝れるよね? 楽しみ。寝顔見れる! あー……今夜眠れるかなぁ。
「しーくん? 何にやけてんの? 早く準備ー」
「あ、ちょっ。さ、さすがに勝手に箪笥開けるのは」
動き出さない私に業を煮やした綾子が、箪笥に手をかけているので慌てて立ち上がった。全く。気が早いんだから。




