姫君の嘆き
ちらついてはいたんだがな……
おい、なんで君、そこで隠れるように泣きじゃくってんだ……
俺は天上を仰ぎそうになった。夜の離宮のぼうぼうと生い茂る草と、家の柱のある、普通に衛兵から見たら死角な場所に、さっきの女の子が座り込んでめそめそ泣いていたからだ。
「……」
俺は黙った。しばし黙った。対処の方法が分からなかったから黙った。
黙って、うん。
その子の脇に座り込んだ。
家の中に入って、外でめそめそ泣かれているのが気になるくらいだったら、俺は隣でめそめそされている方がましだと思ったわけだ。
隣で数分……十数分……それから……三十数分……どんだけ泣くんだ君は……と思い始めたあたりで、彼女がハンカチで鼻をかんだ。
そして鼻をすすって、隣をちらっと見て、ぎょっとした顔になった。
悲鳴を上げそうな口を俺はとっさに、ふさいだ。
ここで悲鳴上げられたら本気で、俺はドゥガル様に爆笑されてしまう。そしてディ・ケーニさんに呆れられてちくちく言われてしまう。
だから割と本気で、口をふさいで悲鳴を押さえつけた。
「しいっ! 泣いてるの気付かれたいんですか?」
彼女の目は真っ赤だから、すぐに気付かれると分かったのだろう。彼女は黙った。
そして紫の目を瞬かせて、怪訝そうな顔になる。
「……とにかく、ここに長い事いたら冷えますよ。入るならどうぞ」
俺は立ち上がり、離宮の表扉を開いた。ここを通れる使用人はいないだろうが、俺は裏口のあたりを刈り込んでいないので、入れたものじゃないのだ。
彼女は俺の行動に目を見開き、俺を上から下まで眺めてから頷いて、立ち上がった。
出るところが年頃にちょうどいい感じで出ていて引っ込んでいて、そしてやっぱり俺よりも頭半分は背が高かった。
でもこの世界だったら小柄な部類だろうな、と背丈を計算して判断した。
そして中に入れると、彼女は一度も入った事のなかっただろう夜の離宮の、その美しさに目を奪われていた。
俺も何日もここの綺麗なのを眺めまわして、飽きなかったからこれは当然の反応だろう。
まず俺は彼女を客間に通して座らせた。
「ちょっと待っててください」
なんか温かい物を飲ませてあげたい。泣いた顔には気持ちのいいラベンダー草の香りのする冷たいタオル。幸いな事に、俺は冷却箱にラベンダー水を瓶詰で突っ込んでおいたから、それでタオルを浸して絞る。
その間に、冷却箱に突っ込んでおいたツベ乳……これはドゥガル様との盤上遊びの景品で昨日貰った……を温めて、シナモンそっくりの、匂いもシナモンの棒を突っ込んでおく。蜂蜜は一匙。それを二つ作って、お盆にタオルも載せて、客間に戻る。
客間では、彼女が立ち上がってあちこちを見ていた。
しげしげと感嘆する顔で見ていた。
「あの……」
俺が声をかけると、はっとしてバツが悪そうな顔になった彼女。座るように促せば大人しく座る素直さは、美徳だと思うな。
そんな彼女に、冷やしたタオルを渡した。
「どうぞ、目を冷やしてください。差し出がましいようですが、目が腫れますよ」
彼女は俺の渡したタオルを受け取り、小さい声で言う。
「ありがとうございます……」
そして目にあてがった。
その間にお盆の上の物をテーブルに並べて、俺は向かい側に座った。
「……」
彼女は黙っていた。言いたい事は色々あるに違いなかった。しかし、だ。
それらがありすぎて、言葉が迷子になっているのだろうという事はわかっていた。だから俺も何も言わない。
他人の思考の邪魔はしない。
そんでもってまた十五分経過した。細かい? しょうがない。目の前に置時計があるからそれをぼーっと眺めていれば、細かく時間もわかってしまうものだ。
眺めて眺めて、たまに温めたツベ乳を舐めて、またぼーっとする。何という贅沢なお時間。
なんて思っていた辺りで、向かいから動きがあった。
彼女が目からタオルを離したのだ。
綺麗な紫色の瞳をしている。顔立ちもなんだかきつめの美少女だ。肌色は真っ白。唇も桜色。俺のあまり出来は良くない表現能力では美少女としか言えない彼女は、カップを見て困る。
「どうぞ」
俺が促してようやく、カップに口をつけて目を丸くした。
「おいしい……これは?」
「ツベ乳を温めて、そのシナニアを挿しただけですよ。落ち着くにはちょうどいいでしょう」
「……うん」
こっくりと頷いた彼女は、顔がほころぶ。
「シナニアは苦くて……おいしくないと思っていたのです」
「シナニアは匂いはとても甘いから。匂いをつける程度にしておくと、美味しいんですよ。苦いほど入れたら香りも減ったくれもなく、不味いでしょうとも」
俺の茶化した言葉に、彼女がちょっとだけ笑った。
「あなたは、夜の離宮に働いているの? ここの側妃様のお友達? でも勝手に客間を使ってはいけないわ、側妃様がお留守でも」
「本人だから問題ありませんよ」
俺はツベ乳を飲みながらカミングアウトした。
この場合不信感を抱かせないためには、カミングアウトが必要だと判断したのだ。
だって使用人が勝手に客間を使用して、もてなしたらまずいだろ。
そして彼女に、俺が問題行動をしたと思われて心配されたらいけない、気がしたのだ。
なんだか悪い子じゃなさそうだし。
「ほんにん……?」
「はい」
「お父様が迎え入れた側妃様……?」
「ええ」
「………………」
「あの?」
「ええええええっ!!!」
彼女の声はひっくり返り、倒れそうになった。
「あなたが?! 私よりも小さい男の子が!?」
「あー、色々ありまして。お初お目にかかります、リンと申します」
「……お父様の趣味を疑った事はないけれど……こういう小さな男の子が対象だったのかしら……?」
「もっと込み入った事情らしいので、お父様に偏見を抱かない方がいいですよ」
なんてったって冬乞いという問題、だからな!
なんて思っている俺を見て、彼女が言う。
「……では私はずいぶんなご無礼を」
「いえいえ、別段無礼も迷惑もしていないので大丈夫ですよ」
隠れて泣くだけで、無礼も迷惑も減ったくれもないだろう。迷惑の度合いで言ったらあの迅雷とかいう男の方が迷惑だった。
なんだよ、馬鹿にされたから決闘なのかよ、それも俺が普通の戦い方も何にも知らない餓鬼だったら、ただの暴力だろうが。
もしも彼奴に聞く耳があるのだったらみっちりと説教しておきたい。お前の誇りは騎士道精神なんて言う物とは大違いの、下種の考え方だってな。
「……あの……これも……いい匂いが……」
「ラベンダー草を綺麗な水で煮出して冷やしておいたものですよ。日持ちしませんが、ちょっと掃除するくらいには便利なんです。もっと便利なのはお酒にハーブをしみこませたものなんですけどね」
「あなたは博識ね……」
「生活の知恵ですよ、お姫様」
俺が茶化すと彼女は、うぐう、と可愛らしい表情で膨れた。聖女よりもずっとかわいい。うん可愛い滅茶苦茶可愛い可愛がって頭撫でていい子いい子したい。
「さて、お姫様、目が冷えてそれを飲み終わったら、お部屋にお戻りください。なんでしたら私が送りますよ。ちょうど本宮に用事がありますので」
用事って言ったって、今日も今日とてドゥガル様と晩餐囲ってチェスゲームだけどな!
あの人なんで、ほかの妃とかとじゃなくて俺みたいなのをちょくちょく、晩餐に呼ぶんだろう。おかげで俺は……うん……冷めたご飯だが……ドゥガル様も冷めたご飯だと思うと……我慢が……できない!
俺は温かいご飯が食べたい。しかし今までは台所が不便だった。
しーかーし! これからは一昔前の日本みたいな台所に、届けてもらえる食材ときた。
これは見事にバターチキンカレーを作る事を表明したい!
そしてドゥガル様の過剰な魔素の摂取をどうにかして、痩せさせる!
もしかしたら来るかもしれない、閨のあれこれの時に押しつぶされないためだ。
このちっこい骨格は、今のドゥガル様にのしかかられたらぽっきり骨がいくからな。
「……あの……」
彼女はカップを両手で持ったまま、言いたい事があるらしい顔でうるうると目を瞬かせた。
これは素だな。作戦じゃない、本気で言いたい事があるのに言えないで、葛藤している顔だ。
結構人間の顔は見てきたからな、主におばあさまの店と中華料理屋とインドカレー屋とそれから……なんだ……格闘系の教室全般で。
それ位は見極められるんだ。
「何か言いたい事がありますか?」
俺は話を促した。年上の余裕でにこりと笑って見せて、言う。
「ここで吐きだして心が落ち着くのでしたら、どうぞ。どうせ聞いて居る人間なんて私以外にはいませんから」
ドゥガル様を困らせないお悩みの様ですし、と続けると、お姫様は言う。
「わたくしは、ルナというのです」
「ルナ様ですね。リンと言います」
「……わたくしは、お兄様が何人もいるのですが……」
うん、ドゥガル様の血を引かないたくさんのお兄様だろ。……ルナちゃんも引いてないんだろうな……髪の色とか目の色とか、あの王子様と激似だもんな……
でもしかし、血統だけで人間は決まらないと決まっているから、いい。
俺はルナちゃんが気に入ったからな。
「あまりにも分別がありません。聖女様の周りに集まって皆で媚びを売るようで、聖女様の御役目を邪魔するのです。それではあまりにも無分別が過ぎると思いますし、お兄様たちには皆婚約者がいる身の上ですのに……聖女様と過剰な触れ合いをなさっているようで」
「聖女様が不特定多数とふしだらな関係を?」
「そ、そう言う事を言っていません! そんな疑いを持ったらわたくしの方が頭を疑われます。でも……」
俺は覗き部屋で見た聖女と、男どもを思い出した。あれじゃあ邪推されるわ。きれいな関係だって言っても邪推されまくるわ。
ブラックかホワイトかって言われたら限りなくブラックに近いグレーゾーンだわ。
「今日、意を決して聖女様に御役目をきちんと果たすように言いに行ったのです。そうしたらお兄様や……ジュゼッペ様や……アラン様が……」
顔を覆った彼女の華奢な肩が震えた。そうだよな、あんな寄ってたかって言われてたもんな。
普通聖女の役目をちゃんとしろって言って責められるか?
有得ないと思うのは、気のせいか?
「アカネ様……聖女様を侮辱するのは許さない、お前の方が役立たずだと……いまだに浄化の踊りを教えられていないのはお前の潔斎が足りないせいだと」
「浄化の踊り?」
「はい。この前魔物たちを消し飛ばした、ものすごい力を持った踊りを踊れる方が聖女様のために、神々から遣わされたそうなのです。お父様がわたくしにもそれを習わせると言ってそれっきりで……」
おぅ……俺そんなの聞いてないぞ、ドゥガル様ああああああ!? 俺やるなんて一遍も言ってないからな? 聞いてないからな? 拒否権はないのか?
内心で頭を抱えていれば、ルナちゃんは言う。
「皆わたくしが悪いのだと言われて……それからそのようだから、婚約者の一人もとどめて置けないのだと……国のために結婚できないなら、神殿娼婦にでもなって来い、その方が国のためだと……」
神殿娼婦。……神殿に仕えている、神々のための娼婦だ。
娼婦という職業だが、実は立場はかなりの物だ。そしてその仕事のあいだにした行為は、神にささげられたものだから貞操とかの概念とは違う物である。
でも……お姫様にそんな事言うなんてどうなのか。自分の妹に言ったのか、一人なんて?
どんだけ外道なんだ。それとも頭が回らないのか。
信じらんね。
俺がうっかりカップを軋ませていると、彼女が悲しそうな顔で笑う。
「事実ですから……」
「事実ではありませんよ」
「え?」
「はたから聞けば、あなたの忠告の方がまともですよ。自信を持ってください」
言った俺はルナちゃんがまた、ぼろぼろと泣き出したので、新しく冷やしたタオルを持ってくる事にした。




