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電車の窓から見える世界

作者: 清水 秋葉

子どもの頃は外を眺めるのが好きだった。

遠くを見て

新しいものを探し

いつもの安定を確認し

自分の作り出す世界を広く、安全に開拓しつづける。

あの文字はなんて読むのだろうか。

今日は雲が綺麗だ。

あの人は何をしているのだろう。

想像し、空想し、考え、思い、世界を創造する。

子どもの頃はそれが全てであり、それが世界であった。


赤ちゃんの頃ならば、もっと自由に、自分を感じず

他人を感じず、全てが同じで、世界が自分であった。

見るものは新しく

出来たことが新しく

感じることも新しい世界。

自分で世界を作り上げていた。


しかし、いつからだろうか

やりたいことや感じたいことに制限が設けられるようになる

世界を見て、眺めて、作り上げていたはずの世界は

すべて自分の中へと押し込められるようになる。

電車からの窓を眺め、広く青い空を感じても

それは私の中だけの世界なのだと感じるようになる。

他人と、自分と、世界は別のものだと感じるようになるのだ。


人は成長するにつれてなのか

それともそういう世界が作り上げられているからなのか

互いを干渉し、鑑賞することで、評価を与え、求める。

常に自分を見つめ、自分の中にしか感じられない世界を守り

他人の世界と行き来を繰り返す。

恐る恐る進んだ先の世界で

自分と似た景色の世界を好むようになり

自分とは異質の世界を拒み始める。

自分の世界が、すべてと感じ、否定されるのを恐怖し

そして守ろうとする為に似た世界を増やすことで

安定を求めている。

自分が見る世界が全てになりつつある。


大人になった私は、いつのまにか狭い世界を作り上げている。

一人に一台与えられた、誰とでも繋がれる科学の結晶を

けれど私は一人になる為に使っている。

手の中にある無限の知識を自分の物だと信じ込んでいる。

自分で考えることを忘れ

自分で作り上げることを忘れた私は

創造することも出来なくなった。


ふとした瞬間。

窓の外を眺める時がある。

狭くなりすぎて、窮屈な世界で生きる私が

まるで抗うかのように

悶えるかのように

突然外を眺め始める。

そして幾度も

私はいつから世界ではなくなったのだろうか

と我に返っている。

そうしなければ、私は1人になってしまい

世界が私になってしまうから。


今日も電車に乗った私は、自分で世界を広げてみた。

皆が下を見て、手の中を探り、時には閉じ篭る。

子どもですら、外を見ることがなく、大人の真似事をする

あなたはいつも、何処を見ていますか?

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