外と中
しかしぶん殴った所で状況は変わりっこないのだから、俺はさっき感じた、ぞっとする感じが何なのかを、注意深く感じてみる事にした。
ぞっとする。
それはいくつかパターンがあり、恐怖とか嫌悪とか、それからもっと直接的に寒いからとかがある。
初めに感じたものは、瘴気よりもやばい、と本能的に思った。
この本能的な部分は一体、なんぞや、とじっくり考えてみる。
幸いなのかなんなのか、俺は周囲から魔物の気配を感じない。
つまり周囲二百メートルには、魔物がいないって事だ。
これは師匠に鍛えられたんだ。
実地訓練で。さすがの俺も、いきなり森の中に放り込まれて、気配を感じて逃げ延びろ、なんていう事を抜かした師匠と、訓練が終わった時には真剣に口論した。
俺はその間にもう、何遍も魔物から逃げた。でかいのから小さいのまで。
おどりゃいいって? 馬鹿野郎、踊ったら俺の正体ばれんだろ! 踊るのは最終手段だ! 奥の手なんだよ、奥の手簡単にさらしてどうするんだ!
ちょっと熱くなりすぎたが。
そんな無茶苦茶訓練……普通ど素人いきなり、野営だのなんだのさせないだろ? 魔物はびこる森の中に、放り込んだりしないだろ? をなんべんか繰り返した俺は、まあ師匠曰く“地味に生き残れるだろう程度の能力”を手に入れた。
その時の事は割愛だ、何せすげえ……あれだった、思い出したくない。
全部終わって合格になってから、実は陰から見守っていましたと言われた俺は、俺実は無茶な事させられてて、それをやり遂げてしまったのか? と脳内で真剣に議論した。
答えは出なかったんだがな。
さてそれは置いておいて。
魔物がいない中、この、瘴気とは違うぞっとした感じは一体なんだろうか。
俺は少しばかり感覚を研ぎ澄ませる。
恐怖? いや、違う。これは怖いんじゃない。
嫌悪? これも違うな……嫌悪するような奴がここにはいない。
俺はアンデット系だって嫌悪する事はないのだ。
冬の大陸では死体を燃やしたり、穴を掘って埋めたりすることができなかった。
燃料がまずないし、土はかなり凍り付いていて穴を掘れないのだ。
だからどうしたか、と言えば。
死体を捨てる場所というのを決めて、そこにぽい、である。
後は獣や、あの大陸でもしぶとい植物が処理した。
それゆえ俺は、食いちぎられた死体とか、植物が根を張り始めた死体とか、損傷激しいのとか、割と慣れている。
今は見た事ないけれども、耐性だけはある。
だからアンデット系も、あまり怖いとは思わないし、はっきり言えばあー、腐ってんなーで終わる。
事実、無茶訓練中にそういうのに遭遇した時が一回あって、俺はその時自分が腐液だらけになるの承知で切りかかり、動かなくなるまで細切れにし、後から師匠に、思いっきりどやされた。
アンデット系の腐った体液は猛毒の場合が多くて、うっかりしたら寝込んでそのまま死んでしまうとか。
師匠は肝を冷やしたらしいが、俺はそこで覚えたし、そういうのの対処法も教えてもらった。
だからまずないんだが……だったらこの、ぞっとするとしか言いようのない感じは、一体何なのか。
……色々考えて、最終的に思い至るのは寒いから、になるんだが。
今結構あったかい気候なんだよ。春もそろそろ夏になるな、という感じの気温。
これで寒いってなんのこっちゃい、と常識的な部分が首をかしげているわけだ。
それでも嫌な感じは消えない。
これってどういう事なんだろう。
ちらりと聖女と王子を見やる。
何か感じてないだろうか、ダメもとで聞いてみるか。
俺は彼らに近付いた。
「すみません、あの、なんかこのあたり、変な感じしませんか」
あんまり飾った事を言うと、俺は言いたい事が迷子になる。
だから、単刀直入に問いかけてみれば、王子は首を傾げた。
「変な感じですか?」
「あなたの勘違いではないのかしら?」
どっちもそんな物感じていないらしい。
その返答から判断して、俺は頭を掻いた。
「気のせいですよね、うん、緊張しすぎているようで」
「あなたはゼブン殿と、実地訓練をした事がありますか?」
「ええ、ありますけれど、いつも一人きりでしたので……こうして、身分の高い方々がいると思ったよりも」
緊張するようです、と誤魔化せば、王子様その二は大丈夫、と笑いかけてくる。
「最初は誰でもそんな風ですよ。君がルナの話し相手になってくれていると、よくルナが言います。こちらこそお世話になっているようで」
「いえいえ」
王子様その二は、ルナちゃんと親しいのだろうか。
王子様その一は、結構仲が悪いというか、ぎくしゃくしているらしいのだが。
「ルナが楽しそうに、外からもらった花を飾っていたりしますからね。森の花や野の花はなかなか、ルナの元には届かない物ですから。あの子は花が好きですから、とても喜んでいて」
俺がぶちぶち引きちぎって、泥付きのまま渡しているあれを、ルナちゃんは喜んでいるのか、よかった。
長持ちさせるために、土とかつけたまま、飾らないで渡しているから、ゴミ扱いされていたら寂しかったので。
「ルナはゼブン殿にあこがれているので、君がゼブン殿の事を話してくれる事も、すごく喜んでいるのですよ。ああ、内緒ですよ」
にこりと笑った、愛嬌のある鼻をした王子様その二が秘密めいて言った。
こいついい人じゃん、名前覚えておこう、と俺が思ったあたりでだ。
「ねえ、あなた、街に出ているの?」
聖女アカネが問いかけてきた。
俺は嘘は言わないように、こう言った。
「よく、師匠の酒場巡りのお付きをしています」
「それじゃあ、美味しい食事を食べられる場所を知らないかしら。……お城の料理はおいしいのだけれど、故郷の味ととても違っていて」
「まあ、アカネ、そうだったのかい?」
「はい、クリスチャン様。お城の料理は味付けがすごく違っていて……時々故郷の味がとても懐かしくて、でも味噌も醤油もないから……」
「ミソ、ショウユ、知らない名前ですね、肉の名前ですか?」
「調味料の名前なんです」
言ったアカネはなんだか、俺から見るとかわいそうだった。
かわいそうっていうの、変かもしれないんだがね、恋しい味が食べられないって大変だよなって思ったんだ。
その辺りは俺も、いっぱしの料理人の感覚があるのだ。
……聞いていたら、俺も味噌と醤油がすごい恋しくなってきた。
バルザックは港があるからあちこちの産物が手に入る。
どっかの街のあたりで、それっぽい調味料仕入れていないかな……
少し頭の中で、外出の計画を立ててみる。
そうだ、いざとなれば師匠を巻き込もう。
師匠だっておいしい物が好きだから、出汁をきちんととった味噌汁なんて、絶対においしいと言ってくれる。うまみは第五の味なのだ。万人に共通した美味しさの感覚だ。
やってみようかな……うまくいったら、ぜひともドゥガル様に食べさせよう。
まあ、それは後での話だ。
俺以外は誰も変な感じを感知していない。
じゃあ、気のせいなのだろうか。
と思うには、何かが少しだけ、違うと囁いてくる。
「では、師匠についていって、美味しかったところを覚えていたら」
俺はそう言って、顔を上げた。
首筋のあたりを撫でて行った冷気に、目を見開く。
この感じは知っている。
というか、慣れ親しんだ物にとても近い。
しかしなんでここで、この状況で感じるのかが、分からない。
冷気はどこから吹いているのか。
簡単だ、その方角に目をやっていけば、春冬の祠の方からだ。
「……」
「寒い……?」
「冷えた風かしら……?」
黙る俺、疑問を口に出し始めた王子様その二、そして聖女アカネ。
その三人の耳に、悲鳴が響いてきた。
それは男の悲鳴で。
「ステファン様!」
「いけません、アカネ、様子を見てからです!」
聖女アカネが立ち上がり、祠に走っていく。
それを追いかける王子様その二、でも体調不良が悪化したのか、ぐらりと体をよろめかせて膝をつく。
魔素中毒がかなり末期なんだ。
こいつは早く、燃費の悪い魔法を使って、体の中から魔素を排出させないと。
「王子様、魔法で祠の中の事を調べられないのですか!?」
魔法のいろはは知らない俺が怒鳴れば、彼は言う。
「ありますが……魔素を大量に使用してしまいます、できま」
「やってください! 聖女アカネを連れ戻すためにも! 中の情報が何にもわからないのに、ただ突っ込むのは無謀なんです!」
思い切り怒鳴った俺の顔を見て、目を見開いた王子様が、目を閉ざして、術を展開させ始めた。
手が緩く動き始め、術式を描き始める。閉じた瞼に、術の紋章が煌き始める。
「何が見えますか」
「アカネが走っています、祠の道は一本の様で……さらにその向こうには、扉? 開いた扉の向こうでステファンと、両殿下、そしてゼブン殿がいます……なんだ、あれは」
彼が動揺する。その動揺で術が少し乱れたのを肌で感じる俺。
「何が見えますか」
「凍れる、竜の骨……? 金の水晶を抱く、三つの角をいただく骨……? 翼のない……めずらしい形をしています」
「それは動いていますか」
「……動いてはいないと思いますが……だったらどうして……ステファンは倒れているのか……」
彼が言った直後だった。
ボゥ…………と、生き物の鳴き声とは似ても似つかない、そんな音が、祠から響き渡ってしまった。
途端、すさまじい、手足が芯から冷えて行きそうな冷気が、祠からこっちにやってきた。
「っ!」
王子様が術を動かせなくなってしまった。集中力を使う術は、いきなりの攻撃や事態に弱いのだ。
彼の瞼から、術式の模様が消える。
「……ごめん、これ以上は見えません」
「いいです、でもいったいどんな奴が中にいて……でも、祠の中に、その骨以外の魔物はいなかったんですよね」
この問いかけに、王子様その二が頷く。断言する調子で続く言葉。
「ええ、一匹も。普通こういう大きな暗い空間は魔物の巣窟なのですが」
「だったら、その一匹が暴れていないのだから祠の中の方が、きっとアカネにも安全です」
「ステファンは何故悲鳴を上げたのですかね……?」
そうなると疑問が続くのだが、それ以上に彼ははっとした顔になった。
「体が辛くない……?」
俺は彼の顔色を見て、相当魔素を使った結果、中毒症状が軽減したのだ、と察した。




