the.もったいない
とりあえず一言。物申したい。
「もったいない」
「は?」
「なんでこんなに肉が余るんですか! そしてそれをどうして廃棄!」
「食えないだろ」
「いいえ食べられます!」
俺は今にでも捨てられてしまいそうな骨付き肉を死守した。牛のあばらだ。骨の周りの肉をそぎ落とせば十分に食べられる。
日本じゃバラ肉だった。俺はめったに食べなかった、だって牛肉とっても高いんだもの。
俺の鬼気とした表情から何かを考えたらしい。親方が数秒黙って、言った。
「それなら、それで食べられる物を作って見せろ」
「はい!」
俺はさっそく、大型の包丁で牛のバラ肉をそぎ落とした。
「そんな脂っぽい所が食べてもうまいのか?」
確かにバラ肉は三枚肉と呼ばれるように、赤身と脂肪が交互に重なる美しい見た目だ。そして見るからに脂っぽい。
俺はしっぽの方の骨付き肉も死守した。何に使うかと言えば、あとで出汁に使う。韓国出身の友達が教えてくれた牛骨のスープは絶品だった。
企業秘密を何とかして手に入れて、実際の家庭ではガス代や水道代がもったいなさ過ぎて断念したやつである。
俺は油もしかないで、魔法石によって一定の火力を保てる、いわゆるコンロに、黒光りする位油がしみ込んでいる大型のフライパンを置いて熱した。
味付けは塩だけでいい。バラのうまいやつは塩で十分。俺はそう信じている。
胡椒は妥協する。ここがセレウコス国ならば、呼称は東邦から輸入するきわめて貴重品のはずだからだ。
俺はじっくりと肉を熱した、たちまち漂うよだれを誘う匂い。
たまんねえ。そして出来上がった、超ずぼらな焼肉に、料理長はしかめっ面をしていた。
たぶん手抜き感が満載なのだろう。俺もそう思う。
実は生姜焼きで食べたいが、要である醤油がセレウコス国にはないはずなのでやめた。やっぱり生姜焼きの決め手は醤油と生姜の絶妙なマッチングだ。
「骨は捨てないのか」
「とっときます、とっておきがあるんです」
俺は胸を張った。伊達に複数の料理屋で仕込みだけをしているわけじゃない。
俺の仕込みの技法だけは無駄にある。
仕込みバカにするんじゃねえよ。仕込みでその店の味のいちいちが決まるんだ。
仕込みをおざなりにした料理屋は、まずさのあまり潰れた。先代までは仕込みに情熱を注いでいたというのに、跡を継いだドラ息子が見た目にばかりこだわって、肝心の味をおざなりにした結果だった。
俺は先代が死んだ辺りでそのバイトをやめた。先代は厳しくも優しい素敵なおばあさまだった……思い出しても今でも泣けるぜ。俺のおばあちゃんと言っても過言ではないおばあさまだった。
それはさておき、料理長が塩だけの超シンプルな牛の三枚肉の焼き肉を口に入れる。
そして噛みしめた。
俺はお盆を持ったままじっと黙っていた。
俺と料理長の成り行きを見ていたほかの、料理人もかたずをのんで見守っている中。
「濃厚なうまみだな。油の味も濃厚だ。そして柔らかい……焼いただけでこれか?」
料理長がやくざも真っ青な顔つきで問いかけてくる。もともと料理長はやくざ顔だった。
俺は胸を張って頷いた。そして付け足した。
「ちなみに、この肉は煮込みやスープに使っても最高です」
料理長の目が光る。そして立ち上がり、その辺で見守っていた数人の料理人にも焼肉を食わせた。
誰もが目を丸くして、バラ肉を食べていた。
「うまい!」
「濃厚だ……!」
「コクがあるのに柔らかい! え、これあばらの所?」
「お前たち」
料理長は真面目な顔つきになって言った。
「明日はこの部分を煮込みに使う。あばらはまだ捨ててないな? 全力でこそぎ落とすぞ!」
「はい!!」
料理人たちは一丸となって、大量に廃棄する予定だったあばらの部分をこそぎ落とし始めた。
さてはて、日本の皆様はどうして、この国であばらの肉が廃棄されているのか不思議だろう。
それはセレウコス国の牛が、ちょっと地球の立場と違う立場にあるからだ。
……この国の牛は、ぶっちゃけ害獣なのだ。草をめちゃくちゃ食うし、気性も荒いし、群れで農作物に甚大な被害を与えるのだ。そして多産で、一年に複数回発情して、一度に三匹位子供を産む。
気性が荒すぎて、酪農には適さないのがこの世界の牛なのだ。大概野生。養殖されている牛は極めて珍しい。
そして大きくて食べるところがいっぱいあって、なんていえばいいんだ? 無駄遣いしてもちっとも構わないのだ。絶滅する恐れのない害獣でもある。
そして事実として、全ての箇所を利用するという文化がない。
それもあって、この国では日本で言うところの高級な部位しか食べない。
俺から言わせてもらえれば、とってもとってももったいない!
神様時代はそういうの知らなかったから、へ―そうなんだで終わっていたんだが。
日本という、もったいない精神にあふれた世界に生まれ変わっていた俺は、そういう知識あが多いのである。
え、それじゃあ牛乳はどうしているんだと思うだろう。
この世界には、牛乳と同じような立場の、ツベ乳というものがある。
気性も穏やか、牛よりも餌を食べる量が少なく、育てやすい魔獣で、一回子供を産むと三年は子供をお乳で育てる生態をしているから、牛よりも効率的に乳を採取できるという魔獣だ。
それはいっぱい育てられている。こいつらは食べるのには向かないから、年老いたら毛糸の材料になる。ツベは年を取るごとに体毛が柔らかくふわふわになっていき、死んだら毛を刈るのが一般的なのだ。
ちょっとした地球との生態系の違いである。
それはさておき、俺も皆に混ざってあばら肉をそぎ落とす。そぎ落とした肉は、冷却機能満載の箱に入れられる。俺が神様やっていた時代にはなかった道具で、俺はちょっといじりたくなる。
こう、なんていうんだ、好奇心がうずくっていうの?
俺は割と懲りないやつという自覚があるので、しょうがない。
「おい、新入り」
「燐と言います」
「リン? お前の名前か。じゃあリン」
「はい」
「そっちの、しっぽの方の固すぎる肉は何に使うんだ?」
「煮込んでスープにします」
「は?」
料理長は怪訝な顔をした。
「親方、出汁って概念あります?」
「だし?」
「……後で見せて説明します」
俺は料理の神様じゃないから、この世界の料理の常識がわからない。
出汁の概念がないのだとしても、俺は同時に驚かない。
文化の違いってやつだ。しょうがない。
俺は皆とあばら肉をそぎ落としてから……大鍋を一つ借りて、茹でてしっぽの骨付き肉の中の血管を探してとっていき、骨の髄も取り除いて血抜きをした。あとは香味野菜を入れてじっくり灰汁をとりながら煮込むだけ。
「おいおい、ネギの切れ端だのニンジンや玉ねぎの端だの、なんで入れるんだ?」
「その方がおいしいからです」
俺は灰汁をとりながら答える。いつの間にか夕食の支度の時間で、俺は鍋を見張りながら芋の皮むき、野菜を洗ったり切ったりして、肉をさばいたりした。洗い物は当然だ。
そして大体……六時間は経過した。料理人たちや下働き全員であったかいシチューを食べている間に、ようやく納得のいくスープっぽくなった。
「これで完成か?」
「いいえ、一晩覚まして油を固めます」
さすがの俺でも油の再利用は思いつかない。もったいないな、どうしよう」
「油が浮くのか?」
「浮きますね」
「匂いは強いか?」
「たぶん」
「……いい事聞いたな。ちょうど、家の明かりの油が怪しいんだ」
「へえ……」
とりあえず俺は、鍋にふたをして、外を見た。
うーん、暗いな。月は昔と変わらないで地球の五倍はありそうなデカさだ。それが今日は三日月。星の明かりも幻想的。
神様時代はそんな物に目を向けた事はなかったな……地球でお月さま系の神様と知り合ったから、そっちの影響だろうか。
「さて、行くぞ、リン」
皆が帰る支度を始めた。俺もそれに倣う。
「ほんとのほんとに、親方の家に泊まっていいんですね?」
「二言はない」
「いつまででもいていいんですね?」
「お前の砥ぎの能力は、絶対に必要だ」
俺は口角が挙がった。必要とか言われるの大好きだ。
たぶん俺が根っこのあたりでお人よしだから。
外は寒かった。俺が首をすくめると、料理長の男くさいマフラーをまかれた。くさい、でもあったけえ。
俺が目を細めると、料理長は俺を従えて歩き始めた。
家に帰るのだ。
俺はマフラーに顔をうずめた。
「へへっ」
なんでかわからんが笑いが込み上げてきた。