時の経過。
ああ、誰かが呼んでいる。俺の知っているあいつの声じゃない。でもとても懐かしい。あいつ以外の声だ。二度と聞く事なんてないだろうな、と思っていた声。
本当にいけ好かなかった奴だけど、嫌いじゃないやつだった。
俺を唯一まともに動かせたのに、あんな風に言うせいで俺に三枚おろしにされた奴。
俺嫌いじゃなかったんだ。どっちかと言えば好きだった。頭を撫でられて、目を細められるのが本当はすごく好きだった。
ああ、ってことは俺は結構あのバカ野郎が好きだったんだな。
こうして夢の中にまで入ってきて、俺に何をさせたいというんだろう。
でも声はほとんど聞こえない。かろうじて呼ばれているのがわかる程度。
俺はもう神様じゃないから、ちゃんと手順を踏んでくれよ。そうじゃないと脳の情報量が超えちまうんだよ。超えたものは、頭の中に入らないんだよ、伝言だって残してもらえない。
俺には手順を踏めだとかさ、さんざん言ってたんだから、自分はそれを守れよ。
ばかだなあ、ユーリウス。
俺の、上司。
目を開いたらやっぱり自宅の天井じゃない事に、なんとも言えない溜息を吐く。
夢だったらどんなに良かった事か。
しかしそんな事言ってられやしない、しょうがない。
俺は起き上がり、ごそごそと体に巻き付けていた毛布をはがした。寒いぜ。
時間はよくわからないのだが、たぶん朝方だろう。顔を洗うために台所の脇の井戸に行った。井戸はあれだった、手押し式の井戸だった。
うっかり変な物が入りにくくて結構だ。俺がいた時代は井戸に毒を入れるの、よく行われていた事だった。
手押しポンプを何度も上下させて水を出す。ポンプの中の水がだされて、地下の冷たい水が出てくるまで行う。
そして俺は桶に水をためて、ばしゃばしゃと顔を洗った。
洗ってから髪をちょっと整えて、服で顔を拭く。ああ、ワイシャツが。しょうがない、タオルも手ぬぐいも見つからなかったのだから。
今日の天気は晴れらしい。空の抜けるような青さは、日本のそれとは大違い。間違いなくセレウコス国の色だ。
今日は牛骨スープの味見をして、親方に味見をしてもらう。
それで採用になれば、おそらく俺の立ち位置は結構いいものになるだろう。
どうやら砥ぎ師としても俺は、結構役に立つレベルらしいので。
朝は何か作ってもらえるんだろうか。
それとも俺が、居候の対価として作ればいいのだろうか。
悩むぜ。
それはさておき、家に戻る。色で時間が分かる魔法石式の時計が、うすら青い。明け方を示している。これは六百数年たっても変わらない物らしい。
不変の地位の物ってあるんだな。
そんな事に感心しつつ、俺は親方の部屋の扉をたたいた。入るなとも言われていないから、一応礼儀として扉を叩いてから開ける。
「おやかたー」
俺は腹が減った。作っていいなら何か作るのに。
そんな事を思っていると、壊れそうなベッドの上に寝転がっている親方が、ううとうめいた。
朝に弱いんだろうか。俺は朝に強い。鶏並みに強い。おかげでバイトに行くのは非常に便利な体をしていた。
朝からの仕込みに入れるバイトって、結構重宝するもんなんだぜ。
「お、や、か、たー。俺はお腹が空きました、勝手に食べてもいいんですか」
「……勝手にしろ」
「勝手に何でも使っちゃいますよ」
俺は低血圧気味の親方の返事に、言質を取ることになってしまった。
さて、台所に行きますか。
というわけで親方の部屋から一番近い部屋である、台所に入り、俺は中の食材を調べた。
そして呻きたくなった。
見事に何もないのだ。親方、もしかして朝市でご飯を仕入れる人だったのか。
俺はポケットを探った。大量の砂金。
これを売れば、朝市でも良い物が買えるだろうか。
きっと買えるんだが、出所でもめたりしないだろうか。
本当にどうしよう。
俺は数秒考えてから、リン、と時計が色を変えたので、朝市に早速行く事にした。
神様時代に朝市なんて、行った事ないもんな。何が売っているんだか楽しみだ。
さて朝市の場所は六百年前と変わらないだろうか?
変わってたら迷子になっちまうぜ。ちょっとばかし不安だが。
俺は折り畳みナイフとポケットの大量の砂金を確認して、親方に声をかけた。
「朝市に行ってきます!」
親方はうめいて動く気配がなかった。
本当に眠い人なんだな。
まあいっか。
俺は自分で納得して、親方の家を出た。
大通りは舗装されているけれども、裏道は舗装されていない。じゃりっとした砂地の道や、草がぼうぼうの道だのがある。
俺はそこには近付かない。知らない土地で怪しい道を通ってはいけない。これは日本で手に入れた持論だ。
大通りは石畳で舗装されている。そこを魔獣につないだ荷車が通っていく。大体それで、市場の場所はわかるのが朝の事情だ。
なんでかって言われたら、食材や酒の樽がどれもこれも同じ方向に行っているから。
もしかしたら仕入れなのかもしれないけれど、これだけいろんなものが同じ方向に行くならば、朝市だろ、たぶん。
そんな風に歩きつつ、俺は換金屋の看板を探した。換金を示すのは蝶々と硬貨だ。化けるのをかけているらしい。
市場の喧騒が聞こえる当たりでようやく、俺は換金屋を見つけた。朝っぱらからやっているだろうか。
そんな不安を抱きつつ、俺は扉を開き、中にいる男に声をかけた。
「お兄さん、今やってますか?」
「お前みたいなちびすけは帰れ」
「まあまあ、品物だけを見てから考えてくださいよ」
「……はぁ?」
男はこわもてだった、きっと数々の人間がこのこわもてに泣き、逃げたんだろう。
しかし俺には効果がない。俺はこわもて程度で泣きも逃げもしない。
俺はポケットから、一番小さい砂金の粒を取り出して見せた。
「こういうものを見つけたんだけれど」
「馬鹿を言っちゃ……っ?!」
俺の手から砂金を受け取ったお兄さんは、手のひらに転がし、息をのんだ。
「冗談だろう?! お前、こんなものどこで」
「見つけた。そんだけですよ、ねえねえお兄さん、それはいくらくらいになりますか?」
お兄さんはがたがたと震えている。なんなんだ、そんな恐れる物じゃねえだと、噛みつくものでもないんだし。
「金か……これは……?」
「金?」
アレイスター、お前やっぱり金を錬成できるゴミ箱作ったのかよ。
実は自分の目で見たものを、ちょっとばかり疑っていたので、他人が金だというと安心する。
「ちびすけ、これを見つけたのはどこだ、どこで盗んできた? ……いや、そもそも盗めるのか……?」
「お兄さん、何が言いたいの?」
「ちびすけ、お前はこれの価値も知らないのか?」
「高い値段がつくくらいしか」
事実だ。日本の十八歳が、金の換金レートだっけ、そんなもの知ってたら驚きだ。
「……ちびすけ、どこの田舎の出身だ? 田舎でもこれの意味は知っているだろう? いや、見た事もなければわからないか……?」
お兄さんがうんうんうなった後、言う。
「これはな、四百数年前に採れなくなった鉱物、黄金っていうものだ」
金はそんな昔に採れなくなっていたのか。知らなかったぜ。
それで、……ああ、だからお兄さんがびっくり?
「黄金というものは、全ての鉱物の頂点だと言われている、王権の象徴だ」
「へえ」
「今天然ものの黄金は存在しない。ちびすけ、もしそれがあるとしたらそれは」
「それは?」
「南の竜、ヨーカンナの宝の山だけだと言われているくらいだ」
ヨーカンナ? あいつまだ生きてたのかよ。しぶとい寿命だな、俺が知っている時ですでに千年は生きてたぞ。
「だからな、ちびすけ。これを持っているなんて絶対に言っちゃいけない」
「はあ、それじゃあここでも、換金できないんですか」
言っているそばから、俺の腹が盛大に鳴った。
「私はお金がどうしても欲しいんです」
「……金も持ってないのか」
「諸事情で」
「ふうん……じゃあ、ちびすけ、特別に換金してやる。お前はこの国の通貨単位もわかるか?」
「わかりません!」
六百年で通貨の基準変わってそうだしな。俺の言葉に、換金屋のお兄さんは頷いた。
「そんな事だろうと思ったぜ」
教えてもらった結果、日本の金銭感覚と大した違いはない事が判明した。
一番小さい小銅貨が一円。大銅貨が百円。小銀貨が千円。大銀貨が一万円だ。
金貨がないのは、さっき言われたようにもう採掘できないから。
紙幣がないのはこの世界の印刷技術が発達してないからだろう。偽札が横行しそうだ。
ちなみに単位の名前はセンという。これは六百年前と変わらなかった。
そして俺は砂金の粒一粒分のお金……大銀貨二百枚分を手渡された。ちょっとした重さだ。
「重い」
でも金よりは軽いだろう。
大銀貨にはセレウコス国の象徴である、茨模様がある。細工物のようだ。とてもきれいだと思う。
「お前は財布も持ってないのか?」
「無理やり連れてこられて、荷物の殆どをその場に落としてきたんです」
「ずいぶんな人さらいだな」
言いつつ、お兄さんは使い古しの財布を持ってきた。魔法の気配が濃厚だ。見た目はがま口の普通の財布なんだが。
「これが財布だ。中に硬貨を最大で五百枚入れられる一番安いタイプだ。それ以上は入れられないが、それまでならどんな重さも相殺する魔法がかけられている。普通はこれで用が足りるな」
言いつつお兄さんが俺の硬貨をざらざらとがま口に入れる。すげえ、本当に全部入った。
「それと。お前がほかに何か色々入れたいなら、朝市でも普通に道具袋が売っている。良い物はそりゃ高いが、相場は小銀貨二枚くらいだ」
「ふうん」
「便利な小分けポケット付きっていうやつもある。俺のおすすめはミーシャっていう店だ」
「覚えておきます、ありがとうございます」
俺はお礼を言って、換金屋を出た。
「また来いよ」
お兄さんがそう言ってくれたので、何か聞きたい事があったらまたここを訪れようと決めた。
それにしても、俺のちび具合ってそんなちびなのか。
俺は市を目指す女性陣の脇を通りながら、ああ、ちびだな、と思った。
俺はちびだった……。というか、セレウコス国の女性陣が大きいんだ。俺はたしかに百五十センチあるかどうかのちびすけだけど。
伸びなかったんだよ。真面目に。しょうがないだろ。まあ、俺の父さんも母さんも、小さいもの同士だったし。その遺伝子が濃いのだとしてもしょうがない。
……どっちも交通事故に巻き込まれて死んじまったから、もう記憶もおぼろげだけどな。